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はじめに
![]() 指導教授は にこやかな顔で 言いました。 自然科学のような ふりをしてる詩を 学んでみてはどうかね? そんなことが できるんですか!? 指導教授は 私の手を握って 言いました。 社会人類学もしくは 文化人類学の世界に きみを歓迎するよ。 カート・ヴォネガット 人類学者というのは、 作家、小説家、詩人に なりそこねた人たち なのです。 J・クリフォード (´∀` )モナー ライフログ
![]() Affinities and Extremes: Crisscrossing the Bittersweet Ethnology of East Indies History, Hindu-Balin カテゴリ
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2009年度後期の「文化人類学解放講座」(別名「文化人類学2.0」)はいつもとすこし違います。昨年は、日本で「G8サミット」が開催されましたので、それにあわせて「世界のアクティヴィズム文化」の(異)文化理解に重点を置いた講義を行いましたが、今年は2008年9月15日のリーマン・ショック以後の、「もうひとつの可能性な世界」を考えることに重点を置いた講義をおこないます。「グローバリゼーション」を「グローバリゼーションに反対している人たちの視点や考え」の方からみてゆく、という基本方針に変わりはありませんが、今年はそれに加え、現在も続いている金融恐慌の原因となった「お金」というモノについて根本的に考えなおし、人類の「もうひとつの可能な生き方」について考えてみたいと思っています。 講義では、「ザ・ビッグワン」「ミッキーマウス、ハイチへゆく」「ジャマイカ・楽園の真実」「ザ・コーポレーション」「ナコイカッティ」など、毎年とりあげているドキュメント映画に加え、「おいしいコーヒーの真実」「女工哀歌」「ウォールマートの安い商品の高い代価」「神なら何か買うか?」、そして「エンロン」「マネー資本主義」「マネーマン」「エンデの遺言」などの映画を紹介してゆきます。また映画「リヴィングルーム」「素人の乱」「インサイド/アウトサイド」「レボリューリョンOS」「アザー・ファイナル」「ジュピターズ・ダンス」「おばさんたちが案内する未来の世界」なども紹介する予定です。 【重要】 後期の講義の内容は「文化人類学解放講座YouTube編」の次のパートをみてください。 第3部:アンチ・グローバリゼーションの文化から グローバリゼーションを考える http://anthropologix.blogspot.com/2007/04/blog-post_03.html .......................................................................................... 【2009年後期講義録】「問題を解決するために 強い意志を持ち、献身的に努力する 市民たちの小さなグループが 世界を変えられるということは、 疑いようがありません。 現に、世界を変えてきたのは まさにそれなのです。」 マーガレット・ミード(人類学者) ・10/10の講義録 http://illcomm.exblog.jp/10319488/ ・10/17の講義録http://illcomm.exblog.jp/10342500/ ・10/24の講義録 http://illcomm.exblog.jp/10368897/ ・11/6の講義録 http://illcomm.exblog.jp/10426949/ ......................................................................................... /消費の惑星」 [グローバル文明批評篇] カラー 6分44秒 ステレオ フェアユース仕様 [映像] ナオミ・クライン「ノーロゴ: ブランド、グローバリゼーション、抵抗」(2003年) F・ポルチーニ「何をみつめているの?」(2002年) [音楽] マーク・スチュワート「消費されたもの」(1998年) [編集] イルコモンズ /RECLAIM THE ANTHROPOLOGIX」 [民族誌映画篇] B&W 6分25秒 モノラル [映像] エドワード・カーティス「闘うカヌーの島」(1914年) ゾラ・ニール・ハーストン「フィールドワーク」(1928年) マヤ・デーレン「神聖騎士」(1947年) [音楽] ザ・スカタライツ「フリーダム・サウンズ」 [編集] イルコモンズ *著作権保護期間が切れたパブリック・ドメイン・フッテージの解放的活用 # by mal2000 | 2007-07-14 08:14
