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はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
その他のジャンル
文化人類学解放講座・答案解放その2
■グローバリゼーションにはんこうしてみよう。そして、わかったことを、はっぴょうしよう。

文化人類学解放講座・答案解放その2_d0016471_23134188.jpg
○じっけん1:おかねをもたないで、でかけてみる。
○かばんのなかみ:パスネット、ハンカチ、チリ紙、
○ゆきさき:しんじゅく
○きづいたこと:自分の興味が商品→人や風景にかわった。

○じっけん2:けいたいでんわをかいやくしてみる。
○きづいたこと:3日目にともだちから「最近メール来ないけど、
何かあった」と心配された。携帯をもつようになる前にはなかった
心配がふえたみたいだ。
○かんそう:自分には解放感、友人・知人には迷惑。

○じっけん3:てれびをみるのをやめてみる。
○きづいたこと:自分から得ようとした情報した入ってこなくなった。
本をよむ時間、ひとと話す時間がふえた。
○かんそう:時間を大切にするために、テレビはいらない。

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■いくらショッピングしても、満たされないのはなぜなんだろう。ぼくらの世界はきっとモノを豊かにすることは上手だけど、心を豊かにすることは下手なんだと思う。もし今、宇宙人が地球に来たならば、きっとこう言うだろう。
「豊かな星だ。だが、狂ってる」

■解決の手がかりになるもの、それはロマンである。言い換えれば、憧れである。それは裕福になることへの憧れではなく、皆が平等に幸せになることへの憧れである。そして私たちは、自分たちの利益だけを追求することをやめ、憧れを追求するべきである。例えば、ギフトエコノミーというものがある。これは利益を目的とせず、公平な分配を目的としている。コンピュータにおけるwikipedia や青空文庫がそうである。これは他者と共に幸せになろうという気持ちによって、実際に行動しているものの例である。そもそも、憧れとはかっこいいものである。素敵なものである。

■ブッシュマンを知らない人はそれにあこがれることさえできない。
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文化人類学解放講座・答案解放その2_d0016471_23172023.jpg■(無題)
文化人類学解放講座・答案解放その2_d0016471_23221685.jpg(参考画像)映画「ブッシュマン」より
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■「私たちにはこの問題を解決することができます。そして私たちはこの問題を解決する倫理的な義務があるのです。日々のこの難題に立ち向かうために、今こそ力をひとつあわせ、そして、行動を起こしましょう」(映画「不都合な真実」)

文化人類学解放講座・答案解放その2_d0016471_23252193.jpg■サーカスで伝える。「こどもはてっぺんに、よわいものは上に、つよいものは下に」強い者の下で生きてきた中南米の貧しい子供たちはてっぺんで輝く。

■クラの目的はいかにバギを共有するかである。そのためには取引相手の顔などを憶えておかないと年を経て会うときに相手にされない。このことこそ他者と他者が向かい合い、バギという共有物を必要以上に所有することを求めないことから所有欲を抑える。さらに一番よいのは常に他者と繋がっているということである。確かに資本主義で長い年月を過ごしてきた人間には、今からクラのようなギフト経済に切りかえるのは無理かもしれがいが、ギフト経済の中から資本主義に欠けている精神を見出したり取り入れたりすることは可能ではないか。特にクラの精神を学べば、エゴイズムも環境破壊も所有欲も今よりは減るのではないか。なぜならクラは他者を大切にし、有機的に他者と繋がっていることが重要で、そのことがないと成立しない文化だからだ。グローバリズム時代のコギトは、一人で買い物し、独りで存在することだったが、それではスウェットショップなど人権を黙殺する問題が起こってくる。なので、クラのように他者を大切にし、相手に施せるかを一人一人考えることが大切になってくるのではないか。グローバリズムは他者とのつながりを減らし、関係するときは刹那となる。その上、物を買わないと自分の存在が不安になる。だからすぐに金を稼ぎ、物を買うという循環になり、「コヤニスカッテイ」で見たように本当の幸せを感じられなくなってしまう。だからこそ他とつながっている自分を大切にしてゆく「Around me, PEOPLE are therefore i am」というコギトが大切になってくるのだ。

■自分は物を買い、それを消費するために生まれてきたわけではない。自分は消費社会に生きる"ヒト"だが、"心"と"心"のつながりを大切にするために生まれてきた。

■クラの連鎖を映像でみて、人びとの贈り物に対する情熱や贈る相手への愛情、信頼、相手が別の相手から物を受け取ったことに号泣する姿から、自分が生きている社会の価値観とは違う、もっと熱いルールにのっとって生きている彼らの長い間に培われた結束感をうらやましく思った。クラをばからしいと捉える人もいるかもしれないが、物質ばかり豊かな現代社会に対して、クラは精神的な豊かさを教えてくれるものだろう。この精神の豊かさこそがグローバリズムの世界に必要とされているのではないか。

