はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
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文化人類学解放講座・答案解放その2
■グローバリゼーションにはんこうしてみよう。そして、わかったことを、はっぴょうしよう。

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○じっけん1:おかねをもたないで、でかけてみる。
○かばんのなかみ:パスネット、ハンカチ、チリ紙、
○ゆきさき:しんじゅく
○きづいたこと:自分の興味が商品→人や風景にかわった。

○じっけん2:けいたいでんわをかいやくしてみる。
○きづいたこと:3日目にともだちから「最近メール来ないけど、
何かあった」と心配された。携帯をもつようになる前にはなかった
心配がふえたみたいだ。
○かんそう:自分には解放感、友人・知人には迷惑。

○じっけん3:てれびをみるのをやめてみる。
○きづいたこと:自分から得ようとした情報した入ってこなくなった。
本をよむ時間、ひとと話す時間がふえた。
○かんそう:時間を大切にするために、テレビはいらない。

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■いくらショッピングしても、満たされないのはなぜなんだろう。ぼくらの世界はきっとモノを豊かにすることは上手だけど、心を豊かにすることは下手なんだと思う。もし今、宇宙人が地球に来たならば、きっとこう言うだろう。
「豊かな星だ。だが、狂ってる」

■解決の手がかりになるもの、それはロマンである。言い換えれば、憧れである。それは裕福になることへの憧れではなく、皆が平等に幸せになることへの憧れである。そして私たちは、自分たちの利益だけを追求することをやめ、憧れを追求するべきである。例えば、ギフトエコノミーというものがある。これは利益を目的とせず、公平な分配を目的としている。コンピュータにおけるwikipedia や青空文庫がそうである。これは他者と共に幸せになろうという気持ちによって、実際に行動しているものの例である。そもそも、憧れとはかっこいいものである。素敵なものである。

■ブッシュマンを知らない人はそれにあこがれることさえできない。
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d0016471_23172023.jpg■(無題)
d0016471_23221685.jpg(参考画像)映画「ブッシュマン」より
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■「私たちにはこの問題を解決することができます。そして私たちはこの問題を解決する倫理的な義務があるのです。日々のこの難題に立ち向かうために、今こそ力をひとつあわせ、そして、行動を起こしましょう」(映画「不都合な真実」)

d0016471_23252193.jpg■サーカスで伝える。「こどもはてっぺんに、よわいものは上に、つよいものは下に」強い者の下で生きてきた中南米の貧しい子供たちはてっぺんで輝く。

■クラの目的はいかにバギを共有するかである。そのためには取引相手の顔などを憶えておかないと年を経て会うときに相手にされない。このことこそ他者と他者が向かい合い、バギという共有物を必要以上に所有することを求めないことから所有欲を抑える。さらに一番よいのは常に他者と繋がっているということである。確かに資本主義で長い年月を過ごしてきた人間には、今からクラのようなギフト経済に切りかえるのは無理かもしれがいが、ギフト経済の中から資本主義に欠けている精神を見出したり取り入れたりすることは可能ではないか。特にクラの精神を学べば、エゴイズムも環境破壊も所有欲も今よりは減るのではないか。なぜならクラは他者を大切にし、有機的に他者と繋がっていることが重要で、そのことがないと成立しない文化だからだ。グローバリズム時代のコギトは、一人で買い物し、独りで存在することだったが、それではスウェットショップなど人権を黙殺する問題が起こってくる。なので、クラのように他者を大切にし、相手に施せるかを一人一人考えることが大切になってくるのではないか。グローバリズムは他者とのつながりを減らし、関係するときは刹那となる。その上、物を買わないと自分の存在が不安になる。だからすぐに金を稼ぎ、物を買うという循環になり、「コヤニスカッテイ」で見たように本当の幸せを感じられなくなってしまう。だからこそ他とつながっている自分を大切にしてゆく「Around me, PEOPLE are therefore i am」というコギトが大切になってくるのだ。

■自分は物を買い、それを消費するために生まれてきたわけではない。自分は消費社会に生きる"ヒト"だが、"心"と"心"のつながりを大切にするために生まれてきた。

■クラの連鎖を映像でみて、人びとの贈り物に対する情熱や贈る相手への愛情、信頼、相手が別の相手から物を受け取ったことに号泣する姿から、自分が生きている社会の価値観とは違う、もっと熱いルールにのっとって生きている彼らの長い間に培われた結束感をうらやましく思った。クラをばからしいと捉える人もいるかもしれないが、物質ばかり豊かな現代社会に対して、クラは精神的な豊かさを教えてくれるものだろう。この精神の豊かさこそがグローバリズムの世界に必要とされているのではないか。

■何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのイヤだ。

■我々は家畜ではない、人間である。

■高級車も家もお金も、あの世に行くときには持っていけないものだ。持っていけるのは経験と感動。経験と感動は生きていて、誰にも盗まれることはない。所有できるもの。本当に大切なモノは、目に見えない。かたちのないものの方が多い。

■milima haikutani, lakini nbinadamu hakutana = 山と山は出会えないけれど、人と人は出会うことができる。(スワヒリ語の格言)