![]() 今年(平成21年)も、このブログをつかって、 「文化人類学」(通年)の講義を行います。 時間割は土曜の3限(13:20-14:50)、 教室は3号館の300人教室(3114)です。 開講日は2009年4月11日(土)。 出席はとりません。 今年は、「グローバリズム世界の終わりと、すでにそこにある、もうひとつの世界」をテーマに、下記のような映画をみてゆく予定です。 ・「世界残酷物語」 ・「ワン・ミニッツ・トゥ・バーン」 ・「クラ・西太平洋の遠洋航海者」 ・「軍隊をすてた国」 ・「ザ・コーポレーション」 ・「ダーウィンの悪夢」 ・「モロ・ノ・ブラジル」 ・「冗談関係」 ・「アザー・ファイナル」 ・「ジュピターズ・ダンス」 ・「コイサンマン」 ・「チョムスキーとメディア」 ・「インプローヴ・エヴリホエア 3」 ・「おいしいコーヒーの真実」 ・「インサイド/アウトサイド」 ・「第四次世界大戦」ほか 講義の内容は、下記のブログを参考にしてください。 ▼「文化人類学解放講座ブログ版」 http://illcommonz.exblog.jp ▼「文化人類学解放講座YouTube版」 http://anthropologix.blogspot.com/ これらのサイトは、文化人類学の「教育と研究目的のために」編集したもので、「フェアユース」にあたるものです。この講義を履修している人も、してない人も、それぞれ自由に、予習・復習・自習・独習に役立てて下さい。 ....................................................................... ![]() 最初の講義で、講義サイトのURLが書いてあるこのスリップを配布します。3枚セットになっていますので、残りの二枚は、講義に来れなかった人や、友だちに分けてあげてください。 小田マサノリ / イルコモンズ(民族学/現代美術/文芸批評/デザイン/映像制作/民衆音楽) 1996年 一橋大学大学院社会学研究課博士課程 単位取得退学 1997年~ 日本学術振興会 特別研究員(PD) 2000年~ アジア・アフリカ言語文化研究所 COE非常勤研究員 2004年~ 中央大学文学部 兼任講師 2009年~ アジア・アフリカ言語文化研究所 特任研究員 連絡先:mod@aa.tufs.ac.jp 【著述】 『人類学のコモンセンス』 『The Uncanny Experience in Cyber Culture』 『リノベーション・スタディーズ』 『音の力』『日常を変える!クリエイティヴ・アクション』 『野生の近代再考-戦後 日本美術史』『美術に何が起こったか』『素人の乱』(共著)のほか 「現代思想」「図書新聞」「美術手帖」「VOL」「文擧界」「文藝別冊」「ユリイカ」「情況」 「10+1」「インターコミュニケーション」「暮しの手帖 別冊」「道の手帖」等に著述多数、 著書なし。→詳細 【展示】 「日本・現代・美術・沈没」(00年 水戸芸術館) 「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」 (01年 ナディッフ)「give piece/peace a chance」(01年 横浜トリエンナーレ2001) 「去年、トリエンナーレで」(02年 横浜赤レンガギャラリー)「EXPOSE2002」(02年 KPO キリンプラザ大阪)「殺すなアンデパンダン」(03年 康ギャラリー) 「アジア文字曼陀羅」 (03年 アジアアフリカ言語文化研究所) 「戦後?」(04年 appel) 「アサバスカンリバイバル」 (05年 AA研) 「バ ング ント」(05年 P-HOUSE) 「アラビア文字の旅」 (06年 AA研) 「台湾資料」(07年 AA研) 「鮮麗なる阿富汗」 (08年 AA研) 「好奇字展」(08年 AA研) 「イルコモンズの回顧と展望(仮称)」展 (08年 大阪市立近代美術館) 「SIGNS OF CHANGE」(08年 EXIT ART)ほか→略歴 【講演】 「リミックスのやめどころを知る」(03年) 「戦後?のなかでの戦後!の詩と工作」 (04年) 「さよなら万博」(04年) 「ザ・フューチャー・ポーヴェラ」(05年) 「若松映画と 暴/力」(05年) 「アドルノにきく、六〇年目の今日、詩をよむことは依然として野蛮なの だろうか」(05年) 「新宿インティファーダ」(05年) 「野生の近代再考-戦後 日本美術史」 (05年) 「アザーミュージック」(05年) 「イルコモンズ・アカデミー」(06年) 「ゴダールの愛の世紀/一なる国家と歴史の孤独に抗する二の愛」(06年) 「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー福岡・大阪・京都・名古屋」(06年)「イルコモンズの"平和授業"」(06年) 「アナーキズムとアートの現在」(06年) 「イルコモンズ・アカデミー」(05-08年) 「イルコモンズの「精密な受信機はふえてゆくばかりなのに、世界のできごとは一日で わかるのに、"知らないことが多すぎる"と、あなたにだけは告げてみたい」(07年) 「民主主義のはじまりの風景~うるさくてめんどくさいことはいいことだ」(08年) 「PRODUCTION AND DISTRIBUTION OF SOCIAL MOVEMENT CULTURE」(08年) 「メディア・アクティヴィズムの回顧と展望」(08年) 「ニューヨークの都市文化」(08年) 「学生運動と人類学」(08年) 「アナーキスト・ドラムギャザリング」(09年) 「「文化人類学者になりそこねた表現者たち」(09年) 【映像】 イルコモンズ・チャンネル on YouTube 【楽団】 T.C.D.C. / ウラン・ア・ゲル / デモス&クラトス 「およそ学者にとって、いちばん安易な道は、自分の学問に一応完結した体系を与えるのに都合のいいように、学問の対象や目的を限定していく方法であろう。