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はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
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▼文化人類学解放講座2014


▼「2014年度 文化人類学解放講座A/B」
[時間] 4時限(通年) 15:00-16:30
[場所] 中央大学多摩キャンパス3号館 文学部総合棟3114教室(300人教室)
[講師] 小田マサノリ

 文化人類学は「文化」をとおして「人間とはなにか」を考える学問です。自分たちの知らない「異文化」や「他者」を知り、それを理解することで、オルタナティヴなものの見方や考え方、生きかたを学びます。今年度の「文化人類学解放講座A/B」は、「リキッドモダン社会」とよばれる、流動的で、不安定ないまの社会のなかで人間らしく生きてゆくための知識やものの考え方などについて考えます。講義の内容については、このブログ(http://illcommonz.exblog.jp/)のほか、下記の「講義録」を参考にしてください。

【文化人類学解放講座2014年度前期講義概要】
(編集中)

【文化人類学解放講座2013年度前期講義概要】

▼【教材動画】 デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」 (字幕オプションあり)

▼「レイシズムについて」
http://illcomm.exblog.jp/18673342/
▼「文明批評入門篇 ツイアビ・チャーリー・カイ」
http://illcomm.exblog.jp/18946325/
▼「IT文明批評人類学」
http://illcomm.exblog.jp/19275202/

【文化人類学解放講座2012年度講義概要】(順不同)

▼文化人類学解放講座 「テスト」(2012年)
http://illcomm.exblog.jp/17713006/
▼リアルタイムの人類学:ムーヴメントの起こし方と文化の散種
http://illcomm.exblog.jp/16462564/
▼「もうひとつの経済」の人類学
http://illcomm.exblog.jp/16306974/
▼クラと民族学
http://illcomm.exblog.jp/9935584/
▼テクノロジー文明批評人類学
http://illcomm.exblog.jp/16041543/
▼原子力文明批評人類学
http://illcomm.exblog.jp/15982532/
▼原発のやめかた
http://illcomm.exblog.jp/15995660/
▼文明批評人類学
http://illcomm.exblog.jp/15905700/
▼岡本太郎に学ぶ人類学
http://illcomm.exblog.jp/15871772/
▼人類学者になりそこねた作家たちに学ぶ人類学
http://illcomm.exblog.jp/15807028/
▼人類学者になりそこねた作家たちに学ぶ人類学(補講)
http://illcomm.exblog.jp/15816158/
▼ソローの教え
http://illcomm.exblog.jp/16148821/
▼マーガレット・ミードの教え
http://illcomm.exblog.jp/16091483/
▼グレゴリー・ベイトソンの「4倍体の馬のはなし」
http://illcomm.exblog.jp/16306259/
▼2012年度 文化人類学解放講座」開講
http://illcomm.exblog.jp/15736768/


【野生の思考の研究】
・「原発なしですませる、野生の思考のレッスン」
http://illcomm.exblog.jp/14564115/
・「考えるな、みよ、きけ、おもいだせ、これがブリコラージュだ」
http://illcomm.exblog.jp/14656919/
・「あらゆる場所に、ブリコラージュが」
http://illcomm.exblog.jp/14694888/
・「ブリコラージュの精神=オープン・マインド」
http://illcomm.exblog.jp/14750025/
・「野生の所有物とその経済」
http://illcomm.exblog.jp/15034885/
・「幸福の政治人類学」
http://illcomm.exblog.jp/14995712/

・「OWS」
http://illcomm.exblog.jp/14913131/
・「野生の生活人類学~アマチュアサイエンスと民間学」
http://illcomm.exblog.jp/15109654/

【2011年度の講義概要】(抜粋)
 「福島第一原子力発電所の事故で「レヴェル7」が宣言されました。これによって、この「ふつうの状態」ではない状態が、これからしばらく続くということが、ほぼ確実になったので、今年度の「文化人類学解放講座」(別称「文化人類学2.0」)は、「ふつうの文化人類学のやりかた」ではないやり方で、いまや人間の手に負えないモンスターと化したさまざまなテクノロジーと人間の関係、そして危機の時代における「文化の力」などについて講義します」

▼「人間とテクノロジー:原子力という怪物」
http://illcomm.exblog.jp/13382529/
▼「原子力映画史」
http://illcomm.exblog.jp/13431303/
▼「事故の文明人類学」
http://illcomm.exblog.jp/13737009/
▼「危機の時代における人類学と文学の役割」
http://illcomm.exblog.jp/13791083/
▼「IT文明時代の、マイクロ・サーカスとiスペクタクル」
http://illcomm.exblog.jp/15062336/

【2010年の講義】(抜粋)
▼「雑(種の)学(問)としての文化人類学タイトルリーディング2010」
http://illcomm.exblog.jp/10963599/
▼「WE ARE ALL CHAMPIONS」
http://illcomm.exblog.jp/11018743/
▼「文明(批評)人類学」
http://illcomm.exblog.jp/11279929/
▼「IT文明人類学」
http://illcomm.exblog.jp/11331449/
▼「地球人類学」
http://illcomm.exblog.jp/11378400/
▼「もうひとつのワールドカップ」
http://illcomm.exblog.jp/11429939/
▼「文化人類学原論」
http://illcomm.exblog.jp/11483996/
▼「幸福の政治人類学」
http://illcomm.exblog.jp/11536517/
▼「夏のテスト」
http://illcomm.exblog.jp/11584870/
▼「最終講義」
http://illcomm.exblog.jp/12553045

【2009年の講義】(抜粋)
▼2009年10月10日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10319488/
▼2009年10月17日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10342500/
▼2009年10月24日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10368897/
▼2009年11月6日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10426949/
▼2009年11月21日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10477432/
▼2009年11月21日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10491356/
▼2009年12月5日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10526068/
▼2009年12月20日の講義録
http://illcomm.exblog.jp/10571417/

▼「文化人類学解放講座YouTube編」
~アンチ・グローバリゼーションの文化からグローバリゼーションを考える
http://anthropologix.blogspot.com/2007/04/blog-post_03.html



▼「文化人類学解放講座 オープニング映像」
6分25秒 モノクロ 2007年制作
[映像]
・エドワード・カーティス 「闘うカヌーの島」(1914年)
・ゾラ・ニール・ハーストン 「フィールドワーク」(1928年)
・マヤ・デーレン 「神聖騎士」(1947年)   
[音楽]
・ザ・スカタライツ 「フリーダム・サウンズ」
[編集]
・イルコモンズ
※「著作権保護期間」が終了した「パブリック・ドメイン・フッテージ」の活用



▼「文化人類学解放講座 教材映像」
 2分37秒 カラー 2008年制作



▼「文化人類学解放講座 教材映像」
 6分44秒 カラー 2008年制作



▼「文化人類学解放講座 エンディング映像」
6分4秒 モノクロ 2009年制作
 

[教材] 「新世界」「ザ・ビッグワン」「ミッキーマウス、ハイチへゆく」「ジャマイカ・楽園の真実」「ザ・コーポレーション」「にわとり」「カメラアイ」「コヤニスカッティ」「ナコイカッティ」「おいしいコーヒーの真実」「女工哀歌」「ウォールマートの安い商品の高い代価」「神なら何を買うか?」「エンロン」「キャピタリズム・マネーは踊る」「マネー資本主義」「マネーマン」「エンデの遺言」「リヴィングルーム」「素人の乱」「インサイド/アウトサイド」「レボリューリョンOS」「アザー・ファイナル」「ジュピターズ・ダンス」「おばさんたちが案内する未来の世界」「HEIMA/故郷」ほか

▼この講義からうまれたもの

▼「SWEATSHOP 知っていますか」
http://www.youtube.com/watch?v=39n5EWW6RSA
.........................................................................................