■何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのイヤだ。

■我々は家畜ではない、人間である。

■高級車も家もお金も、あの世に行くときには持っていけないものだ。持っていけるのは経験と感動。経験と感動は生きていて、誰にも盗まれることはない。所有できるもの。本当に大切なモノは、目に見えない。かたちのないものの方が多い。

■milima haikutani, lakini nbinadamu hakutana = 山と山は出会えないけれど、人と人は出会うことができる。(スワヒリ語の格言)

■我々は常に自分の欲求を満たそうとするから、いつまでも満たされないのだ。これは買いものだけに限った話ではないはず。身のまわりだけ豊かにしても、心は貧しいままなのだ。最後の授業の最後の映像に映った女性の笑顔を見て私は思ったのだ。人の笑顔こそが人の心を満たし、あたたかくしてくれるものだと。この笑顔を増やすようにつとめた時に「もうひとつの世界」もみえてくるかもしれないだろう。この結論はありきたりなことを言ってるかもしれない。でも大切なことに気づいたような気がする。笑顔満点。

■人間はとてもじゃないが自然を支配することなどできないと思う。そんなことを考えるのがそもそも間違っている。しかし、現状は環境を破壊している人間がいる。その人たちは自分のしていることが取り返しのつかないことだと知らないのだろうか。自然は正直である。何も話はしないが、正直である。そして、わかりやすい。

■環境問題についてのよびかけ

1:環境問題を鼻でわらいとばす姿勢が大事。
2:お金の為になんでもしよう
3:空気をよごそう
4:大地をよごそう
5:水をよごそう
6:光熱費は誰よりも高く払おう
7:大量生産・大量消費に率先して取り組もう
8:マイナスの現象は爽やかに無視しよう
9:自然をコントロールできると思おう
10:文化人類学の授業はとらないようにしよう

以上、やれることからはじめてください。

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文化人類学解放講座・答案解放その2_d0016471_23321736.jpg■「ANOTHER WORLD IS
POSSIBLE? 人生ゲーム」

ディズニーの袋で飾られたプレゼント。それを貰う人はその包装紙が、中身がどこで誰に作られたのか、いつだって知らない。

[取り扱い説明書]

盤ゲーム (*コマなし)
○用意するもの:想像力
○対象:0才~大人向け
○取り扱い注意:
買い物族と思われる人と
一緒に楽しんでください。

すくなくとも私と私が知る限りの人は皆、資本主義経済の中を生きている。
働き、誰かに買われるものをつくりながら、見知らぬ誰かが作ったものを
買うことを毎日毎日くりかえしている。その縮図がプレゼントしたゲームだ。
生まれて死ぬまで、さながら人生ゲームのように、自分の幸せ、お金と富を
求めて一日一日を進む。さぁ、人生ゲームをしてみるといい。あっちも
こっちも買い物買い物。

私たちは想像しなければならない。私たちのこの資本主義の世界が一体、
誰によって支えられているのかを。生まれてこのかた、想像してみたことが
あるだろうか?ディズニーの可愛いグッズやブランドもののナイキのシューズ。
その裏には途上国でつくられたスウェットショップの存在があり、そこでは
低賃金ともよべない給料で、長時間働く人がいる。その人たちの苦しみは、
私達に届かない。日本で毎日大量に消費されるコンビニのオニギリは誰が
つくるか知っているだろうか。私はその現場に行ったことがある。
働いていたのは私と同世代の女の子だった。日系人。彼女等はアルゼンチンや
ブラジル。チリから来たと言った。多くの企業は低賃金で働ける人が欲しい。
これからも彼女たちの祖国は企業の工場として狙われ続けるのだろう。

 ちょっとゲームの手を掠めて、まわりをみてごらん。
 物をつくるには人がいる。その人の祖国にもひとがいるんだよ。


私達は夢のなかで生きているのかもしれない。
地球の裏側にいる人間もすべて私たちに準ずる
生活を送っているという夢をみて生きているのかもしれない。
だからなんとなく、その夢を壊しそうな「オカシイ」考えをする人は、
嫌いなのだ。でも、その夢も終わる。現実はそうではないのだから。

 それでもまだこれが、おかしいことに聞こえるだろうか?

友人がその手でつくってくれたものを贈られて粗末にする人はいない。
見知らぬ人に作られた何かを大切に思うことができる世界は、
知らない人を友人と思える世界に似てる。
それはとても人間の心らしい優しい世界ではないだろうか?

 もうひとつのせかいは...