私は人生の行路半ばにして迷い込んだ文化人類学という学問になると、当初から、限定された境界や完結した体系などを至難とするほどに、茫漠とした対象領域と性格をもったものではないかと思う。こんなことをいうと、学会の一部から、「いや、それはお前が勝手にそう解釈したり、空想をひろげたりしているだけのことで、この学問には早くから民族学というような名前で限定された対象や目的ははっきりしているではないか。この学問的な伝統からはみ出して、任意に専門分野を拡大していったら、専門というものの純粋性も深さも失われて、単なるアマチュアの教養に堕してしまうばかりだ」という非難をうけることだろう。事実また、私のアカデミックライフは、このような非難にさらされながら、続けられてきたといってもよい。」(石田英一郎) 「私は民族学科に移った。この学問はまったく実証的に、研究者の主観や思惑、感情を排除して、対象そのものをとらえ、帰納的に結論を得ようとする。およそ芸術活動とは正反対なこのあり方に私は逆に情熱を燃やし、打ち込んでいった。自分の運命自体に挑むようなつもりで。パリ大学の民族学教授で、映像記録の専門家であるジャン・ルーシュが企画をたてた。ミシェル・レリス、構造主義で有名なレヴィ=ストロース、それに私の三人を映すという。この映画はまず、こんな質問からはじまる。「なぜ芸術家であるあなたが、マルセルモースの弟子になったのですか?」「芸術は全人間的に生きることです。私はただ絵だけを描く職人になりたくない。だから民族学をやったんです。私は社会分化に対して反対なんだ」。事実、私はそれを貫き通している。絵描きは絵を描いてりゃいい、学者はせまい自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいというこの時代。そんなコマ切れに分化された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない。それはこの社会の現状では至難だ。悲劇でしかあり得ない。しかし、私は決意していた」(岡本太郎) [ダウンロードによる閲覧方法] ▼のマークがある箇所をクリックすると、別のブラウザがひらいて、拡大画像が表示されたり、音声や動画が再生されます。パソコンの接続環境によっては、よみこみに時間がかかりますので、拡張子とファイルサイズを確認のうえ、閲覧してください。 [拡張子]jpg・・・・・・ 画像データ mp3・・・・・音声データ wmv・・・・・動画データ mov・・・・・動画データ MPEG-2・・動画データ MPEG-4・・動画データ ra(m)・・・・音声/動画データ pdf・・・・・・文書+画像データ swf・・・・・・動画データ flv・・・・・・・・動画データ [ファイルサイズ] KB・・・・・・・キロバイト MB・・・・・メガバイト ..................................................................................................... ..................................................................................................... このブログは、MITをはじめとする世界各地の大学で実験的に行われているOpenCourseWareをモデルにした個人ベース(補助金・助成金なし)での実験的教育プログラムです。..................................................................................................... 【教材の共用について】 このブログは、文化人類学の教育と普及を目的とした「教材」として使用する場合にかぎり、講義やゼミなどに、そのまま使用されても構いません。許可の申し込みやご連絡は一切無用です。また、このブログの内容をWEBや講義の プリント等に転載されても構いません。どうかご自由にお使いください。もし、ご要望があれば、ブログに記載のあるヴィデオや音源、図版等を無償で無期限貸与いたします。その場合、郵送代とメディア(CDR/DVD/VHSなど)代の実費のみご負担ねがいます。なお非常勤講師の方に限り、メディア代はいただかず、郵送費のみご負担いただきます。 その他の使用条件については下記の「クリエイティヴ・コモンズ」ライセンスを参照ください。 ![]() This work is licenced under a Creative Commons Licence ![]() [画像]▼文化人類学カバー・リーディング(jpg/370KB)*クリックすると拡大します この講義では、文化人類学の入門書や教科書、用語解説集や専門書はほとんどよみません。その代わりに第一回目の講義では、文化人類学関係の本を一気に約160冊読み(あげ)ます。文化人類学とは、どういう学問なのかを、まずは目と耳で体感してみてください。 (mp3/4.1MB) *ダウンロードにすこし時間がかかります 暴力の文化人類学 助産の文化人類学 理論人類学的探求 会話の人類学 PTSDの医療人類学 法の歴史人類学 実践の医療人類学 一般人類学 植民地人類学 民俗社会人類学 聖と呪力の人類学 言語人類学 聖と性の人類学 開発の文化人類学 自然観の人類学 音楽人類学 シャーマニズムの精神人類学 ジェンダ-の文化人類学 分子人類学 テクノロジ-の人類学 いれずみの人類学 いのちの文化人類学 寄せ場の文化人類学 自然社会の人類学 ヒト・モノ・コトバの人類学 身ぶりとしぐさの人類学 目で見て考える人類学 観光人類学 目からウロコの文化人類学 大文字の都市人類学 食と健康の文化人類学 協調と発展の人類学 贈り物と交換の文化人類学 古事記の文化人類学アフリカの都市人類学 文明の歴史人類学 カニバリズムの文化人類学 相撲の人類学 芸能の人類学 身体の文化人類学 意識の人類学 歯の人類学 シェイクスピアの人類学 入浴の文化人類学 同時代世界の人類学 装いの人類学 医療の人類学 コメの人類学数学の文化人類学 沿線文化人類学 援助の人類学 教育人類学 生活技術の人類学 芸術人類学講義 生態人類学 贈与交換の人類学 ケガレの人類学 演劇人類学 現代人類学 捕鯨の文化人類学 グロ-バリゼ-ションのなかの文化人類学 自然と文化の人類学 個人とエスニシティの文化人類学 企業博物館の経営人類学 わらべうたの教育人類学 裸体人類学 いまを生きる人類学 生き方の人類学 恨の人類学 音と楽器の人類学 生理人類学 臨床人類学 ドグマ人類学 東アジアの文化人類学 地球環境問題の人類学 出産の文化人類学 母乳哺育の医療人類学 食糧確保の人類学 住まいの文化人類学 循環と散逸の経済人類学 解釈人類学 衛生学・文化人類学 食と栄養の文化人類学 生態人類学 現代医療の人類学 日照り雨狐の嫁入りの文化人類学 死と医療の人類学 沖縄の知識人類学 衣服人類学 情報の文化人類学 祭りの文化人類学 俳句の文化人類学 政策文化の人類学 文化批判としての人類学 エイズの文化人類学 オフィスの生理人類学 天皇制の文化人類学 韓国社会の文化人類学 精神分析学的人類学 生理人類学 血液型人類学 食の文化人類学 食の歴史人類学 アジア演劇人類学 中国映画の文化人類学 東南アジア建築人類学 新・競馬の人類学 草相撲のスポ-ツ人類学 水産資源管理の人類学 同時代の人類学 風水の社会人類学 構造人類学 医療人類学 未来の人類学 栗本慎一郎の政治人類学 松浪健四郎のプロレス人類学 九里徳泰の冒険人類学 バイロン・グッドの医療人類学 ゴーゴーバーの経営人類学 異次元交換の政治人類学 実践宗教の人類学 ライフ・サイクルの人類学 歴史学と感覚の人類学 仏と霊の人類学 子ども世界の文化人類学 歯と顔の文化人類学 東京の空間人類学 棄民の文化人類学 方法としての文学人類学 家族の社会人類学 格闘技文化人類学 核家族の社会人類学 病いと障害の人類学 趣味と好奇心の歴史人類学 癒しと呪いの人類学 北の人類学 POPな文化人類学 おはなし生理人類学 ことわざの文化人類学 金属人類学入門 男らしさの人類学 ヤクザの文化人類学 女と男の関係の人類学 くじらの文化人類学 よめはんの人類学 かぼちゃ人類学 木のぼりの人類学 火星の人類学者 装いの人類学 天皇制の文化人類学 水産資源管理の人類学 意識の人類学 脳死・臓器移植の文化人類学 地球環境問題の人類学 アボリジニ社会のジェンダー人類学 いれずみの人類学 シャーマニズムの精神人類学 哭きの文化人類学 からだの文化人類学 シルクロードの経済人類学 子どもの文化人類学 嗜好品の文化人類学 ミクロ人類学の実践 ローカル歌謡の人類学 目でみる人理学 反ポストコロニアル人類学 結婚観の歴史人類学 自然の文化人類学 コモンズの人類学 文化人類学のレッスン 医療人類学のレッスン メイキング文化人類学 癒しと呪いの人類学 資源人類学 対称性人類学 アナーキスト人類学 (つづく) ............................................................................. これは「アッサンブラージュ」と「ポエトリーリーディング」の手法を使って、文化人類学が、どういう学問なのかを、デモンストレーションしたものです。文化人類学の本や論文をひとつづつ個別にみれば、人間とその文化についての「専門的でプロフェッショナルな学問」なのですが、こんなふうにカバーやタイトルだけ寄せ集めてみると、どことなく「雑種の学問」あるいは「雑学」のようなものに思えてこないでしょうか。 [参考] 「およそ学者にとって、いちばん安易な道は、自分の学問に一応完結した体系を与えるのに都合のいいように、学問の対象や目的を限定していく方法であろう。私は人生の行路半ばにして迷い込んだ文化人類学という学問になると、当初から、限定された境界や完結した体系などを至難とするほどに、茫漠とした対象領域と性格をもったものではないかと思う。こんなことをいうと、学会の一部から、「いや、それはお前が勝手にそう解釈したり、空想をひろげたりしているだけのことで、この学問には早くから民族学というような名前で限定された対象や目的ははっきりしているではないか。この学問的な伝統からはみ出して、任意に専門分野を拡大していったら、専門というものの純粋性も深さも失われて、単なるアマチュアの教養に堕してしまうばかりだ」という非難をうけることだろう。事実また、私のアカデミックライフは、このような非難にさらされながら、続けられてきたといってもよい。」(石田英一郎) 実際、雑学的な本が「××の人類学」というタイトルで出版されることがよくありますし、また、そもそも文化人類学自体も、はじめから学問的権威を持った正統な学問だったわけではなく、この100年くらいの間に少しづつ学問の体裁を整えてきた「モダンな学問」なのです。