はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
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d0016471_18504873.jpg▼「文化人類学解放講座」改メ「文芸人類学解放講座」用 教材映画
「ブロディーの報告書~文化相対主義の発見」
(Brodie's Report / An Invention of Cultural Relativism)

[原作] ホルヘ・ルイス・ボルヘス 
[脚色] イルコモンズ
[編集] 小田マサノリ 
[音楽] ポポル・ヴゥ
[朗読] プロ・トーカー 
[監修] 小田昌教
日本語字幕つき B&W+パートカラー 9分21秒

[引用映像]
▼A・ユトロー「ユトロー遠征隊」(1911年 *著作権消滅)
▼H・フレイザー「密林の人」(1941年 *パブリック・ドメイン資料)

d0017381_3495361.jpg[コンセプト] 「文化相対主義」を無味乾燥な定義やことばではなく、感性に訴えかける音声や映像を使って「文芸人類学」的に提示し、文化相対主義的態度の重要性と汎用性を想像させる実験的教材。

[特色] 「マジカル・リアリズム(虚構+史実)」の手法による教示

[該当講義] 文化相対主義の文学と映画をよんで/みる

[参考文献]
J・L・ボルヘス「ブロディの報告書」
B・デ・ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
▼W・ヘルツォーク「フィツカラルド」
▼T・トドロフ「他者の記号学」

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▼「ブロディの報告書」(*画像をクリックすると拡大します)

[シナリオ全文採録] ホルヘ・ルイス・ボルヘス作「ブロディの報告書」より(抜粋)

このディヴィッド・ブロディーなる人物は、スコットランド人の宣教師で、はじめにアフリカの奥地で、次にブラジルのジャングルで、伝導に従事した、という事実をのぞけば、何ひとつ分かっていない。死亡の日時や場所さえも不明なのだが、彼の報告書を忠実に訳してみたいと思う。ただし最初のページは欠けている。

ここには猿人がうようよしているが、ムルク族も暮らしている。ここでは彼らのことを、ヤフー族と呼ぶことにしよう。それは彼らの本性が、動物的であることを読者に忘れてもらいたくないからだ。彼らは、木の実や爬虫類が主食で、猫や蝙蝠の乳を飲み、手づかみで魚を捕る。呪術師や国王たちの死体を生でほおばるのは、その力を自分のものにするためである。種族は王によって統治され、その権力は絶対的である。王妃は王に会うことすら許されていない。四人の呪術師たちがいるが、実はこの数は、彼らの計算における最大数である。彼らは指で「1、2、3、4、そして、たくさん」と数え、親指から無限がはじまる。しかし、交易の相手であるアラブ人でさえも、彼らをだますことはできない。交換の時、品物は四つの山に分けられ、各人がそのそばにぴったりついているからである。ヤフー族は、呪術師には人をアリやカメに変える力がある、と信じている。呪術師は、地獄と天国の観念を持っている。それはいずれも地下にある。明るく乾いた地獄には、病人、老人、猿人、アラブ人、そして、豹が棲むという。一方、暗い沼地である天国には、地上で幸せに暮らした者と、冷酷無残にふるまった者、つまり王と王妃と呪術師が棲むという。以上のことから、私が、ひとりのヤフー族も改宗させることができなかった、と知っても誰も驚かないだろう。彼らの言語は複雑である。文というものが存在せず、ことばのひとつひとつが、包括的な観念に対応し、前後の関係や表情でそれが決まるからである。この種族には詩人がいる。詩人の言葉が人びとの心をとらえると、ひとは畏怖の念に駆られ、静かに詩人のそばを離れる。詩人に精霊がのりうつった、と感じるからだ。彼はもはや人ではなく神であるから、彼を殺すことができる。もし運がよければ、詩人は、北の砂漠に逃げることができる。

ところで、これはある春の朝のことだが、我々は突然、猿人に襲われた。私は武器を手に、そのうちの二匹をしとめた。その時、私は生まれてはじめて、自分に賞賛の声があがるのを聞いた。私はその午後、そこを去った。やがて、黒人の部落にたどりつき、そこで、ある神父の世話になった。最初のうち、神父が大きな口をあけて、食べものを食べるのを見て、気分が悪くなったが、じきに慣れてしまった。神父と神学上の議論を戦わせたことが懐かしく思い出されるが、ついに私は、父なる神イエス・キリストへの純粋な信仰を、とりもどすことはできなかった。

そして、いま私は、グラスゴーでこれを書いている。ヤフー族のなかでの生活について、書いてはみたものの、今でも私の心から、完全に消えることはなく、夢のなかで、襲われる、というその恐ろしさまでは、とうてい伝えきれなかった。通りを歩いていても、いまだに彼らに取り囲まれているような気がする。

わたしの考えでは、ヤフー族は野蛮な種族である。おそらく地球上で、もっとも野蛮な種族である。

とはいえ、彼らの救いとなる、いくつかの点を見落とすようなことがあれば、それは不公平というものである。彼らも、様々な制度をもち、王を戴いている。抽象的な概念がその基礎にある言語をあやつり、ヘブライ人やギリシャ人のように、ものごとは詩の神から、はじまる、と信じている。また肉体が滅んだ後もなお、霊魂は生き続ける、とそう考えている。そして、因果応報の理を信じて、疑わない。要するに、

我々に、文化があるように、彼らにも、文化が、あるのだ。

それゆえに、多くの罪を犯しているとはいえ、彼らとともに猿人と戦ったことを、私は後悔していない。彼らを、救済することこそが、我々の義務なのである。国王につかえる政府の当局者によって、この報告書の言わんとするところが、無視されることのないよう、強く希望しながら、ここでペンを置くことにする。(終)
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by MAL2000 | 2005-03-08 19:55
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