もうひとつの世界は人がひとに戻って、はじめて成る世界のことだ。

いま現在の世界は、人がひとらしくなると、とたんに警備隊が
押し寄せてくる。暴動だと名を付けて優しい行為を脅威にみせてしまう。
資本主義に住む人間が皆で人間の心をとりもどすことが一番必要だ。

「自分のいやがることを人にやってはいけません」

昔、善悪解らないこどものころに言われたことを思い出して、童心にもどればいい。
想像力を持って遠い地球のどこかの痛みを知ればいい。
想像力を持って未来のひとの痛みを知ればいい。

 さぁ、そんなゲームはもう終わりにしよう。人にもどろう。

...........................................................................................

■わたしは、買わなければ生きていけないから買う。けれども、どうして買うかを常に思い悩み、買うことと対峙していく。それが、この問いに対する私の答えです。なんで、わたしは買いものをするのかしら?と考えるがゆえに、我あり。

■結論:絶えず考えていく人生

■この人たちは何を楽しんでいるのか?この人たちは本当に理解して楽しんでいるのか?後でたいして評価もつけないであろうことに、いま人生の最高潮でもあるかのうようま笑みをこんなにも平気にさらせるのか?バカになりきれない私が本当にバカなのか。知的であろうとすることと、翻弄されることをごちゃごちゃにしてしまっているのか。私は何も無しに、漠然と物事に疑問をなげかけ、終わりのない闇にはまりこんでしまっているのだろう。悩むことは決して晴れ晴れしいものではない。しかしそれも楽しみだ。私はこういう人間なのだろう。

■様々な花が咲き乱れるがゆえにこの世は美しい。

以上

(以下、感想)
# by mal2000 | 2003-09-11 21:40
▼文化人類学解放講座・答案解放その3
【感想】
▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_0591823.jpg まず、これらの答案のなかには、「ショッピングの時代」に、「グローバリズムの世界」と「資本主義の社会」で、大量の商品やモノに囲まれ、来る日も来る日も、終わりのない消費に明け暮れながら生きるというのは、いったいどういう「感じ」がするものなのかを、自分自身の体験や実感にもとづいて観察し、考え、それをコラージュやグラフィックデザインを使って視覚的に記述し、表現したものがあります(上の画像はそれをWEB用にサンプリングして、リミックスしたものです)。

 これは僕たちがいま生きている資本主義社会についての「同時代のエスノグラフィー」あるいは「自文化のフォークロア」としてみることができます。もし仮にそれにタイトルをつけるなら「This is what our life looks like」とか「This is what our life feels like」ということになるかもしれません。そこには「~は~である」という定義ではなく、もっとリアリティをもった「実感」や、共有可能な「感覚」が描かれているように思えます。「文化人類学解放講座」の「講義の指針」として、講義のサイトに次の文章を載せていましたが、これらの答案はまさにこの言葉に裏づけを与えてくれたように思います。

 「民族学とは、未開社会という特殊な対象によって定義される専門職ではなく、いわばひとつのものの考え方であり、[民族学者になりそこねて]、自分の社会に対して距離をとるならば、私たちも[同時代の]自分の社会の民族学者になるのである」(モーリス・メルロ=ポンティ)

 この一年間の講義では、結局、文化人類学の教科書や民族誌を一冊も読まなかったので、みなさんは「異文化の民族学者」に見事になりそこねましたが、かわりに自分の社会の民族学者になりはじめてくれたようです。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_165885.jpg また、ここには「グローバリゼーション」という、いま、まさに僕たちの身のまわりで起きている「ち、き、ゅ、う、の、じ、け、ん」に対するはっきりとした意見陳述と態度表明があります。この「文化人類学解放講座」では、文化人類学のもともとの「原点」にあった「文明批判」と「植民地支配に対する抵抗」の精神をもう一度とりもどし、それを最新の文明であるテクノロジーやメディア、そして「新たな植民地支配」である「グローバリゼーション」に対して向けなおすということを行いました。そこでは、みなさんたちよりも一足先にテクノロジーやグローバリズムの問題に気づき、それに疑問を感じ、やがてそれに反対し抗議し抵抗するアクションや作品づくりををはじめた作家やアンチ・グローバリズムのアクティヴィストたちを数多く紹介しました。つまり、グローバリゼーションを学問的に定義するのではなく、それに反対する人たちの声や話にまず耳をかたむけ、その抵抗の行動や表現を見て、いわば逆むきに、あるいは、その裏側の方からグローバリゼーションを考えてゆくということをしました。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_1133094.jpg そこでは、テレビなどのマスメディアでは放映されない(実際に放映されなかったし、おそらくこれからも放映されない)ニュースやドキュメントをできるだけたくさんみました。それを通じて、第三世界のそのまた「周辺」の世界(=第四世界)に存在するスウェットショップとそこで働く女性や子供たちの実態について知り、またメディアの目の届かないところ(あるいは多すぎる情報や情報操作によってカモフラージュされているメディアの裏側と周辺)で起きているブラック・ブロックやアドバスターズ、リクレイム・ザ・ストリート、ホイールマート、ジャンアントパペットなどのユニークでクリエィティヴな「新しい抗議の文化」にふれました(こんなふうに「周辺」に焦点をあて、WEST(西欧)ではなくそのREST(余り)の世界の方に目をむけるのも文化人類学の特徴のひとつです)。