■我々は常に自分の欲求を満たそうとするから、いつまでも満たされないのだ。これは買いものだけに限った話ではないはず。身のまわりだけ豊かにしても、心は貧しいままなのだ。最後の授業の最後の映像に映った女性の笑顔を見て私は思ったのだ。人の笑顔こそが人の心を満たし、あたたかくしてくれるものだと。この笑顔を増やすようにつとめた時に「もうひとつの世界」もみえてくるかもしれないだろう。この結論はありきたりなことを言ってるかもしれない。でも大切なことに気づいたような気がする。笑顔満点。

■人間はとてもじゃないが自然を支配することなどできないと思う。そんなことを考えるのがそもそも間違っている。しかし、現状は環境を破壊している人間がいる。その人たちは自分のしていることが取り返しのつかないことだと知らないのだろうか。自然は正直である。何も話はしないが、正直である。そして、わかりやすい。

■環境問題についてのよびかけ

1:環境問題を鼻でわらいとばす姿勢が大事。
2:お金の為になんでもしよう
3:空気をよごそう
4:大地をよごそう
5:水をよごそう
6:光熱費は誰よりも高く払おう
7:大量生産・大量消費に率先して取り組もう
8:マイナスの現象は爽やかに無視しよう
9:自然をコントロールできると思おう
10:文化人類学の授業はとらないようにしよう

以上、やれることからはじめてください。

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d0016471_23321736.jpg■「ANOTHER WORLD IS
POSSIBLE? 人生ゲーム」

ディズニーの袋で飾られたプレゼント。それを貰う人はその包装紙が、中身がどこで誰に作られたのか、いつだって知らない。

[取り扱い説明書]

盤ゲーム (*コマなし)
○用意するもの:想像力
○対象:0才~大人向け
○取り扱い注意:
買い物族と思われる人と
一緒に楽しんでください。

すくなくとも私と私が知る限りの人は皆、資本主義経済の中を生きている。
働き、誰かに買われるものをつくりながら、見知らぬ誰かが作ったものを
買うことを毎日毎日くりかえしている。その縮図がプレゼントしたゲームだ。
生まれて死ぬまで、さながら人生ゲームのように、自分の幸せ、お金と富を
求めて一日一日を進む。さぁ、人生ゲームをしてみるといい。あっちも
こっちも買い物買い物。

私たちは想像しなければならない。私たちのこの資本主義の世界が一体、
誰によって支えられているのかを。生まれてこのかた、想像してみたことが
あるだろうか?ディズニーの可愛いグッズやブランドもののナイキのシューズ。
その裏には途上国でつくられたスウェットショップの存在があり、そこでは
低賃金ともよべない給料で、長時間働く人がいる。その人たちの苦しみは、
私達に届かない。日本で毎日大量に消費されるコンビニのオニギリは誰が
つくるか知っているだろうか。私はその現場に行ったことがある。
働いていたのは私と同世代の女の子だった。日系人。彼女等はアルゼンチンや
ブラジル。チリから来たと言った。多くの企業は低賃金で働ける人が欲しい。
これからも彼女たちの祖国は企業の工場として狙われ続けるのだろう。

 ちょっとゲームの手を掠めて、まわりをみてごらん。
 物をつくるには人がいる。その人の祖国にもひとがいるんだよ。


私達は夢のなかで生きているのかもしれない。
地球の裏側にいる人間もすべて私たちに準ずる
生活を送っているという夢をみて生きているのかもしれない。
だからなんとなく、その夢を壊しそうな「オカシイ」考えをする人は、
嫌いなのだ。でも、その夢も終わる。現実はそうではないのだから。

 それでもまだこれが、おかしいことに聞こえるだろうか?

友人がその手でつくってくれたものを贈られて粗末にする人はいない。
見知らぬ人に作られた何かを大切に思うことができる世界は、
知らない人を友人と思える世界に似てる。
それはとても人間の心らしい優しい世界ではないだろうか?

 もうひとつのせかいは...

もうひとつの世界は人がひとに戻って、はじめて成る世界のことだ。

いま現在の世界は、人がひとらしくなると、とたんに警備隊が
押し寄せてくる。暴動だと名を付けて優しい行為を脅威にみせてしまう。
資本主義に住む人間が皆で人間の心をとりもどすことが一番必要だ。

「自分のいやがることを人にやってはいけません」

昔、善悪解らないこどものころに言われたことを思い出して、童心にもどればいい。
想像力を持って遠い地球のどこかの痛みを知ればいい。
想像力を持って未来のひとの痛みを知ればいい。

 さぁ、そんなゲームはもう終わりにしよう。人にもどろう。

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■わたしは、買わなければ生きていけないから買う。けれども、どうして買うかを常に思い悩み、買うことと対峙していく。それが、この問いに対する私の答えです。なんで、わたしは買いものをするのかしら?と考えるがゆえに、我あり。

■結論:絶えず考えていく人生

■この人たちは何を楽しんでいるのか?この人たちは本当に理解して楽しんでいるのか?後でたいして評価もつけないであろうことに、いま人生の最高潮でもあるかのうようま笑みをこんなにも平気にさらせるのか?バカになりきれない私が本当にバカなのか。知的であろうとすることと、翻弄されることをごちゃごちゃにしてしまっているのか。私は何も無しに、漠然と物事に疑問をなげかけ、終わりのない闇にはまりこんでしまっているのだろう。悩むことは決して晴れ晴れしいものではない。しかしそれも楽しみだ。私はこういう人間なのだろう。

■様々な花が咲き乱れるがゆえにこの世は美しい。

以上

(以下、感想)
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by mal2000 | 2003-09-11 21:40
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