ところで、その文化人類学は、この20年くらいの間、いろいろと厳しい批判にさらされ、いま窮地に立たされています。批判の理由はいろいろですが、それはおおむね、文化人類学が手に入れた学問的な権威にかかわっています。これについては、また改めてお話ししますが、この窮地から文化人類学を解放する方法として、多少、荒療治ですが、文化人類学の起源にあった「雑種性」をすすんで認め、それをとりもどすというやり方もあるのでは、と考えていますので、この講義では、これから以後も、こうした変則的なやりかたで、文化人類学を紹介してゆく予定です。 「ある学問がどんな学問なのかを知りたければ、その学問を 研究している人びとが実際に どんなことをしてるかを まず見るべきである。」 (クリフォード・ギアツ) しかし、ギアツさん、いったい、どこで、どうやったら、文化人類学者と、彼/女たちがやっていることを見ることができるのでしょう? 実のところ、わたしたちが人類学者を目にする機会はそれほどありません。なので、代わりに文化人類学者たちの肖像写真を集めてみることにしました。文化人類学者になりそこねて、のちに文学者になったヴォネガットなら、この写真について、たぶんこんなふうにコメントしたことでしょう。 人類学者というのは「こんなかっこうをしている」 『チャンピオンたちの朝食』より ↓ ▼文化人類学アトラス(jpg /216KB)*クリックすると拡大します。 ![]() これは、ゲルハルト・リヒターというドイツの現代美術家が『アトラス=地図帳/図解集』という作品で考案した、写真のコラージュによる、対象の客観的提示という手法を応用したものです。ほかに、エド・ルッシュやダグラス・ヒュブラーといった写真家たちもこの手法を使った表現を行っています。これは、「文化人類学」という学問がいったいどういう学問なのかを、文化人類学者たちのポートレート写真を通じて実際に目に見えるかたちで提示・表現してみたものです。 左の一番上の写真は「人類学の父」と呼ばれるフランツ・ボアズです。その下がエミール・デュルケム、マルセル・モース、レオ・フロベニウスとつづき、レヴィ=ストロース、マリノフスキー、ルース・ベネディクトと、上から下へ、左から右にすすむにつれて、時代がくだってゆきます。 これを見ると、文化人類学という学問が、どのような時代に生まれ、どのような人種や性別、階級、そして年齢、風貌の人びとによって、行われてきたかがわかりますし、また、最近では、それがすこし変化してきていることもわかります。たとえば、初期の人類学者の多くは、イギリス人、フランス人、アメリカ人でしたが、最近は、インド、スリランカ、ヴェトナム、ラテン・アメリカ、カリブ、中国、日本など、さまざまな国籍を持つ人類学者がいます。こんなふうに、ものごとには、グラフィックなものやビジュアルなものをとおして、はじめて見えてくるものがあります。またそれはこうした「収集」や「比較」という作業によって、はじめてわかることも多いのです。 この講義では、おもにこうした視覚的な資料を使って、講義をすすめてゆく予定です。 [参考] ![]() ▼ゲルハルト・リヒター「48人のポートレート」(1971年) ![]() ▼ダグラス・ヒュブラー「作品44」(1971年) ![]() ▼エド・ルッシュ「26軒のガソリンスタンド」(1962年) --------------------------------------------------- ![]() [追記1] フランスの文化人類学で、映像作家であるジャン・ルーシュがアメリカの女性人類学者マーガレット・ミードを撮影しためずらしいドキュメント・フィルムがありますので、それを最後にご紹介します。マーガレット・ミードはなんだか魔法使いのおばあさんみたいですね。 ▼ジャン・ルーシュによるマーガレット・ミード (wmv/6.14MB) 20世紀の文化人類学者たち (左上から) エドマンド・リーチ メイヤー・フォーテス メアリ・ダグラス アーネスト・ゲルナー ゴドフリー・リーンハート ジャック・グディ フレデリック・バルト マリリン・ストラザーン クリフォード・ギアツ 最近の文化人類学では「文化の語り口(かたりくち)」が問題にされます。つまり「文化をどのように語ればよいのか」ということですが、この問題について考えるまえに、まず、文化人類学者たちの「口調(くちょう)」や物腰(ものごし)」を実際に動画と音声でみてきいてみたいと思います。 [声] E・リーチ、A・リチャーズ、F・バルト、M・フォーテス、G・リーンハート、J・グディ (カラー 2分18秒 日本語字幕なし) [出演] クリフォード・ギアツ、メアリ・ダグラス、ジャック・グディ、ゴドフリー・リーンハート、メイヤー・フォーテス、エリザベス・コルソン、レイモンド・ファース、エドマンド・リーチ、A・I・リチャーズ、ロドニー・ニーダム、フレデリック・バルト、マーヴィン・ハリス、ポール・ラビノー、ロイ・ワーグナー、マリリン・ストラザーン、S・J・タンバイア、アーネスト・ゲルナー、モーリス・ブロック、タラル・アサド、テレンス・ターナー [音楽] Lance Grabmiller & John Bergine "Theme For, Anthropology, Shallow-Glass-Ashland-Night-Driving" + V-ice "Anthropology 101" + Charlie Parker & Dizzy Galespie "Anthropology" (mash-up) .................................................................................... 【参考】 21世紀の文化人類学者たち 民主主義について話すアナーキスト人類学者デヴィッド・グレーバー 反-植民地主義人類学者、マイケル・タウシグ