最初の講義で、この講義サイトのURLが書いてあるこのスリップを配布します。三枚セットになっていますので、残りの二枚は、講義に来れなかった人や、友だちに分けてあげてください。

※このサイトは、文化人類学の「教育と研究目的のために」編集したもので、「フェアユース」にあたるものです。この講義を履修している人も、してない人も、それぞれ自由に、予習・復習・自習・独習に役立てて下さい。



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# by mal2000 | 2007-07-14 08:14
▼講師略歴
小田マサノリ / イルコモンズ
(文化人類学/現代美術/文芸批評/デザイン/映像制作/民衆音楽)
1996年  一橋大学大学院社会学研究課博士課程 単位取得退学
1997年~ 日本学術振興会 特別研究員(PD)
2000年~ アジア・アフリカ言語文化研究所COE非常勤研究員
2004年~ 中央大学文学部 兼任講師
2009年~ アジア・アフリカ言語文化研究所 特任研究員
2011年  多摩美術大学芸術学部非常勤講師
2013年  専修大学人間科学部 非常勤講師
2014年  立命館大学アジア太平洋大学非常勤講師
2014年~ 法政大学キャリアデザイン学部 非常勤講師
2014年~ 上智大学グローバルコンサーン研究所事務局員
連絡先:illcommonzoo@gmail.com

【著述】 『人類学のコモンセンス』 『The Uncanny Experience in Cyber Culture』
『リノベーション・スタディーズ』 『音の力』『日常を変える!クリエイティヴ・アクション』
『野生の近代再考-戦後 日本美術史』『美術に何が起こったか』『素人の乱』
『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(共著)のほか
「現代思想」「図書新聞」「美術手帖」「VOL」「文擧界」「文藝別冊」「ユリイカ」「情況」
「10+1」「インターコミュニケーション」「暮しの手帖 別冊」「道の手帖」「週刊金曜日」
などに著述多数、著書なし。→詳細

【展示】 「日本・現代・美術・沈没」(00年 水戸芸術館) 「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」
(01年 ナディッフ)「give piece/peace a chance」(01年 横浜トリエンナーレ2001)
「去年、トリエンナーレで」(02年 横浜赤レンガギャラリー)「EXPOSE2002」(02年 KPO
キリンプラザ大阪)「殺すなアンデパンダン」(03年 康ギャラリー) 「アジア文字曼陀羅」
(03年 アジアアフリカ言語文化研究所) 「戦後?」(04年 appel) 「アサバスカンリバイバル」
(05年 AA研) 「バ  ング  ント」(05年 P-HOUSE) 「アラビア文字の旅」 (06年 AA研)
「台湾資料」(07年 AA研) 「鮮麗なる阿富汗」 (08年 AA研) 「好奇字展」(08年 AA研)
「イルコモンズの回顧と展望(仮称)」展 (08年 大阪市立近代美術館) 「SIGNS OF
CHANGE」(08年 EXIT ART) 「アクティヴィズム3.0(仮称)~リーマンショック以後の世界の新しい反資本主義の表現者たち」(09年 ヨコハマ国際映像祭2009)「豊穣なる埃及」展(10年 AA研) 「スタジオ・フォトグラフィ・アズ・ア・ドリームマシン」展(10年 AA研)
「トランスフォーメーション-サイクル」(10年 東京都現代美術館) 「アトミックラウンジ」(11年 路地と人) 「アトミックサイト」(11年 現代美術製作所) 「アトミックサイトスティルアライヴ」(2013年)→略歴

【講演】 「リミックスのやめどころを知る」(03年) 「戦後?のなかでの戦後!の詩と工作」
(04年) 「さよなら万博」(04年) 「ザ・フューチャー・ポーヴェラ」(05年) 「若松映画と
暴/力」(05年) 「アドルノにきく、六〇年目の今日、詩をよむことは依然として野蛮なの
だろうか」(05年) 「新宿インティファーダ」(05年) 「野生の近代再考-戦後 日本美術史」
(05年) 「アザーミュージック」(05年) 「イルコモンズアカデミー」(06年) 「ゴダールの愛の世紀/一なる国家と歴史の孤独に抗する二の愛」(06年) 「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー福岡・大阪・京都・名古屋」(06年)「イルコモンズの"平和授業"」(06年) 「アナーキズムとアートの現在」(06年) 「イルコモンズ・アカデミー」(05-08年)
「イルコモンズの「精密な受信機はふえてゆくばかりなのに、世界のできごとは一日で
わかるのに、"知らないことが多すぎる"と、あなたにだけは告げてみたい」(07年)
「民主主義のはじまりの風景~うるさくてめんどくさいことはいいことだ」(08年)
「PRODUCTION AND DISTRIBUTION OF SOCIAL MOVEMENT CULTURE」(08年)
「メディア・アクティヴィズムの回顧と展望」(08年) 「ニューヨークの都市文化」(08年)
「学生運動と人類学」(08年) 「アナーキスト・ドラムギャザリング」(09年)
「文化人類学者になりそこねた表現者たち」(09年) 「アクションはどのように継承されるべきか」(09年)「レヴォリューション・ナウ!/千のタハリール広場にむけて」 (11年) 「たのしいアクティヴィズム」(11年) 東京藝大シンポジウム「10 MONTH AFTER 3.11」 (11年) 京都精華大学シンポジウム「アートの社会的有用性」(11年) アサヒアートスクエア「アートと資本制」(13年) 府中市美術館「現代日本におけるアートのアクティヴィズム」(13年)

【映像】 イルコモンズ・チャンネル on YouTube

【在籍】 T.D.C. / R.L.A.T. / デモス&クラトス / T.C.D.C. /
いるといらとそのなかまたち / 多摩ベルリンガーズ ほか
.........................................................................................
[参考]
「私は民族学科に移った。この学問はまったく実証的に、研究者の主観や思惑、感情を排除して、対象そのものをとらえ、帰納的に結論を得ようとする。およそ芸術活動とは正反対なこのあり方に私は逆に情熱を燃やし、打ち込んでいった。自分の運命自体に挑むようなつもりで。パリ大学の民族学教授で、映像記録の専門家であるジャン・ルーシュが企画をたてた。ミシェル・レリス、構造主義で有名なレヴィ=ストロース、それに私の三人を映すという。この映画はまず、こんな質問からはじまる。「なぜ芸術家であるあなたが、マルセルモースの弟子になったのですか?」「芸術は全人間的に生きることです。私はただ絵だけを描く職人になりたくない。だから民族学をやったんです。私は社会分化に対して反対なんだ」。事実、私はそれを貫き通している。絵描きは絵を描いてりゃいい、学者はせまい自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいというこの時代。そんなコマ切れに分化された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない。それはこの社会の現状では至難だ。悲劇でしかあり得ない。しかし、私は決意していた」(岡本太郎)
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# by mal2000 | 2007-02-26 15:15
▼文化人類学タイトル・リーディング

