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はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
その他のジャンル
▼文化人類学解放講座・後期・第二部

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0017381_9502515.jpg"都市の速度"

「コヤニスカッツィ」
ゴドフリー・レジオ監督
1984年


前回の講義の最後に、「これまで講義で見てきた映像作品のなかで、
興味を持った作品とその理由を書いてください」というアンケートを
実施しましたが、アンケートを集計してみた結果、下記のように、
通常の文化人類学の講義ではまず見ることのない作品が、
古典的な民族誌映画よりも上位を占めるという結果になりました。
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1位: G・レジオ 「コヤニスカッツィ」
2位: ザ・レジデンツ 「エスキモー」
3位: G・ヤコペッティ 「世界残酷物語」
4位: W・ヘルツォーク 「緑のアリが夢見るところ」
5位: M・ベルソン 「クラ・島々をめぐる神秘の輪」

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0017381_8265219.jpg
[左上] 「エスキモー」 
[右上] 「世界残酷物語」
[左下] 「緑のアリ」
[右下] 「クラ」

以下、「ブッシュマン」「極北のナヌーク」「クロスロード」
「冗談関係」「失われた一万年」「コスモス」「ディスインテグレーションループ」
「クラ・西太平洋の遠洋航海者」「ナイナイへの旅」 「デデヘーワ父さんの庭そうじ」
「デデヘーワ父さん 家事をする」「男たちの木の下で」「マニトゥ」「食人族」「人喰族」ほか
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▼アンケートの結果から

この結果を見て、民族誌映画の中で「古典」や「スタンダード」といわれてきた作品の、
同時代的価値や教材的な価値について、もう一度考え直してみる必要がありそうだと、
そう思いました。

というのも、アンケートに書かれた内容を読むと、単に「面白かった」というだけでなく、
上位の作品ほど、異文化だけでなく、自分たちがいま生きている文化や社会について、
よりリアルに、かつ、より深く、考えなおすきっかけになったようだからです。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_9214715.jpgまた、受講者の中には「結び合わせるパターン」を
見つける力を発揮し、映画「コヤニスカッティ」が
暴きだして見せてくれた現代の都市生活における
見えないスピードを、「男たちの木の下で」の
オートバイと車のスピードについての雑談
(後から出発したものが先に出発したものを
追い越すという話)と結びあわせて考えてみる
ということをしてくれた人がいました。

また、前期の講義で見た、映画「ブッシュマン」の中でのコカコーラの表象と
「エスキモー」でのコカコーラの表象を結びあわせ、その共通点と違いを
考えてみるということをしてくれた人もいました。いずれの作品もいわゆる
ドキュメント映画ではなく、現代文明批判の「寓話」のような作品ですが、
ドキュメント作品以上に、いま自分たちが、リアルタイムで現実に生きてる
文化や社会について考えなおすきっかけと刺激を与えてくれる作品です。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_9174198.jpg「ブッシュマン」1980年
ジャミー・ユイス監督

分け合えないモノとは?
人の暮らしとは?
しあわせとは?
よろこびとは?
生きるとは?
文化とは?

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▼文化人類学のふたつの局面

もともと、文化人類学/民族学とは、単に異文化社会の記述と分析に終わるのでなく、
転じてそれが、自文化に対する目をひらかせ、自分たちがいま現実に生きてる
同時代の社会や世界の問題について、考えなおすきっかけとなり、そこから、
いま・ここ〈と〉よそにある、様々な問題(戦争、貧困、差別など)に対する
文化人類学ならではのユニークな発想や指摘、思いがけない示唆や批評が
生まれてくるわけですし、また、そうでなくてはなりません。
たとえば、フランツ・ボアズやレヴィ・ストロース、ピエール・クラストルや
ヴィクター・ターナーをはじめ、マイケル・タウシグ、トリン・ミンハ、ポール・
ラビノウ、アンナ・ツィンなどの民族誌研究や、ディヴィッド・グレーバーの
活動などには、そうした自文化に対する批評的なまなざしが見られます。
かつて、哲学者のモーリス・メルロ-ポンティはこう書いていました。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0017381_523787.jpg「民族学とは、未開社会という
特殊な対象によって定義される
専門職ではなく、いわばひとつの
ものの考え方であり、自分の社会
に対して距離をとるならば、私たちも
自分の社会の民族学者になるのである」