 映像をたくさん使ったのは、映像にはことばでは伝えきれない多くの情報が含まれ、出来事や事件にリアリティを与えるからですが(映像の世紀に生まれ育った僕らはいまや映像がないとそれが真実だと感じられなくなっています)、そうした現実感や信憑性だけではなく、人の顔が見え、その声がきこえる映像は、具体的な他者に対する共感や同情をよびおこし、眠っていた想像力や思考にショックとインパクトを与えることのできるメディアだからで、その効果はできあがってきた答案をみれば一目瞭然です。

 答案では多くの人たちがグローバリゼーションを遠いよその国や社会で起こっている他人事ではなく、自分の問題として意識し、これまでの自分のものの考え方や生き方について疑問をなげかけ、自分の身のまわりにある、持ちものや着ているもの、食べもの、すなわち生活の基本である衣食住と娯楽を改めて見なおし、反省し、考え、迷い、そしてまた考え、ほんの少しだけれど、それまでとは違う視点からものを考え、すこし変わりはじめてくれたようです。それは、いまそこにある不平等や不正に対する驚きと怒り、また未来に対する危機感や警戒の念の表明というかたちで答案のなかにみてとれました。また答案づくりの過程で矛盾に直面し、解決方法が見つからず苦しみもがいたことや、いまの世界に対する失望や嘆きや悲しみを率直に書いてくれた人もいました。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_1214913.jpg 他方では、そこから一歩ふみだし、目の前にあるタフな現実に抵抗して想像力をフルに働かせ、講義の最後にみたトロブリアンドの人びとやブッシュマン、そしてデデヘーワの家族のような生き方はたとえできなくても、そこから学びとったものや呼び醒まされた感覚を手がかりに、「もうひとつの可能な世界」や「ギフトエコノミーの社会」に対する憧れや夢や希望を語り、そのために「いま自分にできること」を自分で考え、それを共有するためのアイデアを提出してくれた人もいます。

 さらに「宣言文」や「呼びかけ文」を書いてくれた人もいれば、「詩」や「漫画」をつくり、「実験の記録」や「記念写真」をとり、「気持ち悪さを体験するキット」や「ゲームを終わらせるゲーム」を工作してくれた人もいます。

 そんなふうに、それぞれが簡単には答えが見つからない問題にとりくみ(でも、考えてもみてください、グローバリゼーションに反対している人たちの中には、世界的に有名な学者や科学者、作家や芸術家たちもいて、その人たちですらまだ答えを出せていないのですから、そう簡単に答えが出てくるはずもありません)、たとえ満足のゆく答えは出せなくても、いま・ここで自分が考えついたことや感じたことをテストの常識にとらわれずに、それぞれ独自のスタイルと方法で本当に「自由」に「表現」できていたと思います。

 結果として、はっきりとした答えや解決が見つからず、断片的でまとまりに欠け、はじめと終わりとでは考えや主張が変わっていたりするような矛盾と混乱の多い答案がたくさんありました。テストの常識からすれば「よくない答案」ですが、この授業では、そういう自分で考えた痕跡のある答案ほど高く評価しています。もとより、こんなテストを受けるのははじめてでしょうし、そもそもこのクラスはアートのクラスでもなければ創作のクラスでもないので、できばえよりもまず、自分でものを考えることやものをつくることやおもしろさやよろこびがこちらまで伝わってくるような答案を高く評価しています。しかし、なかには、こちらがびっくりするくらい完成度の高いものもあれば、また、よんでいるうちに、涙が出てきそうな答案もありました。

 そういう答案をみながら「この一年間、講義をしてきた甲斐があった」と、思うと同時に「こんなに感受性が豊かで、自分でものを考える力のある人たちを前によく講義などできたものだ」とちょっと身のちぢむ思いもしました。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_1555554.jpg ひとつだけ残念なのは、はじめにも書いたように、このテストでは、答えみつけそこねた答案に別の答案が応え、さまざまな手がかりやヒントを示してくれていました。ひとつひとつの答案をみれば、そこには出口がなかったり、突破の可能性が閉じられていたりしますが、全体としてみれば、なにか非常に希望が感じられる答案になっていました。なので、もしこれが紙の上でなく、実際の対話であったなら、そこにいる人たちみんなでその希望を共有することができたでしょうし、対話のなかからもっとおもしろい方法が見つかったかもしれません。それがちょっと残念でしたので、来年はそういう場をつくる方法を考えてみるつもりです。