[画像]▼文化人類学カバー・リーディング(jpg/370KB)*クリックすると拡大します

この講義では、文化人類学の入門書や教科書、用語集や専門書はほとんどよみません。そのかわりに第一回目の講義では、文化人類学関係の本のタイトルだけを一気に約160冊くらい読み(あげ)ます。文化人類学とはどういう学問なのかを、まずは目と耳で体感してみてください。


▼文化人類学タイトル・リーディング (新ヴァージョン・2010年版)
[映像] ロバート・レッドフィールド監修「人類とその文化」(1952年) ※著作権失効
[音楽] E.Ehlers+S.Meissner+T.Willems 「エンドレスハウス」(2002年) ※廃盤
[編集] イルコモンズ

暴力の文化人類学 助産の文化人類学 理論人類学 会話の人類学 PTSDの医療人類学 法の歴史人類学 実践の医療人類学 一般人類学 植民地人類学 民俗社会人類学 聖と呪力の人類学 言語人類学 聖と性の人類学 開発の文化人類学 自然観の人類学 音楽人類学 シャーマニズムの精神人類学 ジェンダ-の文化人類学 分子人類学 テクノロジ-の人類学 いれずみの人類学 いのちの文化人類学 寄せ場の文化人類学  自然社会の人類学 ヒト・モノ・コトバの人類学 身ぶりとしぐさの人類学 目で見て考える人類学 観光人類学 目からウロコの文化人類学 大文字の都市人類学 食と健康の文化人類学 協調と発展の人類学 贈り物と交換の文化人類学 古事記の文化人類学アフリカの都市人類学 文明の歴史人類学 カニバリズムの文化人類学 相撲の人類学 芸能の人類学 身体の文化人類学 意識の人類学 歯の人類学 シェイクスピアの人類学 入浴の文化人類学 同時代世界の人類学 装いの人類学 医療の人類学 コメの人類学 数学の文化人類学 沿線文化人類学 援助の人類学 教育人類学 生活技術の人類学 芸術人類学 生態人類学 贈与交換の人類学 ケガレの人類学 演劇人類学 現代人類学 捕鯨の文化人類学 グロ-バリゼ-ションのなかの文化人類学 自然と文化の人類学 個人とエスニシティの文化人類学 企業博物館の経営人類学 わらべうたの教育人類学 裸体人類学 いまを生きる人類学 生き方の人類学 恨の人類学 音と楽器の人類学 生理人類学 臨床人類学 ドグマ人類学 東アジアの文化人類学 地球環境問題の人類学 出産の文化人類学 母乳哺育の医療人類学 食糧確保の人類学 住まいの文化人類学 循環と散逸の経済人類学 解釈人類学 衛生学・文化人類学 食と栄養の文化人類学 生態人類学 現代医療の人類学 日照り雨狐の嫁入りの文化人類学 死と医療の人類学 沖縄の知識人類学 衣服人類学 情報の文化人類学 祭りの文化人類学 俳句の文化人類学 政策文化の人類学 文化批判としての人類学 エイズの文化人類学 オフィスの生理人類学 天皇制の文化人類学 韓国社会の文化人類学 精神分析学的人類学 生理人類学 血液型人類学 食の文化人類学 食の歴史人類学 アジア演劇人類学 中国映画の文化人類学 東南アジア建築人類学 新・競馬の人類学 草相撲のスポ-ツ人類学 水産資源管理の人類学 同時代の人類学 風水の社会人類学 構造人類学 医療人類学 未来の人類学 栗本慎一郎の政治人類学 松浪健四郎のプロレス人類学 九里徳泰の冒険人類学 バイロン・グッドの医療人類学 ゴーゴーバーの経営人類学 異次元交換の政治人類学 実践宗教の人類学 ライフ・サイクルの人類学 歴史学と感覚の人類学 仏と霊の人類学 子ども世界の文化人類学 歯と顔の文化人類学 東京の空間人類学 棄民の文化人類学 方法としての文学人類学 家族の社会人類学 格闘技文化人類学 核家族の社会人類学 病いと障害の人類学 趣味と好奇心の歴史人類学 癒しと呪いの人類学 北の人類学 POPな文化人類学 おはなし生理人類学 ことわざの文化人類学 金属人類学 男らしさの人類学 ヤクザの文化人類学 女と男の関係の人類学 くじらの文化人類学 よめはんの人類学 かぼちゃ人類学  木のぼりの人類学 火星の人類学者 装いの人類学 天皇制の文化人類学 水産資源管理の人類学 意識の人類学 脳死・臓器移植の文化人類学 地球環境問題の人類学 アボリジニ社会のジェンダー人類学 いれずみの人類学 シャーマニズムの精神人類学 哭きの文化人類学 からだの文化人類学 シルクロードの経済人類学 子どもの文化人類学 嗜好品の文化人類学 ミクロ人類学 ローカル歌謡の人類学 目でみる人類学 反ポストコロニアル人類学 結婚観の歴史人類学 自然の文化人類学 コモンズの人類学 メイキング文化人類学 癒しと呪いの人類学 資源人類学 対称性人類学 アナーキスト人類学

▼文化人類学タイトル・リーディング (旧ヴァージョン・2004年版)
(mp3/4.1MB)
.............................................................................

これは「アッサンブラージュ」と「ポエトリーリーディング」の手法を使って、文化人類学が、どういう学問なのかを、デモンストレーションしたものです。文化人類学の本や論文をひとつづつ個別にみれば、人間とその文化についての「専門的でプロフェッショナルな学問」なのですが、こんなふうにカバーやタイトルだけ寄せ集めてみると、どことなく「雑種の学問」あるいは「雑学」のようなものに思えてこないでしょうか。

実際、雑学的な本が「××の人類学」というタイトルで出版されることがよくありますし、また、そもそも文化人類学自体も、はじめから学問的権威を持った正統な学問だったわけではなく、この100年くらいの間に少しづつ学問の体裁を整えてきた「モダンな学問」なのです。ところで、その文化人類学は、この20年くらいの間、いろいろと厳しい批判にさらされ、いま窮地に立たされています。批判の理由はいろいろですが、それはおおむね、文化人類学が手に入れた学問的な権威にかかわっています。これについては、また改めてお話ししますが、この窮地から文化人類学を解放する方法として、多少、荒療治ですが、文化人類学の起源にあった「雑種性」をすすんで認め、それをとりもどすというやり方もあるのでは、と考えていますので、この講義では、これから以後も、こうした変則的なやりかたで、文化人類学を紹介してゆく予定です。