文化人類学には「異文化を知る」という局面と、そこから「自文化を知りなおす」
という局面の、ふたつの局面があります。通常の文化人類学の講義では、
前者の方にアクセントが置かれることが多いのですが、この講義では、文化
人類学を専門家以外のより多くの人に対して開かれた同時代の学問として
解放し、リセットするために、そのアクセントの置き場をシンコペーション的に
ズラし、後者の方により強いアクセントをおいています。それにもともと、
この講義は「未開社会の研究者」や「専門職としての文化人類学者」を
養成するためではなく、文化人類学者に「なりそこなる」ことで、あるいは
「なりすます」ことで、「他の何か」になってくれるかもしれない、あるいは、
「他のものの考え方」をはじめてくれるかもしれない、開かれた人材を
養成するための解放講義ですので、これから以後も、今回のアンケートで
上位にあがった、文化人類学者ではない(・なりそこねた・ならずにすんだ)
作家や音楽家たちが制作した作品を積極的にみてゆくことにします。
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▼ザ・レジデンツのまなざし

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_8211862.jpg「ディスコモー」2002年版
Discomo
ザ・レジデンツ

←DVDのシークレット・トラック
として収録された「エスキモー」の
ディスコ・ヴァージョンとその映像。

ザ・レジデンツの「ディスコモー」(*アルバム「エスキモー」がリリースされた時、
「レジデンツがつくった音楽は本当のエスキモーの音楽とは全然ちがう」という
いかにもありがちな批判に応えて、ならば、「もっとちがったものをつくろう」と、
ザ・レジデンツがセルフリミックスした、「エスキモー」のディスコヴァージョン)
のPVでは、このサイケデリックな映像を背景に「エスキモーの言語には雪を
表現する語彙が40もある」ということや「現在ではその数はさらに増えている」
ということ、そして「英語には23の語彙が存在する」というテロップが挿入されます。
こうした分類の話は、レヴィ=ストロースの『野生の思考』の「具体の科学」などでも
紹介されている、有名なもので、認識人類学の教科書などでもよく目にするものですが、
現在、それが増えていることは、あまり知られてませんし、また「英語に
23の語彙がある」こともあまり話題になりません。小さなことながら、ここには
エスキモー文化の歴史的変動に対するザ・レジデンツの目配りがあり、また、
エスキモーの文化を特殊なものと考えたり、それをことさら「野生」の枠組みに
押しこめてない、ところに注目してください。
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▼エスキモーを演じる

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0017381_12492157.jpg「エスキモーの村」 1901年
The Esquimaux Village
トーマス・エジソン撮影
「エスキモー」には、1901年にエジソンが撮影した「エスキモーの村」という
約1分ほどの短編映画がシークレット・トラックとして収録されています。
これは、エスキモーの村を「再現」」した書き割りのセットで撮影されたものです。
つまり、ザ・レジデンツが行ったエスキモー文化の「再創造」よりはるか以前、
映画が発明されたその6年後には、映画という最新のテクノロジーを使って
エスキモーを模倣するということが行われていたことが分かります。
ザ・レジデンツが1979年以来、「エスキモー」をそのつど最新のテクノロジー
(CD、CD-ROM、DVD)を使ってヴァージョンアップしてきた理由は、どうも
このへんにあるようで、それは二〇世紀の西欧のテクノロジーがそのはじまりから、
異文化をつねに被写体(実験台?)としてきた、という歴史を批評的に反復して
みせているようです。そして前期の講義でお話ししたように、文化人類学を
「モダンな学問」にすることに貢献したフィールドワークは、自動車やカメラ、
フォノグラムやテープレコーダーなど、テクノロジーの発明ぬきには考えられ
ないものでした。ところで、このようにエスキモーの文化を模倣するということは、

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0017381_12551047.jpgエジソンやザ・レジデンツだけでなく、アメリカの文化
人類学の父とされるフランツ・ボアズも、自らエスキモーの
扮装をした一種のコスプレ写真を数多く残しています。
なぜ西欧/人は、このように、しきりにエスキモーの文化を
模倣したり、再創造しようとするのでしょうか?これに
ついては一度考えてみる必要があるかもしれません。
いったい、それはどんなロマン主義なのか?あるいは、
どんな欲望なのか?と。