(「文化人類学解放講座」より)
![]() 「ある学問がどんな学問なのかを知りたければ、その学問を 研究している人びとが実際に どんなことをしてるかを まず見るべきである。」 (クリフォード・ギアツ) 前回は、文化人類学者クリフォード・ギアツの、このことばをうけ、それを「文化人類学がどんな学問なのかを知りたければ、文化人類学を研究している人びとが実際にどんなひとたちなのかをまず見るべきである」とよみかえて、文化人類学者たちの肖像写真とその著作(の表紙と題名だけ)を見てみるということをしました。 今回は、このギアツのことばをさらによみかえ、文化人類学がどんな学問かを知るための別の実験をしてみましょう。前回、見た文化人類学者たちは、生まれたときから文化人類学者だったわけはなく「文化人類学者になった人たち」です。なった人がいるところには「なりそこねた人たち」が必ずいます。そこで今度は、「なりそこねた人たち」の姿や生き方、またその作品をみることで、文化人類学がどんな学問なのかを考えてみたいと思います。 ▼[教材] 文化人類学者になりそこねた人びと(jpg/264KB)*クリックすると拡大します。 ![]() ミシェル・レリス(詩人) カート・ヴォネガット(SF作家) グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者) ゾラ・ニール・ハーストン(小説家) マヤ・デーレン(映像作家、ダンサー) ロバート・フラハティ (映画作家) ジャン=リュック・ゴダール(映画作家) ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家) アスガー・ヨルン(画家、シチュアシオニスト) ソール・ベロー (小説家) デイジー・ベイツ(福祉活動家) ジョン・ルイス (音楽家) キャサリン・ダンハム(舞踏家) ジャン・ピエール・ゴラン(映画作家) ジョゼッペ・シノーポリ(指揮者) ハリー・スミス(映像作家、民族音楽研究家) ゲーリー・スナイダー (環境活動家) テオ・アンゲロプロス(映画作家) カルロス・カスタネダ(作家) ジョゼフ・コスース(現代美術家) ジェローム・ローゼンバーグ(詩人) ローター・バウムガルテン(現代美術家) トム・ハリソン(ジャーナリスト) ディヴッド・トゥープ(現代音楽家) トリン・T・ミンハ(映画作家) ヴェルナー・ヘルツオーク(映画作家) サム・ライミ(映画作家) シャロン・ロックハート(現代美術家) ブルース・ナウマン(現代美術家) クレメンティーヌ・デリス(現代美術家) ジョアン・ビンゲ(SF作家) スーザン・ヒラー(現代美術家) フレッド・ウィルソン(現代美術家) ルネ・グリーン(現代美術家) アミタフ・ゴーシュ(SF作家) ダン・グレアム(現代美術家) ミルナ・マック(人権活動家) メアリー・ケリー(現代美術家) エド・ルッシュ(現代美術家) ジェイムズ・クリフォード(文芸批評家) 土方久巧(彫刻家) 岡本太郎(芸術家) 牛山純一(TVプロデューサー) ザック・デ・ラ・ロッチャ (音楽家) イルコモンズ(元・現代美術家) 「民族学とは、未開社会という特殊な対象によって定義される専門職ではなく、いわば、ひとつのものの考え方であり、自分の社会に対して距離をとるならば、私たちもまた自分の社会の民族学者になるのである」(モーリス・メルロ=ポンティ) グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者)/カート・ヴォネガット(SF作家)/岡本太郎(芸術家)/ジャン=リュック・ゴダール(映画作家)/ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家)/ゲーリー・スナイダー (環境活動家)/アーシュラ・K・ルグイン(SF作家)/ジョゼフ・コスース(現代美術家)/イルコモンズ(元・現代美術家)/ザック・デ・ラ・ロッチャ (音楽家)/フレッド・ウィルソン(現代美術家)/シャロン・ロックハート(現代美術家)/デヴィッド・ラン(劇作家) ................................................................................... 【事例】人類学者になりそこねた作家たちのプロフィール ・ウィリアム・S・バロウズ (作家/芸術家)1936年、ハーバード大学で人類学と文学と言語学を学んだ後、大学院では文化人類学を専攻。マヤ文明の考古学とナヴァホ・インディアンの言語学を研究し、後にその成果が、カットアップ小説「ア・プーク・イズ・ヒア」に結実する。 ・岡本太郎 (芸術家) 1938年、パリ大学ソルボンヌ校の民族学科に入学。詩人のミシェル・レリスらと共にマルセル・モースから民族学を学ぶ。後にその成果が「縄文文化論」や絵画作品に結実する。 ・カート・ヴォネガット Jr.(SF作家) 1944年、シカゴ大学人類学部で文化人類学を専攻。当時の学部長はロバート・レッドフィールド。1947年に同学部に修士論文を提出するが、審査で不合格となる。