.........................................................................................
[参考] 「およそ学者にとって、いちばん安易な道は、自分の学問に一応完結した体系を与えるのに都合のいいように、学問の対象や目的を限定していく方法であろう。私は人生の行路半ばにして迷い込んだ文化人類学という学問になると、当初から、限定された境界や完結した体系などを至難とするほどに、茫漠とした対象領域と性格をもったものではないかと思う。こんなことをいうと、学会の一部から、「いや、それはお前が勝手にそう解釈したり、空想をひろげたりしているだけのことで、この学問には早くから民族学というような名前で限定された対象や目的ははっきりしているではないか。この学問的な伝統からはみ出して、任意に専門分野を拡大していったら、専門というものの純粋性も深さも失われて、単なるアマチュアの教養に堕してしまうばかりだ」という非難をうけることだろう。事実また、私のアカデミックライフは、このような非難にさらされながら、続けられてきたといってもよい。」(石田英一郎)
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# by mal2000 | 2007-02-26 04:48
▼文化人類学/者アトラス
「ある学問がどんな学問なのかを
知りたければ、その学問を
研究している人びとが実際に
どんなことをしてるかを
まず見るべきである。」
(クリフォード・ギアツ)


しかし、ギアツさん、いったい、どこで、どうやったら、文化人類学者と、彼/女たちがやっていることを見ることができるのでしょう?

実のところ、わたしたちが人類学者を目にする機会はそれほどありません。なので、代わりに文化人類学者たちの肖像写真を集めてみることにしました。文化人類学者になりそこねて、のちに文学者になったヴォネガットなら、この写真について、たぶんこんなふうにコメントしたことでしょう。

人類学者というのは「こんなかっこうをしている」 『チャンピオンたちの朝食』より

▼文化人類学アトラス(jpg /216KB)*クリックすると拡大します。

これは、ゲルハルト・リヒターというドイツの現代美術家が『アトラス=地図帳/図解集』という作品で考案した、写真のコラージュによる、対象の客観的提示という手法を応用したものです。ほかに、エド・ルッシュやダグラス・ヒュブラーといった写真家たちもこの手法を使った表現を行っています。これは、「文化人類学」という学問がいったいどういう学問なのかを、文化人類学者たちのポートレート写真を通じて実際に目に見えるかたちで提示・表現してみたものです。

左の一番上の写真は「人類学の父」と呼ばれるフランツ・ボアズです。その下がエミール・デュルケム、マルセル・モース、レオ・フロベニウスとつづき、レヴィ=ストロース、マリノフスキー、ルース・ベネディクトと、上から下へ、左から右にすすむにつれて、時代がくだってゆきます。

これを見ると、文化人類学という学問が、どのような時代に生まれ、どのような人種や性別、階級、そして年齢、風貌の人びとによって、行われてきたかがわかりますし、また、最近では、それがすこし変化してきていることもわかります。たとえば、初期の人類学者の多くは、イギリス人、フランス人、アメリカ人でしたが、最近は、インド、スリランカ、ヴェトナム、ラテン・アメリカ、カリブ、中国、日本など、さまざまな国籍を持つ人類学者がいます。こんなふうに、ものごとには、グラフィックなものやビジュアルなものをとおして、はじめて見えてくるものがあります。またそれはこうした「収集」や「比較」という作業によって、はじめてわかることも多いのです。

この講義では、おもにこうした視覚的な資料を使って、講義をすすめてゆく予定です。

[参考]

▼ゲルハルト・リヒター「48人のポートレート」(1971年)


▼ダグラス・ヒュブラー「作品44」(1971年)


▼エド・ルッシュ「26軒のガソリンスタンド」(1962年)

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[追記1] フランスの文化人類学で、映像作家であるジャン・ルーシュがアメリカの女性人類学者マーガレット・ミードを撮影しためずらしいドキュメント・フィルムがありますので、それを最後にご紹介します。マーガレット・ミードはなんだか魔法使いのおばあさんみたいですね。

▼ジャン・ルーシュによるジャン・ルーシュ (wmv/3.86MB)
▼ジャン・ルーシュによるマーガレット・ミード (wmv/6.14MB)
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# by mal2000 | 2005-04-18 01:05
▼文化人類学者たちの語り口を、聞いて・見る
20世紀の
文化人類学者たち

(左上から)
エドマンド・リーチ
メイヤー・フォーテス
メアリ・ダグラス
アーネスト・ゲルナー
ゴドフリー・リーンハート
ジャック・グディ
フレデリック・バルト
マリリン・ストラザーン
クリフォード・ギアツ

最近の文化人類学では「文化の語り口(かたりくち)」が問題にされます。つまり「文化をどのように語ればよいのか」ということですが、この問題について考えるまえに、まず、文化人類学者たちの「口調(くちょう)」や物腰(ものごし)」を実際に動画と音声でみてきいてみたいと思います。

▼[音源] 「人類学者の語り口」 (6分12秒 mp3 7.59MB)
[声] E・リーチ、A・リチャーズ、F・バルト、M・フォーテス、G・リーンハート、J・グディ



▼[動画]「人類学者たちの身ぶり」
(カラー 2分18秒 日本語字幕なし)

[出演] クリフォード・ギアツ、メアリ・ダグラス、ジャック・グディ、ゴドフリー・リーンハート、メイヤー・フォーテス、エリザベス・コルソン、レイモンド・ファース、エドマンド・リーチ、A・I・リチャーズ、ロドニー・ニーダム、フレデリック・バルト、マーヴィン・ハリス、ポール・ラビノー、ロイ・ワーグナー、マリリン・ストラザーン、S・J・タンバイア、アーネスト・ゲルナー、モーリス・ブロック、タラル・アサド、テレンス・ターナー

[音楽] Lance Grabmiller & John Bergine "Theme For, Anthropology, Shallow-Glass-Ashland-Night-Driving" + V-ice "Anthropology 101" + Charlie Parker & Dizzy Galespie "Anthropology" (mash-up)

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【参考】 21世紀の文化人類学者たち


▼[動画] ロンドンのG20サミットへの抗議行動の現場で
民主主義について話すアナーキスト人類学者デヴィッド・グレーバー


▼[動画] シドニーの国際現代美術展で講演する
反-植民地主義人類学者、マイケル・タウシグ
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# by mal2000 | 2005-04-17 23:02
▼「文化人類学者になりそこねた人たち」
「文化人類学解放講座」より)

「ある学問がどんな学問なのかを
知りたければ、その学問を
研究している人びとが実際に
どんなことをしてるかを
まず見るべきである。」
(クリフォード・ギアツ)


前回は、文化人類学者クリフォード・ギアツの、このことばをうけ、それを「文化人類学がどんな学問なのかを知りたければ、文化人類学を研究している人びとが実際にどんなひとたちなのかをまず見るべきである」とよみかえて、文化人類学者たちの肖像写真とその著作(の表紙と題名だけ)を見てみるということをしました。

今回は、このギアツのことばをさらによみかえ、文化人類学がどんな学問かを知るための別の実験をしてみましょう。前回、見た文化人類学者たちは、生まれたときから文化人類学者だったわけはなく「文化人類学者になった人たち」です。なった人がいるところには「なりそこねた人たち」が必ずいます。そこで今度は、「なりそこねた人たち」の姿や生き方、またその作品をみることで、文化人類学がどんな学問なのかを考えてみたいと思います。