←エスキモーの扮装をした文化人類学の父
▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0017381_8512683.jpgちなみに、フラハティのドキュメント映画
「極北のナヌーク」(1921年)がはじめて
日本で公開されたときのタイトルは、
「極北の怪異」という題で、このタイトル
からも知れるように、公開当時この映画は
エキゾチックな見世物として見られたよう
です。おそらく、このへんにヒントのひとつが
あるように思います。

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▼記号の反乱

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_9401917.jpgところで、「エスキモー」では、コカコーラや
マクドナルドの商標が文明の「記号」として
選好的に使われていましたが、そこから
さらにすすんで、こうしたグローバル企業
(例えばナイキやP&G)の商標(ロゴマーク)
について、いわゆる「都市伝説」と呼ばれる
ような「うわさ話」や「流言」がまことしやかに
語られるという現象があり、ローズマリー・コンベのように、そうした現象を
アンチ・グローバリズムの観点から研究する文化人類学者もいます。
これについては、次回以降のグローバリズムをめぐる講義のなかで
紹介したいと思います
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▼コヤニスカッティとスペクタクル社会

今回のアンケートので最も評価が高かった「コヤニスカッツィ」のエンド・
ロールの中で監督のグレゴリー・レジオは、この作品を制作してゆく上で
貴重なインスピレーションとアイデアを与えてくれた人物として、イヴァン・
イリイチ(社会学者)やデイヴィッド・モノニエ(ホピ族の長老)など何人かの
名前をあげていましたが、その中にギー・ドゥボールの名前があがっていました。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_8465498.jpgギー・ドゥボールは、人類学者になりそこねた画家
アスガー・ヨルンなどと共に「シチュアシオニスト・
アンテルナシオナル」というグループを創設した人物で、
「ポトラッチ」(このタイトルは北米ネイティヴ・アメリカンの祭の
名前からとられたもの)という雑誌や「スペクタクル社会」という
著作を通して、現代の消費文化や管理社会を鋭く分析し、
批評した思想家であり、映像作家であり、アクティヴィストです。

「コヤニスカッティ」の後半部の現代社会をとりあげたパートには、
たしかに、ドゥボールの著作「スペクタル社会」とそれを映像化した
同名の映画の影響がうかがえます。

「スペクタクル社会」が出版されたのは1960年代ですが、その分析は
今でもなお有効で、カルチュラル・スタディーズなどでもよく使われる
概念ですので、もし時間があれば「コヤニスカッティ」と比較するために、
オリジナル版を全部見るのは無理だとしても、この作品に対する様々な
反響に応えるためにドゥボールが追加制作した「反駁」という短い作品の
方を見てみたいと思っています。


▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_8452924.jpg「スペクタクル社会」1973年(1995年版)
La Societe du Spectacle.
モノクロ 86分
仏語ナレーション+英語字幕つき
▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_8455681.jpg「反駁」1975年
Refutation de tous lese judgement
tant elogieux qu' hostiles sur le film
"La Societe Spectacle"
モノクロ 21分
仏語ナレーション+英語字幕つき
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▼グローバリズムの帝国

今回の講義では、おそらく彼もまた、ドゥボールに影響を受けたと思われ
るM・ムーアが1997年に制作した「ザ・ビッグワン(THE BIG ONE)」という
ドキュメント映画を見ることにします。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_8544435.jpg
▲「ザ・ビッグワン」 1997年
THE BIG ONE 
マイケル・ムーア監督
カラー 91分

この作品は、北米資本の大企業の実態に迫った作品で、P&Gやナイキ社に
代表される北アメリカ資本のグローバル企業の利益追求のネオリベラルな
経営が、いかにアメリカ国内に失業と貧困(ムーアにいわせれば経済的テロ)を
生み出し、またインドネシアでの低賃金労働から不公正な利益を得ているかを
明るみにしてみせた作品です。このドキュメントは「コヤニスカッティ」と同じく、
北米を舞台にした作品ですが、「コヤニスカッティ」を見た時と同じく、これと
同様のことが、日本も含むアメリカ以外の企業によって、グローバリゼーション
という名のもとに、アメリカ以外の国と地域にまで拡大しているという風に
見てください。「ザ・ビッグワン」は、ムーアの作品の中でもあまり見るチャンスの
ない作品だと思いますので、この機会にぜひ見てもらえればと思います。 
ストーリーボードをみる
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▼サイコパスとしての企業