論文のテーマは、世界の神話や文学、童話のグラフ分析(!)。後にその成果は、「チャンピオンたちの朝食」での世界の客観的観察記述と相対主義的視点に結実する。 ・ジャン=リュック・ゴダール (映画作家) 1949年、パリ大学ソルボンヌ校で人類学を専攻。人類博物館にあったアンリ・ラングロワのシネマテークに通いつめ、ロバート・フラハティの民族誌映画「ナヌーク」などの作品にふれる。ジョルジュ・デュメジルの神話学に啓発されるが、映画の批評と制作に専念するため大学を中退。その影響は映画「ウィークエンド」でのエドワード・タイラー「古代社会」の朗読などにもみられる。 ・アーシュラ・クローバー・ルグイン(SF小説家) 1929年10月21日、カリフォルニア州バークレー生まれ。父親はドイツ系の文化人類学者のアルフレッド・L・クローバー。母親は、夫が研究で係わったアメリカ最後の生粋のインディアン「イシ」の伝記を執筆した作家のシオドーラ・クラコー・ブラウン。 ・ザック・デ・ラ・ロッチャ(ロック・ミュージシャン) レイジ・アゲインスト・ザ・マシンのヴォーカル。政治色の強いチカーノ壁画家である父と、文化人類学の博士号を持つ反戦活動家である母の間に生まれる。 ・ジョゼフ・コスース (現代美術家) 1975年、NYのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで人類学と哲学を学んだ後、論文「人類学者としての芸術家」を発表。意味やルールなどの見えない文化を見えるものにするという点で、現代美術家の仕事と人類学者の仕事には、たがいに共通するところがあると論じる。 ▼カート・ヴォネガット「カート・ヴォネガット」 「第二次世界大戦ののち、わたしはしばらくシカゴ大学に通った。人類学科の学生であった。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間はひとりもいないということである。わたしの父が亡くなる少し前に私にこういった。「お前は小説のなかで一度も悪人を書いたことがなかったな」それも戦後、大学教わったことのひとつだ」(カート・ヴォネガット) ▼「そういうものだ/カート・ヴォネガット1922-2007」 [教材] 「文化人類学者になりそこねた作家、カートヴォネガット、人類学を語る」 ![]() (*画像をクリックすると拡大します) ▼アーシュラ・クローバー・ルグイン「ラヴィニア」 「いったいなぜなのだろう。人間の社会は不可避的にピラミッド構造を呈し、権力は頂点に集中するのだろうか?権力の階層性は、人間の社会が実現せずにいられない、生物学的規範なのだろうか?こうした問いはほとんど確実に表現が不適切で、それゆえ解答不可能なのだが、相変わらず持ち出されては、答えられつづけており、この問いかけをする人間の出す答えはたいていの場合、イエスなのである。このように想定された普遍性に対し、人類学はいくつかの例外を提供する。民族学者たちは固定的な命令系統をもたないさまざまな社会を記述してきた。こうした社会において、権力は、不平等にもとづく厳格な体制のなかに封じこめられている代わりに、流動的に、それぞれ違った状況下では、異なった仕方で共有され、常にコンセンサスへと向かう抑制と均衡の原則によって機能する。人類学者たちはジェンダーに優劣をつけない社会を記述してきた。ここであげた社会はみな、わたしたちが「原始的な」と形容する社会であるが、ここでわたしたちはすでに価値の階層化を行っている。原始的=低い=弱い、文明化された=高い=強いというように。もし人間が不公平と不平等を、口で言っているほど、頭で考えているほど憎んでいるとしたら、偉大な帝国の数々、大文明の数々のうちひとつとして15分以上存続し得ただろうか?もしわたしたちアメリカ人が不公平と不平等を、口で言っているほど熱烈に憎んでいるとしたら、この国の人間がひとりでも食べものに困ることがありうるだろうか?わたしたちの努力によっては、不完全な公平さしか、限られた自由しか獲得できないのだ。しかし公平さがまったくないよりはましである。あの原則、つまり解放奴隷だった詩人の語った自由への愛にしがみつき、手放さないようにしよう」。(アーシュラ・クローバー・ルグイン) [教材] 「文化人類学者を父に持つ作家、アーシュラ・クローバー・ル・グイン、人類学を語る」 ![]() (*画像をクリックすると拡大します) ▼岡本太郎「岡本太郎は爆発する」 「私は民族学科に移った。この学問はまったく実証的に、研究者の主観や思惑、感情を排除して、対象そのものをとらえ、帰納的に結論を得ようとする。およそ芸術活動とは正反対なこのあり方に私は逆に情熱を燃やし、打ち込んでいった。自分の運命自体に挑むようなつもりで。マルセル・モース教授の弟子になって一時は絵を描くことをやめてしまった。マルセル・モースの講義はとりわけ幅がひろく、深い手ごたえがあった。教授はフランス民族学の大きな柱であり、父のような存在だ。フィールドに出たことがない民族学者として有名だが、その目配りは人間社会のあらゆる事象にゆきわたり、言いようもなく鋭い。この人の偉大なイメージを何とかあらためて生き返らせたいと、パリ大学の民族学教授で、映像記録の専門家であるジャン・ルーシュが企画をたてた。ミシェル・レリス、構造主義で有名なレヴィ=ストロース、それに私の三人を映すという。この映画はまず、こんな質問からはじまる。「なぜ芸術家であるあなたが、マルセルモースの弟子になったのですか?」