▼[教材] 文化人類学者になりそこねた人びと(jpg/264KB)*クリックすると拡大します。

ミシェル・レリス(詩人)
カート・ヴォネガット(SF作家)
グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者) 
ゾラ・ニール・ハーストン(小説家) 
マヤ・デーレン(映像作家、ダンサー)
ロバート・フラハティ (映画作家)
ジャン=リュック・ゴダール(映画作家) 
ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家) 
アスガー・ヨルン(画家、シチュアシオニスト) 
ソール・ベロー (小説家)
デイジー・ベイツ(福祉活動家) 
ジョン・ルイス (音楽家)
キャサリン・ダンハム(舞踏家) 
ジャン・ピエール・ゴラン(映画作家) 
ジョゼッペ・シノーポリ(指揮者) 
ハリー・スミス(映像作家、民族音楽研究家)
ゲーリー・スナイダー (環境活動家)
テオ・アンゲロプロス(映画作家) 
カルロス・カスタネダ(作家) 
ジョゼフ・コスース(現代美術家) 
ジェローム・ローゼンバーグ(詩人) 
ローター・バウムガルテン(現代美術家) 
トム・ハリソン(ジャーナリスト)
ディヴッド・トゥープ(現代音楽家) 
トリン・T・ミンハ(映画作家) 
ヴェルナー・ヘルツオーク(映画作家) 
サム・ライミ(映画作家) 
シャロン・ロックハート(現代美術家)
ブルース・ナウマン(現代美術家) 
クレメンティーヌ・デリス(現代美術家) 
ジョアン・ビンゲ(SF作家) 
スーザン・ヒラー(現代美術家) 
フレッド・ウィルソン(現代美術家) 
ルネ・グリーン(現代美術家) 
アミタフ・ゴーシュ(SF作家) 
ダン・グレアム(現代美術家) 
ミルナ・マック(人権活動家) 
メアリー・ケリー(現代美術家)
エド・ルッシュ(現代美術家) 
ジェイムズ・クリフォード(文芸批評家) 
土方久巧(彫刻家)
岡本太郎(芸術家) 
牛山純一(TVプロデューサー)
ザック・デ・ラ・ロッチャ (音楽家)
イルコモンズ(元・現代美術家)

「民族学とは、未開社会という特殊な対象によって定義される専門職ではなく、いわば、ひとつのものの考え方であり、自分の社会に対して距離をとるならば、私たちもまた自分の社会の民族学者になるのである」(モーリス・メルロ=ポンティ)



▼「文化人類学者になりそこねた人たち」
グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者)/カート・ヴォネガット(SF作家)/岡本太郎(芸術家)/ジャン=リュック・ゴダール(映画作家)/ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家)/ゲーリー・スナイダー (環境活動家)/アーシュラ・K・ルグイン(SF作家)/ジョゼフ・コスース(現代美術家)/イルコモンズ(元・現代美術家)/ザック・デ・ラ・ロッチャ (音楽家)/フレッド・ウィルソン(現代美術家)/シャロン・ロックハート(現代美術家)/デヴィッド・ラン(劇作家)

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【事例】人類学者になりそこねた作家たちのプロフィール

▼ウィリアム・S・バロウズ (作家・芸術家)
1936年、ハーバード大学で英文学、言語学、人類学を学んだ後、1938年、ハーバード大学大学院で人類学を専攻。1939年にはコロンビア大学でも人類学を学ぶ。第二次大戦終了後、メキシコに移住し、1950年から1951年までメキシコ・シティ大学で人類学を学ぶ。マヤ文明の考古学、ナヴァホ・インディアンの言語学、クロウ族、クワキウトル族の文化などを研究し、その成果は、カットアップ作品「ア・プーク・イズ・ヒア」などに結実する。

▼カート・ヴォネガット Jr.(SF作家)
1944年、シカゴ大学人類学部で文化人類学を専攻。当時の学部長はロバート・レッドフィールド。1947年に大学院に修士論文を提出するが、審査で不合格となる。論文のテーマは、世界の神話や文学のグラフ分析。その成果は、「猫のゆりかご」のボコノン教の創作や、「チャンピオンたちの朝食」などでの相対主義的視点などに結実する。

 「ひと月ほど前に、私の息子が「これまでの人生でいちばん幸せだった日はいつ?」と私にきいてきました。そこで私は天井を見あげながら、こう答えました。「これまででいちばん幸せを感じた日は一九四五年の十月、アメリカ陸軍を除隊してからまもなくのことで、その日、私はシカゴ大学の人類学部に入学を許可されたのだ。その時、心の中で叫んだものさ。「やっと入れたぞ!これからは人間のことを学ぶんだ!」とね」。それはともかくも、ある文化が他の文化よりもすぐれていると考えることは、私たちには許されなかった。それに人種のことをとやかく言うと、こっぴどく批判されたものだ。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間は、ひとりもいないということである。」(カート・ヴォネガット)

▼アーシュラ・クローバー・ルグイン(SF・ファンタジー作家)
1929年カリフォルニア州バークレー生まれ。父親は文化人類学者のアルフレッド・L・クローバー。母親は、北米最後のインディアン、イシの伝記を執筆した作家のシオドーラ・クローバー。文化人類学者の、(異)文化の多様性に対する視点や、他者に「教える」のではなく、他者から「学ぶ」態度、自文化への批判的精神は、「ロカノンの世界」の主人公、民族学者ロカノンや、「言の葉の樹」の主人公、観察者サティなどにみられる。

 「この惑星に居住する高度の知的生命体は少なくとも3種族いるが、どれもテクノロジーの水準が低いので、無視するか、奴隷にするか、破壊するか、彼らはしかるべき処置をとるだろう。攻撃的な人種にとっては、テクノロジーが至上のものだからである。そしてそこに全世界連盟自体の弱さがあるのだと、ロカノンは考えていた。テクノロジーだけが重要なのだ。前世紀にこの惑星に派遣された二つの使節団は、他の大陸を探索しないうちに、すべての知的生命体と接触しないうちに、この惑星の一種族が、先原子力工業技術の段階に達するように後押しをしたが、ロカノンは、それに待ったをかけ、この惑星のことを学ぶために民族学調査団を自らひきいてここにやってくることになったのだった。このようにして全世界連盟は、最強の敵を迎え撃つ準備をしていた。数百の世界が訓練され武装され、数千の世界が鋼鉄や車輪やトラクターや原子炉を使うように教えこまれつつあった。だがヒフファー(高度な知的生命体の研究者)であるロカノンの仕事は、教えることではなく学ぶことであり、多くの後進世界で暮してきた彼は、武器や機械がすべてであるという考え方に疑問を持っていた。ケンタウロス、地球、セチアンなどの攻撃的な道具をつくるヒューマノイド種によって支配されている全世界連盟は、知的生命体の技能や力や潜在能力を軽視し、あなりに狭い基準にもとずいて判断をくだしてきたのである。」アーシュラ・K・ルグイン「ロカノンの世界」(1966年)より