 ともあれ、文化人類学の講義としてはかなり変則的な講義だったのだ、この講義を受けた人は、ある特定の地域のことやあるトピックについては何でも知ってる「専門職としての人類学者」にはなりそこねましたが、かわりに立派なアマチュアになってくれたような気がします。そして、それもこの講義の指針のひとつでした。サイードはこう書いています。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_1515610.jpg 「現代の知識人は、アマチュアたるべきである。アマチュアというのは、社会のなかで思考し憂慮する人間のことである。... わたしは、自分の専門よりも広い領域の問題についてしゃべったり書いたりしているが、それはわたしが、自分の狭い専門活動のなかではなしえない社会参加を、純然たるアマチュアとしての立場でおこなおうとしているからである」(エドワード・サイード)

 この講義でグローバリズムの問題について思考し、深く憂慮した人は、いまやグローバリゼーションについてのアマチュア思考家になりはじめているので、今後も考えることをやめず、グローバリゼーションについて書き、話し、ものをつくり、そして機会があれば、社会参加というかたちで、その思考をより生きたものにしていってください。

 ここではもうこれ以上、付け加えることはありませんが、こうしてひとつづつ答案を書きうつしてならべかえ、それについての感想を書きながら不思議に思ったのは、この講義で僕は、たしかそんなことまで話した覚えはないのに「いったいどこでそんなことを覚えたのだろう」とびっくりさせられるような答案がたくさんあったということです。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_23445779.jpg 実を言えば、この講義にはノートというのがなくて、いつもその場で考えたことを話したので、自分が何を話し、何を教えたのかほとんどおぼえてません。そもそも「教えた」とすら思ってもいません。一番最初の講義で話したように(そして、いつも話すように)僕には「教える=教育」という意味で、人に「教えられる」ような職業的で専門的な知識は何ひとつなくて、せいぜい僕にできるのは「教える」の、もうひとつの意味である「知らせる」という意味での「教える」でしかなく、この講義で僕がやったのは、他ではあまりみる機会のない、しかし、いま見ておかないといけないと思う映画や、知っておかないといけないと思う映画や出来事のことを知らせ、それを一緒に見たり、一緒に考えたりするということだけだったので、それがひととおり終わった以上、ここでもうつけ加えることはないのです。

 そういえば、こういう感想を書いてくれた人がいました。

 「学校に通っていて、おもしろい授業にはいつくかめぐりあいました。しかし、この授業のような、自分をとりまくものの捉え方を変えられてしまう感覚ははじめてでした。でも、先生は私たちに答えを教えてはいないと思います。まだ私はきっかけを教えられたにすぎません。考えるきっかけを。とても不安定な気持ちですが、可能性もひろがったような気がします。大人になる前にこの授業をうけることができてよかったです」。

 おそらくこれは本当で、僕がこの講義で「教えた」のは情報や映画や本ではなく、「きっかけ」だったのだなと、この感想に逆に「教えられ」ました。もしかすると、いくらかは反抗の精神も教えてしまったかもしれません。たしかに反抗される側からすれば、反抗は煩わしいものかもしれませんが、しかし反抗は決して「悪」ではありませんし、相手が間違ったことをしている場合、それに服従せず、反抗するのは、正しいことでもあるので、どうか安心して、おかしいとか変だと思ったものにはどんどん反抗してください。

 話がそれたので、さっきの感想に話を戻すと、もともと文化人類学というのは「異文化の理解」を目的とした学問ですが、それは必ずしもゴールではなく、文化人類学が最終目的とするのは、異文化の生活や知を通じ、自分が属している自文化とその社会、そして、そこでの生き方について批判的あるいは反省的に考えなおし、「人間とは何か」について考えることが最終ゴールなので、この講義で「自分をとりまくものの捉え方」が少しでも「変わった」としたら、特定の地域や文化に関する専門的な知識は得られなかったにしても、「文化人類学」の講義としては、まずまず成功したといえるかもしれません。

また「現代美術」というのは、ファインアートや商業デザインのように人を喜ばせたり、いい気分にさせるのではなく、あえて人を不快な気分にさせたり、嫌悪感や不安感を与えて、眠っていた人の思考や感覚をゆさぶり起こすものなので、「不安定な気持ち」になったのは申しわけないですが、そういうものなのだと理解してください。

▼文化人類学解放講座・答案解放その3_d0016471_134318.jpg そう考えると、ずいぶん乱暴な講義ですが、それには理由があって、講義のときはいつも、これまでの講義の常識が通じない「他者」や、テストの常識をひっくりかえす「野蛮人」として皆さんの前に立つように心がけていたので、文化人類学が美徳とする異文化と他者に対する寛容の精神をもって、そのへんは、どうか理解してください。