「芸術は全人間的に生きることです。私はただ絵だけを描く職人になりたくない。だから民族学をやったんです。私は社会分化に対して反対なんだ」。事実、私はそれを貫き通している。絵描きは絵を描いてりゃいい、学者はせまい自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいというこの時代。そんなコマ切れに分化された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない。それはこの社会の現状では至難だ。悲劇でしかあり得ない。しかし、私は決意していた」(岡本太郎) [教材] 岡本太郎「芸術と人生」 ▼ジャン=リュック・ゴダール&フランソワ・トリュフォー「アンリ・ラングロワを擁護する」 「今まさに我々は、未開社会のなかで生きている。コカコーラやGMといったトーテム、呪術的な言葉、儀式、タブーといったものにかこまれて生きている。形態はなにひとつ変わってはいないのだ 」(ジャン=リュック・ゴダール) [教材] J-L・ゴダール「カメラアイ」「こことよそ」「ウィークエンド」「リア王」ほか イルコモンズ編「切り裂きジャンとつなぎ屋リュック」 ▼ジャン-リュック・ゴダール「たたえよ、サラエヴォ」 ▼ウィリアム・S・バロウズ「感謝祭 一九八六年十一月二十八日」 「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ) ▼ハリー・スミス ▼ゾラ・ニール・ハーストン「ジャンプ・アット・ザ・サン」 ▼キャサリン・ダンハム ▼グレゴリー・ベイトソン ▼レイジ・アゲインスト・ザ・マシン これらの作家たちは、みなそれぞれに非常に個性の強い作家たちなので、まず彼ら以外の、SF作家や詩人、芸術家、映画監督、音楽家たちと彼らを「比較」してみると(「比較」と「収集」は文化人類学の基本的手法です)、その特徴がよくみえてきます。そのうえで、彼/女らに共通するものを考えてみてください。ヒントは、近代、文明、社会、西欧、常識、良識、価値観、前衛、実験、政治、収集、引用、記録、編集、批評、多才、などです。 この「文化人類学者になりそこねた作家たち」のものの考え方や作品には文化人類学者(になった人たち)が、専門的で個別的な研究に没頭するあまり、しばしば忘れてしまいがちな文化人類学の原点や原像のようなものをみることができます。もっともそこではそれが、いくぶんラディカルで、アヴァンギャルドで、クリティカルなかたちで現れていますが、このラディカル(根本的・過激)であること、アヴァンギャルド(前衛的・実験的)であること、そして、クリティカル(批判的・批評的)であることもまた文化人類学という学問の隠れた面なのです。 ![]() ▼[空想の美術/博物館] イルコモンズ監修「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展 フレッド・ウィルソン「防衛の景観」/スーザン・ヒラー「ラスト・サイレントムービー」「フロイト・ミュージアムから」/ルネ・グリーン「サ・マイン・シャルマンテ」/イルコモンズ「大阪市立近代美術のアナーキスト・インフォショップ」「イルコモンズミュージアムから」/ジョセフ・コスース「ひとつと3つのイス」「来訪者と異邦人・ルールと意味」/ローター・バウムガルテン「未整理の事物」/クレメンティーヌ・デリス「メトロノーム第10号」/ヲダ・マサノリ「イマジン・アナザー・ピープル」「ギヴ・ピース/ピース・ア・チャンス」 ▼「人類学者としてのアーティスト、アーティストとしての人類学者」「人類学者は共同体の一部ではない。彼はみずからが研究する文化の外側にいる。研究対象である人びとに対して彼が何か影響をあたえるとしても、それは自然現象が人びとにあたえる影響と同じ程度のものである。人類学者は社会的枠組みの一部でもない。かたや、「人類学者としてのアーティスト」は、みずからが身を置く社会・文化的な文脈の内部でものごとを操作し、展開させようとする。社会の中にしっかり浸かっているゆえにそれは社会的なインパクトを与える。そしてアーティストのさまざまな活動が文化を具現するのである」(ジョセフ・コスース) ![]() ▼「全世界を異郷と思う者」「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。」(サン・ヴィクトルのフーゴー) ▼「アドルノのアイロニー」「わたしたちは、自分の故郷や言語を「当然」のものとみなすので、それらは「自然」なものになるが、それらを支える諸前提は気づかれることなく、ドグマや正統思想になる。したがって、自分の家でくつろがないことは、道徳の一部であるのだ。」(エドワード・サイード) ![]() ▼ブルース・ナウマン「人類屋/社会屋(anthro/socio)」 [ナレーション] FEED ME!! EAT ME!! ANTHROPOLOGY!! HELP ME!! HURT ME!! SOCIOLOGY!! FEED ME!! HELP ME!! EAT ME!! HURT ME!! ▼「言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ」「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)
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