▼岡本太郎 (芸術家)
1938年、パリ大学ソルボンヌ校の民族学科に入学。詩人のミシェル・レリスらと共にマルセル・モースから民族学を学ぶ。後にその成果が「縄文文化論」や絵画作品に結実する。

▼ジャン=リュック・ゴダール (映画作家)
1949年、パリ大学ソルボンヌ校で人類学を専攻。人類博物館にあったアンリ・ラングロワのシネマテークに通いつめ、ロバート・フラハティの民族誌映画「ナヌーク」などの作品にふれる。ジョルジュ・デュメジルの神話学に啓発されるが、映画の批評と制作に専念するため大学を中退。その影響は映画「ウィークエンド」でのエドワード・タイラー「古代社会」の朗読などにもみられる。

▼ザック・デ・ラ・ロッチャ(ロック・ミュージシャン)
レイジ・アゲインスト・ザ・マシンのヴォーカル。政治色の強いチカーノ壁画家である父と、文化人類学の博士号を持つ反戦活動家である母の間に生まれる。

▼ジョゼフ・コスース (現代美術家)
1975年、NYのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで人類学と哲学を学んだ後、論文「人類学者としての芸術家」を発表。意味やルールなどの見えない文化を見えるものにするという点で、現代美術家の仕事と人類学者の仕事には、たがいに共通するところがあると論じる。
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# by mal2000 | 2005-04-14 14:03
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(前編)
YouTubeにある下記のムービーを参考に、人類学者になりそこねた作家たちに共通するものの見方や考え方、また、生き方や信念があるとすれば、それは何か考えてみましょう。


▼カート・ヴォネガット「カート・ヴォネガット」

「第二次世界大戦ののち、わたしはしばらくシカゴ大学に通った。人類学科の学生であった。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間はひとりもいないということである。わたしの父が亡くなる少し前に私にこういった。「お前は小説のなかで一度も悪人を書いたことがなかったな」それも戦後、大学教わったことのひとつだ」(カート・ヴォネガット)


▼「そういうものだ/カート・ヴォネガット1922-2007」

[教材] 「文化人類学者になりそこねた作家、カートヴォネガット、人類学を語る」

(*画像をクリックすると拡大します)



▼アーシュラ・クローバー・ルグイン「ラヴィニア」

「いったいなぜなのだろう。人間の社会は不可避的にピラミッド構造を呈し、権力は頂点に集中するのだろうか?権力の階層性は、人間の社会が実現せずにいられない、生物学的規範なのだろうか?こうした問いはほとんど確実に表現が不適切で、それゆえ解答不可能なのだが、相変わらず持ち出されては、答えられつづけており、この問いかけをする人間の出す答えはたいていの場合、イエスなのである。このように想定された普遍性に対し、人類学はいくつかの例外を提供する。民族学者たちは固定的な命令系統をもたないさまざまな社会を記述してきた。こうした社会において、権力は、不平等にもとづく厳格な体制のなかに封じこめられている代わりに、流動的に、それぞれ違った状況下では、異なった仕方で共有され、常にコンセンサスへと向かう抑制と均衡の原則によって機能する。人類学者たちはジェンダーに優劣をつけない社会を記述してきた。ここであげた社会はみな、わたしたちが「原始的な」と形容する社会であるが、ここでわたしたちはすでに価値の階層化を行っている。原始的=低い=弱い、文明化された=高い=強いというように。もし人間が不公平と不平等を、口で言っているほど、頭で考えているほど憎んでいるとしたら、偉大な帝国の数々、大文明の数々のうちひとつとして15分以上存続し得ただろうか?もしわたしたちアメリカ人が不公平と不平等を、口で言っているほど熱烈に憎んでいるとしたら、この国の人間がひとりでも食べものに困ることがありうるだろうか?わたしたちの努力によっては、不完全な公平さしか、限られた自由しか獲得できないのだ。しかし公平さがまったくないよりはましである。あの原則、つまり解放奴隷だった詩人の語った自由への愛にしがみつき、手放さないようにしよう」。(アーシュラ・クローバー・ルグイン)

[教材] 「文化人類学者を父に持つ作家、アーシュラ・クローバー・ル・グイン、人類学を語る」

(*画像をクリックすると拡大します)



▼岡本太郎「岡本太郎は爆発する」

「私は民族学科に移った。この学問はまったく実証的に、研究者の主観や思惑、感情を排除して、対象そのものをとらえ、帰納的に結論を得ようとする。およそ芸術活動とは正反対なこのあり方に私は逆に情熱を燃やし、打ち込んでいった。自分の運命自体に挑むようなつもりで。マルセル・モース教授の弟子になって一時は絵を描くことをやめてしまった。マルセル・モースの講義はとりわけ幅がひろく、深い手ごたえがあった。教授はフランス民族学の大きな柱であり、父のような存在だ。フィールドに出たことがない民族学者として有名だが、その目配りは人間社会のあらゆる事象にゆきわたり、言いようもなく鋭い。この人の偉大なイメージを何とかあらためて生き返らせたいと、パリ大学の民族学教授で、映像記録の専門家であるジャン・ルーシュが企画をたてた。ミシェル・レリス、構造主義で有名なレヴィ=ストロース、それに私の三人を映すという。この映画はまず、こんな質問からはじまる。「なぜ芸術家であるあなたが、マルセルモースの弟子になったのですか?」「芸術は全人間的に生きることです。私はただ絵だけを描く職人になりたくない。だから民族学をやったんです。私は社会分化に対して反対なんだ」。事実、私はそれを貫き通している。絵描きは絵を描いてりゃいい、学者はせまい自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいというこの時代。そんなコマ切れに分化された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない。それはこの社会の現状では至難だ。悲劇でしかあり得ない。しかし、私は決意していた」(岡本太郎)

[教材] 岡本太郎「芸術と人生」


▼ジャン=リュック・ゴダール&フランソワ・トリュフォー「アンリ・ラングロワを擁護する」

「今まさに我々は、未開社会のなかで生きている。コカコーラやGMといったトーテム、呪術的な言葉、儀式、タブーといったものにかこまれて生きている。形態はなにひとつ変わってはいないのだ 」(ジャン=リュック・ゴダール)

[教材] J-L・ゴダール「カメラアイ」「こことよそ」「ウィークエンド」「リア王」ほか
     イルコモンズ編「切り裂きジャンとつなぎ屋リュック」


▼ジャン-リュック・ゴダール「たたえよ、サラエヴォ」


▼ウィリアム・S・バロウズ「感謝祭 一九八六年十一月二十八日」

「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)


▼ハリー・スミス


▼ゾラ・ニール・ハーストン「ジャンプ・アット・ザ・サン」


▼キャサリン・ダンハム


▼グレゴリー・ベイトソン


▼レイジ・アゲインスト・ザ・マシン

これらの作家たちは、みなそれぞれに非常に個性の強い作家たちなので、まず彼ら以外の、SF作家や詩人、芸術家、映画監督、音楽家たちと彼らを「比較」してみると(「比較」と「収集」は文化人類学の基本的手法です)、その特徴がよくみえてきます。そのうえで、彼/女らに共通するものを考えてみてください。ヒントは、近代、文明、社会、西欧、常識、良識、価値観、前衛、実験、政治、収集、引用、記録、編集、批評、多才、などです。