 最後にあともう一言だけ云うならば、「グローバリゼーションの世界」と「もうひとつの世界」については、僕も、この答案に書かれていたのと、だいたいおなじようなことを考えています。そして、今回の答案をよみ、そこで漠然とみえてきたひとつの流れにそって、それをならべなおしてみた時、これから先、自分の考えや仕事を進めてゆくべき方向がなんとなく見えてきたような気がしています。やはり、こういう時代や社会だからこそ、おそれず、ちゃんと「理想」と「人間」と「物語」を語るべきなのだと思いました。それが、この答案から「教えられた」ことの、もうひとつです。

 来年の講義では、映画のほかにアシュラ・K・ル=グインの本などもとりあげ、現実に対抗するファンタジーや想像だけでなく、それよりももっと「大きな物語」である「コスモロジー」の話をしようと思っていますし、さらに「想像力」だけでなく「構想力」と「ものをつくる」ことにも重点をおきたいと思っています。しかし、それはまだ先の話です。

 それでは、どうかよい春休みを。

 このつづきは、春に。
# by mal2000 | 2003-09-11 21:39
▼補講授業のお知らせ
▼補講授業のお知らせ_d0016471_1150338.gif「このつづきは、春に。」と書きましたが、
答案があまりよくできていたので
臨時の補講授業を開講します。

というのも、今回の答案のなかには現物を
実際に手にとって見てもらった方がよいもの
があり、そもそも、どういうきっかけでこういう
答案を思いつき、どういう考えでつくったかを
プレゼンテーションしてもらい、アイデアを
共有し合った方がよいものがあるように思っ
たので、そのための補講をします。

個人的にも、いったいどういう人が、どういう考えでこんな答案をつくったのか、とても
興味があり、ぜひ聞いてみたいと思ったので、やることにします。そういう補講なので、
出席は自由です。また、答案のなかには、ここをこうした方が、そのコンセプトや
モチーフをより効果的に表現できるディスプレイ方法や展示の方法があるように
思えたので「添削」がわりにそれをやってみることにします(もともと現代美術家
だったので、そのへんのコツは多少は心得ています)。

あと、この一年間の講義では、クラスのなかで意見や情報を交換しあう機会があまり
なかったので、それも兼ねて補講をします。もし、もう一度みてみたい映画やヴィデオ
があれば、時間のゆるす範囲で、再上映もしますので、希望があれば、このブログに
遠慮せず書きこんでください。さらに、答案をよんで、思い出したモノや映画もあるので、
それもお見せします。

日時は、試験期間中の1月25日(木)の4限にいつもの3455教室で行います。
念のため、もう一度、云いますが、出席は自由です。興味のある人なら受講者以外でも
自由に参加できますので、なるべく多くの人が集まってくれるとうれしいです。
# by mal2000 | 2003-09-11 21:38
▼補講その1(教材映画篇)


"ANOTHER WORLD IS POSSIBLE?"(2007)
[Image & Text:] Moeno Nagano
[Music] Charles Paul "The Littlest Angel" (1945)
      Harold Arlen & E.Y.Harburg "Somewhere Over the Rainbow" (1939)
      (song by Sarah Vaughan)
[footage] Unknown "Amateur Film Amusement Park"
      (Creative Commons license: public domain footage)
[Remix] illcommonz
--------------------------------------------------------------------
[解説] このヴィデオクリップは、平成19年1月11日に実施した、中央大学文学部の
「文化人類学」の後期試験の際に提出された、下記の答案をもとに、それを映像化
したものです。みたとおり、この答案はとてもよくできていて、ABCや点数ではとても
評価できないと思ったので、こうして映像化して評価することにしました。


▼補講その1(教材映画篇)_d0016471_23321736.jpg■「ANOTHER WORLD IS
POSSIBLE? 人生ゲーム」

ディズニーの袋で飾られたプレゼント。それを貰う人はその包装紙が、中身がどこで誰に作られたのか、いつだって知らない。

[取り扱い説明書]

盤ゲーム (*コマなし)
○用意するもの:想像力
○対象:0才~大人向け
○取り扱い注意:
買い物族と思われる人と
一緒に楽しんでください。

すくなくとも私と私が知る限りの人は皆、資本主義経済の中を生きている。
働き、誰かに買われるものをつくりながら、見知らぬ誰かが作ったものを
買うことを毎日毎日くりかえしている。その縮図がプレゼントしたゲームだ。
生まれて死ぬまで、さながら人生ゲームのように、自分の幸せ、お金と富を
求めて一日一日を進む。さぁ、人生ゲームをしてみるといい。あっちも
こっちも買い物買い物。