この映画を見て、こうしたグローバル企業の実態や問題について、
もっと理解を深めたいと思った人は、もうじき日本でも公開される
「ザ・コーポレーション」という映画を見ることをお奨めします。
この作品は海外ではすでにDVD化され、インターネット上の
フィルム・アーカイブでも公開されていますので、そこから
ダウンロードして見ることもできますが、なにしろ2時間25分の
かなり長い作品ですので、日本語の字幕のついたものを劇場で
見ることをお奨めします。マイケル・ムーアをはじめ、いずれ、
この講義でも紹介する予定の『NO LOGO』の著者、ナオミ・
クラインやN・チョムスキーなども出演しています。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_9252645.jpg
▲「ザ・コーポレイション」2004年
The Corporation
M・アクバー+J・アボット監督
カラー 2時間25分
出演:ノーム・チョムスキー
ナオミ・クライン、マイケル・ムーア
公式サイト / 日本語版予告篇をみる (3.27MB WMV) / レヴューをよむ
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▼ミッキーマウスの経済学

一方、この講義では、「ザ・ビッグワン」を見た後、グローバリズムについて
さらに理解を深めるために、南米のハイチを舞台にした短編ドキュメント映画
「ミッキーマウス、ハイチへ行く」という作品を見ます。この作品では、
「ザ・ビッグワン」の中では証言のみで、その実態を映像を通して見ることが
できなかった「スウェット・ショップ」と呼ばれる低賃金労働工場の実態を
ハイチの事例を通して見てみることにしたいと思います。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_10311688.jpg
▲「ミッキーマウス、ハイチへ行く~
ウォルト・ディズニー社の搾取のサイエンス」1996年
Mickey Mouse Goes to Haiti:
Walt Diseney and the Science of Exploitation.
NLC監修・CRA制作
カラー 17分

この映画の中に「これじゃまるで生きた死人のようだ」という証言があります。
この言葉の背景にはハイチのブードゥーとよばれる文化があって、それに
ついて知っておくために、もし時間があれば、文化人類学者になりそこねて
映像作家兼前衛舞踏家になったマヤ・デーレンが1950年代に制作した
民族誌映画「神の騎士」も併せて見てみたいと思います。(また時間があれば、
ディヴィッド・バーンが制作した「イレ・アイーエ」(1989年)という作品も
併せてみます)

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_9273083.jpg「神の騎士」1951年
Divine Horsemen:
The Living Gods of Haiti
マヤ・デーレン監督
モノクロ 52分
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▼世界の貧困

この後は、リオ・デ・ジャネイロの路上で暮らすストリート・チルドレンに
ついてのドキュメント映画「路上の子供たち」か、あるいは「スカベンジャー」
と呼ばれる、マニラのスモーキーマウンテンに住むゴミ拾いの子供たちの
暮しを描いた「忘れられた子供たち」のどちらかを見て、"ホワイトバンド"などを
通じてにわかに関心が高まってきた世界の貧困問題について考えみたいと
思います。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_9302911.jpg
[左]四ノ宮浩監督 「忘れられた子供たち」 [右] S・ベルニック監督「路上の子供たち」
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▼反グローバリズムの儀式から見るグローバリズム

その後は「キロメートル・ゼロ」あるいは「WTOとは何か」というドキュメントを見て、
グローバリズムをグローバリズムに反対する人々の抗議行動やメディア行動の方から
見てゆく予定ですが、随時、アンケートをとって受講者の意見を聞きながら、
そのつど何を見てゆくかをを決めてゆきたいと考えています。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_10373713.jpg「キロメートル・ゼロ~
カンクンでのWTO難破」
Kilometer 0:
WTO Shipwreck in Cancun
カラー 58分
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▼戦争としての人生・ナコイカッツイ~見えないスクラップ&ビルド

なお、講義の最後の週は、今回のアンケートでもリクエストの多かった
「カツツィ」シリーズの完結篇「ナコイカッツィ」を見ることにします。

▼文化人類学解放講座・後期・第二部_d0016471_1093620.jpg「ナコイカッツィ」2002年
Naqoyqatsi
G・レジオ監督

#公式サイトをみる
by mal2000 | 2003-10-14 04:13
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