この「文化人類学者になりそこねた作家たち」のものの考え方や作品には文化人類学者(になった人たち)が、専門的で個別的な研究に没頭するあまり、しばしば忘れてしまいがちな文化人類学の原点や原像のようなものをみることができます。もっともそこではそれが、いくぶんラディカルで、アヴァンギャルドで、クリティカルなかたちで現れていますが、このラディカル(根本的・過激)であること、アヴァンギャルド(前衛的・実験的)であること、そして、クリティカル(批判的・批評的)であることもまた文化人類学という学問の隠れた面なのです。
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# by MAL2000 | 2005-04-14 12:07
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)

▼[空想の美術/博物館] イルコモンズ監修「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展
フレッド・ウィルソン「防衛の景観」/スーザン・ヒラー「ラスト・サイレントムービー」「フロイト・ミュージアムから」/ルネ・グリーン「サ・マイン・シャルマンテ」/イルコモンズ「大阪市立近代美術のアナーキスト・インフォショップ」「イルコモンズミュージアムから」/ジョセフ・コスース「ひとつと3つのイス」「来訪者と異邦人・ルールと意味」/ローター・バウムガルテン「未整理の事物」/クレメンティーヌ・デリス「メトロノーム第10号」/ヲダ・マサノリ「イマジン・アナザー・ピープル」「ギヴ・ピース/ピース・ア・チャンス」

▼「人類学者としてのアーティスト、アーティストとしての人類学者」
「人類学者は共同体の一部ではない。彼はみずからが研究する文化の外側にいる。研究対象である人びとに対して彼が何か影響をあたえるとしても、それは自然現象が人びとにあたえる影響と同じ程度のものである。人類学者は社会的枠組みの一部でもない。かたや、「人類学者としてのアーティスト」は、みずからが身を置く社会・文化的な文脈の内部でものごとを操作し、展開させようとする。社会の中にしっかり浸かっているゆえにそれは社会的なインパクトを与える。そしてアーティストのさまざまな活動が文化を具現するのである」(ジョセフ・コスース)



▼「全世界を異郷と思う者」
「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。」(サン・ヴィクトルのフーゴー)

▼「アドルノのアイロニー」
「わたしたちは、自分の故郷や言語を「当然」のものとみなすので、それらは「自然」なものになるが、それらを支える諸前提は気づかれることなく、ドグマや正統思想になる。したがって、自分の家でくつろがないことは、道徳の一部であるのだ。」(エドワード・サイード)





▼ブルース・ナウマン「人類屋/社会屋(anthro/socio)」
[ナレーション] 
FEED ME!! EAT ME!! ANTHROPOLOGY!!
HELP ME!! HURT ME!! SOCIOLOGY!!
FEED ME!! HELP ME!! EAT ME!! HURT ME!!

▼「言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ」
「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)


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# by MAL2000 | 2005-04-01 07:08
▼「文化人類学者になりすました人たち」
「文化人類学が
どんな学問なのかを知りたければ、
文化人類学を研究している
人びとになりすましている人たちを
まず見るべきである」
(「文化人類学解放講座」)



「なりそこねた人たち」がいる一方には、「なりすました人たち」もいるもので、右の写真は、アフリカのイグボ族の仮面の祭に登場する「文化人類学者」(になりすました人)です。この祭りでは、「文化人類学者」は、いつもノートとペンを決してはなさず、あらゆることをすべて書きとろうと身がまえている「変わり者」のキャラクターとして演出され、登場します。こんなふうに文化人類学者に「なりすました人たち」は、映画のなかに数多くみることができます。

今回は「文化人類学者」(になりすました人たち)が登場する劇作映画を観ます。ジャンルは、ホラー、オカルト、フェイク・ドキュメント、コメディと、さまざまですが、それぞれの映画のなかで「配役=キャスト」として「演じられた文化人類学者」たちの発言や行動、ものの考え方や職業上の立場に注意しながら観てみましょう。


[教材]
たたり」1963年 アメリカ [ホラー]
マニトゥ」 1978年 アメリカ [オカルト]
人喰族」 1981年 イタリア [秘境もの]
食人族」 1979年 イタリア [秘境もの]
Dr.ジャガバンドー」1998年 [コメディ]
これらの映画に登場する人類学者たちのキャラクターは、いずれも「フィクション」であり、脚本家が書いたシナリオにしたがって演技されたものですが、「文化人類学者になりすました」プロの役者たちによって演じられた、そのふるまいからは、ホンモノの文化人類学があまり語らない、あるいは、語るまでもないと考えている、文化人類学の最もベーシックでコアな部分が見えてきます。


▼「文化人類学者になりすました人びと」 (jpg/141KB)
(「たたり」、「マニトゥ」、「人喰族」、「食人族」、「Dr.ジャガバンドー」、「緑のアリの夢見るところ」、「デモンズ2000」、「カバルリ」など)

これらはすべて脚色され演出された「ニセモノの文化人類学者」で、文字どおり「文化人類学者になりすました人たち」でしかないのですが、そうしたニセモノには「ホンモノの文化人類学者たち」以上に、また「文化人類学者になりそこねた人たち」以上に、文化人類学の原点や原像がきわめてはっきりと目に見えるかたちで示されています。「文明」「西欧中心主義」「自文化中心主義」「人種差別」といった言葉とともに、それに対する批判的な立場が、ややショッキングで、かつドラマチックなかたちで示されていたと思います。これについては今後の講義でくり返しとりあげてゆく予定ですので、それはひとまずさておき、今回は「文化人類学」という学問を、抽象的なことばで定義するのではなく、具体的な目に見える事例を通して考えてみる、ということをしましたが、これは文化人類学の基本的な方法でもあります。また、文化人類学という学問を、文化人類学者たちの姿かたちからだけでなく、文化人類学者になりそこねた人たちやなりすました人たちの姿から考えてみるということをしましたが、実はこんなふうに、一見すると「いかがわしい」ものや「例外的なもの」あるいは「副次的なもの」や「周縁的なもの」を積極的にとりあげ、そこから、ものごとの見えない側面や、当たり前すぎてもはや話題にもされないような前提にもう一度照明をあて、それについて考えなおしてみるという、このやり方もまた文化人類学の手法なのです。


▼「たたり」
「私の家はイギリスの名門で、ビクトリア時代の思想でこり固まっており、実利一点ばりだった。その反動で私は非実利的になった。オックスフォードで法律を専攻せず、父とケンカになり、アメリカへ来て勉強することにしたが、人類学を選んだ理由は、霊魂や死後の世界を研究したいからだ。だが、その後、気づいた。人類学と心霊現象を統合できれば役に立つと。心霊は純粋に精神的なものだ。これを解明できれば、おそらく人間の精神を高めるのに利用できる」 (ジョン・マークウェイ「たたり」より)