私たちは想像しなければならない。私たちのこの資本主義の世界が一体、
誰によって支えられているのかを。生まれてこのかた、想像してみたことが
あるだろうか?ディズニーの可愛いグッズやブランドもののナイキのシューズ。
その裏には途上国でつくられたスウェットショップの存在があり、そこでは
低賃金ともよべない給料で、長時間働く人がいる。その人たちの苦しみは、
私達に届かない。日本で毎日大量に消費されるコンビニのオニギリは誰が
つくるか知っているだろうか。私はその現場に行ったことがある。
働いていたのは私と同世代の女の子だった。日系人。彼女等はアルゼンチンや
ブラジル。チリから来たと言った。多くの企業は低賃金で働ける人が欲しい。
これからも彼女たちの祖国は企業の工場として狙われ続けるのだろう。

 ちょっとゲームの手を掠めて、まわりをみてごらん。
 物をつくるには人がいる。その人の祖国にもひとがいるんだよ。


私達は夢のなかで生きているのかもしれない。
地球の裏側にいる人間もすべて私たちに準ずる
生活を送っているという夢をみて生きているのかもしれない。
だからなんとなく、その夢を壊しそうな「オカシイ」考えをする人は、
嫌いなのだ。でも、その夢も終わる。現実はそうではないのだから。

 それでもまだこれが、おかしいことに聞こえるだろうか?

友人がその手でつくってくれたものを贈られて粗末にする人はいない。
見知らぬ人に作られた何かを大切に思うことができる世界は、
知らない人を友人と思える世界に似てる。
それはとても人間の心らしい優しい世界ではないだろうか?

 もうひとつのせかいは...

もうひとつの世界は人がひとに戻って、はじめて成る世界のことだ。

いま現在の世界は、人がひとらしくなると、とたんに警備隊が
押し寄せてくる。暴動だと名を付けて優しい行為を脅威にみせてしまう。
資本主義に住む人間が皆で人間の心をとりもどすことが一番必要だ。

「自分のいやがることを人にやってはいけません」

昔、善悪解らないこどものころに言われたことを思い出して、童心にもどればいい。
想像力を持って遠い地球のどこかの痛みを知ればいい。
想像力を持って未来のひとの痛みを知ればいい。

 さぁ、そんなゲームはもう終わりにしよう。人にもどろう。

---------------------------------------------------------------------------
[追記1] これ以外にも、よくできた答案がたくさんあったので、それをオブジェにしたり
インスタレーションにしたものを補講の時間に教室内に展示します。今年度の受講者
や来年受講しようと思っている人はじひ見に来てください。そのほかに補講では、
今年の講義ではみることができなかった、もうひとつのクラのドキュメントフィルムや
「キロメートル・ゼロ」などみます。もし可能なら時間を延長して「コヤニスカッテイ」の
続編である「ナコイカッティ」も見ます。「文化人類学解放講座デジタル全集DVD」に
収録したもの(「デデヘーワの庭」「リオの奇跡・こどもは語る」「ニュージェネレーション・
オブアクティヴィスト」など)でリクエストがあれば、それも可能な限り再放映します。
また質問、相談、意見交換その他、なんでも受けつけますが、今日は講義はしません、
今日は答案をつくった人たちのプレゼンテーションがメインです。では、のちほど。

[追記2] *注意:おおきな音がします。


"THE BIRTH OF A NEW EMPIRE " (2007) 1min5sec
TV Comercial Message Ver. (full. w/ credit title)
*Copyleft / Copyright Free

A remix work for a trailler of D.W.Griffith's "The Birth of A Nation"
(1915 *public domain footage) inspired by DJ Spooky's work
"The Rebirth of A Nation" (2006 http://www.djspooky.com/).
#On YouTube http://www.youtube.com/watch?v=Xj7FFA8ejwU

 「もし今、宇宙人が地球に来たならば、きっとこう言うだろう。
 「豊かな星だ。だが、狂ってる」。」
 (「文化人類学解放講座」後期テスト答案より)
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[解説] このヴィデオクリップは、今年の後期試験の答案全体に対する講師からの応答
として制作したもので、この講義でとりあげてきた、高度/後期資本主義文明、消費文化、
ショッピングの時代、テレビというメディアとその見えないメッセージ、時代のスピードと
リズム、グローバリゼーションの帝国、コピーライトという牢獄、もうひとつの世界その他
についての実感と意見を表現したものです。評価は受講者の方と受講者以外の方に
おまかせします。なお、このヴィデオの著作権を放棄しますので、字幕をつけたり、
ナレーションをいれたり、音楽をかえたり、もっと長いものにしたり、音量をしぼったり、
自由に改変してもらって結構です。許可は一切必要ありません。自由に使ってください。
# by mal2000 | 2003-09-11 21:37
▼テストのまとめ
▼テストのまとめ_d0017381_4133967.jpg平成18年度「文化人類学解放講座」の
後期テストのやり方はいつもと同じです。
ただし今回は答案用紙が3種類ありますので、
好きなものを自由に選んでください。
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【説明】
今年(2006年)も大学から「試験中の不正行為未然防止について(お願い)」の
通達がありましたので、「文化人類学解放講座」の今年の夏のテスト(解放模試)の
問題は今年もまたこれです。