▼「マニトゥ」

【警告】
「ただいまから上映する作品は、これまでに制作された映画の中でも特に暴力的のものです。野蛮な拷問や
残酷な虐待のシーンが数多く登場します。そのような忌まわしい嫌悪すべきものを見ると気が動転してしまう
という方は、どうかこの映画をご覧にならないで下さい。」映画「Cannibal Ferox」(1981年)より



▼「人喰族」


▼「食人族」

俗に「緑の地獄」映画と呼ばれる、南米のアマゾンを舞台にしたイタリアのカニバリズム映画を2本続けて見ましたが、いかがでしたでしょうか。まともな文化人類学者が見たら、眉をひそめるような映画ですが、監督のウンベルト・レンツィが語るように、これらの「映画にはあるメッセージが隠されて」いて、そのメッセージを伝えるのにふさわしい役として、文化人類学者が選ばれ、そのメッセージをこんな風に表現しています。


文化人類学者(役)
グロリア・ディヴィスの見解
「白人優秀主義がいけないのよ」
キー・シークエンスを見る



文化人類学者(役)
ハロルド・モンローの見解
「本当に野蛮人なのは?」
キー・シークエンスを見る
ここで文化人類学者役の2人の俳優がそれぞれ表明しているのは、「自文化中心主義(エスノセントリズム)批判」と「西欧文明批判」、「植民地主義批判」、そして、「文化相対主義」というものの考え方で、この2本の映画は、文化人類学のコアともいえる、こうした考え方を、カニバリズム映画という、人の感情に強く訴えかけるショッキングなメディアを使って、レッスンしてくれているといえなくもありません。

文化人類学者のレナート・ロサルドは、「文化についての記述は、ただ濃密なだけでなく、インパクトを与えるやりかたを探るべきだ」といってますが、こうしたカニバリズム映画はその裏ワザのひとつといえるかもしれません。「自文化中心主義批判」「西欧文明批判」「植民地主義批判」、「文化相対主義」と、ただ用語をならべるよりもずっと効果的で、それらについて、もっと知るきっかけになるのではないでしょうか。とはいえ、この映画に登場する「ヤノマモ(ミ)族」は、ブラジルに実在する人びとで、この映画でのその「文化の記述」は、決して正しいものではないので、なるべく近いうちに、この講義で、ヤノマモ族の日常生活を記録したドキュメント映画を見るつもりです。


▼「Dr.ジャガバンドー」

文化人類学者のレナート・ロサルドは『文化と真実』という本のなかで、こんなことを書いています。

「民族誌が文化の研究にとって役に立つ視点であることがようやく認められた、そのちょうど同じ頃、民族誌のホームグラウンドである文化人類学はあるピンチに陥っていた。古典的な民族誌の読者たちが次第に「裸の王様シンドローム」に感染してきたのである。かつては、文化の研究の王様にふさわしい堂々とした衣装を身にまとっていたはずの文化人類学がいまや、まぬけな裸の王様のように見えてきてしまったのである。
かつては「これこそ本当の真実」のように読めた言葉が、いまではパロディのように、あるいは、多くの見解のうちのひとつにしかすぎないように思えてきたのである。そのせいで、かつてはあれほど尊敬されていた民族誌の書き方の退屈さが驚くほどあからさまになってしまった。」レナート・ロサルド『文化と真実』

そうなると、文化人類学者が書く退屈な民族誌よりもむしろ、「裸の王様」のキャラクターがそうであるように、文化人類学者というキャクラターの方がかえって面白い対象になってきます。

「クリッペンドルフ族」という文化人類学者を主人公にしたコメディ小説とその映画は、文化人類学をめぐるこの大きな「変化」を物語るものです。かつて、スーザン・ソンタグは、「英雄としての人類学者」というエッセイを書きましたが、これから先、そのようなエッセイが書かれることは、まずないでしょう。特にこの映画を見てしまった後では...

「Dr.ジャガバンドー」(1998年 98分 アメリカ映画 
日本劇場未公開 原題=Krippendorf's Tribe)
[あらすじ] 妻を亡くし、三人の子供の世話に追われている人類学者のクリッペンドーフ教授(ドレイファス)。この二年間ニューギニアで調査を続けたが成果はゼロ。大学で講演をしなければならなくなって、つい口からでまかせに未知の部族を発見したと言ってしまう。彼を尊敬する新任のミッチェリ教授(エルフマン)は大張り切りで、この驚くべき発見をマスコミに売り込んだ。さあ困った、どうしよう。やけっぱちの教授は息子たちに仮装させ、幻のシェルミッケドム族の記録映画をでっち上げたところ、これが大受け。ライバルのアレン博士(トムリン)は証拠を求めてニューギニアに飛んだ。いかさまがばれるのは時間の問題だ。

[参考資料]
フランク・パーキン
「クリッペンドルフ族」1986年
*映画の原作

ロバート・ラザルスキー
「クリッペンドルフを脱構築する:映画による人類学の教育」
(Deconstructing Krippendorf: Anthropological
Pedagogy with a Feature Film) 
*アメリカ人類学会(1998年)での講演


▼「映画館の人類学者」

このように、ものごとには、
戯画化されることによってはじめて見えてくるものもあり、たしかにそれは決して、客観的でもなければ、また、全般的事実ではないにしても、それは、ある角度や視点から見た相対的で「断片的な真実」を伝えてくれるものです。

▼「人類学者来襲!!」「IQテスト」
 「マッドメン」ほか


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# by mal2000 | 2005-03-09 01:16
▼文化相対主義の発見

▼「文化相対主義」(*画像をクリックすると拡大します)

[補足資料] 自民族中心主義から文化相対主義への歩み

「民族学的資料の収集の主な目的は、「文明は至高のものではない。その至高性は相対的なものにすぎず、私たちの様々な考えや概念は、私たちの文明のなかでのみ真実である」という事実の普及にこそあるべきだというのが私の意見である」 (フランツ・ボアス 1887年)

「いまや人類学者たちは文化の多様性に気づきはじめ、文化のヴァリエーションのその途方もない幅の広さを認識しはじめている。人類学者たちは、文化を宇宙のごときもの、もしくは、今日の我々とその文明が他の多くのものののうちのたったひとつを占めるにすぎないような広大なる地平のごときものとして文化を理解しはじめている。無意識の自民族中心主義から相対主義への離脱という、この根本的なものの見方の広まりが、なによりのその成果である。自分たちが生きているある特定の時点についての自己中心的で素朴なものの見方から、より広いものの見方への移行は、客観的な比較にもとづくものである。それは天文学における地球中心説からコペルニクス的見方への移行のようなもので、それにつづく太陽系から銀河系へのものの見方の広がりのようなものである」(アルフレッド・クローバー 1923年)

「科学としての人類学の構築は、民族学者の出身文化が、中国であれ、ヒンドゥであれ、フランスであれ、自文化中心主義から脱けだして、まったく新しい意識のモードを打ち立てることを求めることであって、こうした意識のモードは、自文化と戦ってはじめて実を結ぶもので、しかも、それは決して完成することのないものなのです」 (モーリス・ゴドリエ 2001年)
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# by MAL2000 | 2005-03-08 21:56
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