▼テストのまとめ_d0016471_432618.jpg
【問題】
前期の講義で見た映画や資料をもとに、自分で回答できる問題を自分でつくり、
その問題に自分で答えを出し、それを自分で評価してください (参照物すべて可、
グループでの話し合い可、PC・携帯・電子辞書などの使用オール可)。

よって今回も「不正行為」はゼロ(無理)です。このテストは、自分がどこまで
インディペンデントに、かつ、フリーになれるかを自分で試す模試(テスト)です。

▼テストのまとめ_d0016471_1543819.jpg▼「答案用紙」

◎後期試験用答案用紙
 Aタイプ pdf版(1.91MB)
 Bタイプ pdf版(4.55MB)
 Cタイプ pdf版(560KB)

◎前期試験用答案用紙
 Dタイプ pdf版(1.59MB)



▼テストのまとめ_d0016471_2532544.jpg【試験中】
知は共有物です。知識は
いくら人に与えてもへらず、
分け合えば分け合うほど
豊かになる共有資源です。
提出された答案はすべて
おもてをむけてテスト中の
教室で公開し、自分ひとり
では思いつかなかったような
答えやその表現のしかたを
互いに共有しあい、みんなが
よりよい答案をつくれるように
しました。

【BGM】
Wunder "Look for Yourself"ほか

【結果】(下図:前期の期末試験の答案)

▼テストのまとめ_d0016471_303451.jpg
知識の共有と協働からできた答案です。文字だけの答案用紙は、それがたとえ、
どんなによく書けていても、1メートル離れて見ると他の答案と区別できませんが、
これらの答案は、1メートル離れてみても、それぞれに個性を表現しています。
人に何かを伝えようとする時は、内容もさることながら、表現の方法も大事です。
どんなにすばらしい内容でも、それを伝える媒体や表現がともなわなければ、
人の目にはとまりません。遠くまで届きません。伝えたい相手に伝わりません。
情報にあふれた社会では特にそうです。また、なにかを表現するにはそれをみる
他者についての想像力が必要です。文化人類学は他者を理解する学問ですが、
しかしその前にまず、他者の存在を想像できなければ、理解もはじまりません。
「想像力よ一歩前に、理屈はあとからついてこい」。これがこの講義のスローガン
です。後期の講義では「グローバリゼーション」について学びます。そこでは
さらにもっと想像力が必要になります。さまざまなドキュメントフィルムをみて、
テレビやマスメディアが報道しない「グローバリゼーションのうらがわ」を知る
だけでなく、グローバリゼーションが地球に与えているダメージや、人類とその
未来(特にこどもたち)に及ぼしている災いとその苦しみを想像することが大事
です。知識だけでは共感も行動もうまれません。たとえば、スウェットショップと
よばれる工場では、第三世界・第四世界のこどもや女性たちが、ひどい労働
条件と環境のもとで、驚くほど安い賃金(時給50円未満)で働かされていて、
それがグローバリゼーションをささえています。そうした、いま・そこにいる・
見えない他者たちの存在を、ただ知るだけでなく、その苦しみやつらさや
みじめさを想像し、それに同情し、そうした不正に対してたちあがった人たちに
共感を感じるような想像力と情動を身につけ、それを表現する方法を学ぶことが、
後期の講義の目的です。

ただひとつ注意しなければならないのは、大胆でユニークすぎる想像力は、
それを理解できない人たちからの誤解をまねきやすいということです。
たとえば、このヴィデオはそれを教えてくれています。

(教材) ▼公共広告機構 「黒い絵」
http://www.youtube.com/watch?v=SNv4hBbu8K4
▼テストのまとめ_d0016471_3552088.jpg
だからこそ、自分の想像しているものを、ただしく表現し、他者にただしく伝達し、
なおかつ、他者と分かち合うための方法や手段を身につける必要があるのです。
この「黒い絵」のこどもの不幸は、自分が想像したものを、誰にも伝えず、自分
ひとりだけでやろうとしたことで、自分ひとりでやること自体はわるいことでは
ありません。本当の不幸は、想像力を表現し伝達し分かち合う方法や手段を
教えてくれる大人がいなかった(あるいは授業がなかった)ことではないでしょうか。
# by mal2000 | 2003-09-11 21:36