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はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
その他のジャンル
▼講師略歴
▼講師略歴_d0016471_14273829.jpg小田マサノリ / イルコモンズ
(文化人類学/現代美術/文芸批評/デザイン/映像制作/民衆音楽)

1996年  一橋大学大学院社会学研究課博士課程 単位取得退学
1997年~ 日本学術振興会 特別研究員(PD)
2000年~ アジア・アフリカ言語文化研究所 COE非常勤研究員
2004年~ 中央大学文学部 兼任講師
2009年~ アジア・アフリカ言語文化研究所 特任研究員
2011年  多摩美術大学芸術学部 非常勤講師
2013年  専修大学人間科学部 非常勤講師
2014年~ 立命館大学アジア太平洋大学 非常勤講師
2014年~ 法政大学キャリアデザイン学部 兼任講師
2014年  上智大学グローバルコンサーン研究所 事務局員
2015年~ 大妻女子大学文学部 兼任講師
2016年~ 東京外国語大学国際社会学部 非常勤講師
2016年~ 徳島大学文学部 非常勤講師
2016年~ 大妻女子短期大学 非常勤講師

連絡先:illcommonzoo@gmail.com

【著述】 『人類学のコモンセンス』 『The Uncanny Experience in Cyber Culture』
『リノベーション・スタディーズ』 『音の力』『日常を変える!クリエイティヴ・アクション』
『野生の近代再考-戦後 日本美術史』『美術に何が起こったか』『素人の乱』
『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』『ヨーゼフ・ボイス よみがえる革命』(共著)のほか
「現代思想」「図書新聞」「美術手帖」「VOL」「文擧界」「文藝別冊」「ユリイカ」「情況」
「10+1」「インターコミュニケーション」「暮しの手帖 別冊」「道の手帖」「週刊金曜日」
などに著述多数、著書なし。→詳細

【展示】 「日本・現代・美術・沈没」(00年 水戸芸術館) 「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」
(01年 ナディッフ)「give piece/peace a chance」(01年 横浜トリエンナーレ2001)
「去年、トリエンナーレで」(02年 横浜赤レンガギャラリー)「EXPOSE2002」(02年 KPO
キリンプラザ大阪)「殺すなアンデパンダン」(03年 康ギャラリー) 「アジア文字曼陀羅」
(03年 アジアアフリカ言語文化研究所) 「戦後?」(04年 appel) 「アサバスカンリバイバル」
(05年 AA研) 「バ  ング  ント」(05年 P-HOUSE) 「アラビア文字の旅」 (06年 AA研)
「台湾資料」(07年 AA研) 「鮮麗なる阿富汗」 (08年 AA研) 「好奇字展」(08年 AA研)
「イルコモンズの回顧と展望(仮称)」展 (08年 大阪市立近代美術館) 「SIGNS OF
CHANGE」(08年 EXIT ART) 「アクティヴィズム3.0(仮称)~リーマンショック以後の世界の新しい反資本主義の表現者たち」(09年 ヨコハマ国際映像祭2009)「豊穣なる埃及」展(10年 AA研) 「スタジオ・フォトグラフィ・アズ・ア・ドリームマシン」展(10年 AA研)
「トランスフォーメーション-サイクル」(10年 東京都現代美術館) 「アトミックラウンジ」(11年 路地と人) 「アトミックサイト」(11年 現代美術製作所) 「アトミックサイトスティルアライヴ」(13年 現代美術製作所) 「ヴゥードゥーアクティヴィズム」(14年 イレギュラーリズムアサイラム)
「ヴゥードゥーアーティズム」(15年 原爆の図・丸木美術館)→略歴

【講演】 「リミックスのやめどころを知る」(03年) 「戦後?のなかでの戦後!の詩と工作」
(04年) 「さよなら万博」(04年) 「ザ・フューチャー・ポーヴェラ」(05年) 「若松映画と
暴/力」(05年) 「アドルノにきく、六〇年目の今日、詩をよむことは依然として野蛮なの
だろうか」(05年) 「新宿インティファーダ」(05年) 「野生の近代再考-戦後 日本美術史」
(05年) 「アザーミュージック」(05年) 「イルコモンズアカデミー」(06年) 「ゴダールの愛の世紀/一なる国家と歴史の孤独に抗する二の愛」(06年) 「イルコモンズ・トラベリング・アカデミー福岡・大阪・京都・名古屋」(06年)「イルコモンズの"平和授業"」(06年) 「アナーキズムとアートの現在」(06年) 「イルコモンズ・アカデミー」(05-08年)
「イルコモンズの「精密な受信機はふえてゆくばかりなのに、世界のできごとは一日で
わかるのに、"知らないことが多すぎる"と、あなたにだけは告げてみたい」(07年)
「民主主義のはじまりの風景~うるさくてめんどくさいことはいいことだ」(08年)
「PRODUCTION AND DISTRIBUTION OF SOCIAL MOVEMENT CULTURE」(08年)
「メディア・アクティヴィズムの回顧と展望」(08年) 「ニューヨークの都市文化」(08年)
「学生運動と人類学」(08年) 「アナーキスト・ドラムギャザリング」(09年)
「文化人類学者になりそこねた表現者たち」(09年) 「アクションはどのように継承されるべきか」(09年)「レヴォリューション・ナウ!/千のタハリール広場にむけて」 (11年) 「たのしいアクティヴィズム」(11年) 東京藝大シンポジウム「10 MONTH AFTER 3.11」 (11年) 京都精華大学シンポジウム「アートの社会的有用性」(11年) アサヒアートスクエア「アートと資本制」(13年) 府中市美術館「現代日本におけるアートのアクティヴィズム」(13年)

【映画】小熊英二監督「首相官邸の前で」出演

【映像】 イルコモンズ・チャンネル on YouTube

【在籍】 T.D.C. / R.L.A.T. / デモス&クラトス / T.C.D.C. /
いるといらとそのなかまたち / 多摩ベルリンガーズ / Nora Brigade ほか
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[参考]

「ご存知のとおり、私は自然科学の勉強をはじめました。そして、次のような認識に達したのです。私は私自身に云いました。「おそらくお前の能力はある分野でのすぐれた専門家になるというのとはちがう何かべつのものに向いている」と。「お前にできることは人びとが義務として負っていることに対して幅広い刺激を与えることなのだ」と。」(ヨーゼフ・ボイス)

「私は民族学科に移った。この学問はまったく実証的に、研究者の主観や思惑、感情を排除して、対象そのものをとらえ、帰納的に結論を得ようとする。およそ芸術活動とは正反対なこのあり方に私は逆に情熱を燃やし、打ち込んでいった。自分の運命自体に挑むようなつもりで。パリ大学の民族学教授で、映像記録の専門家であるジャン・ルーシュが企画をたてた。ミシェル・レリス、構造主義で有名なレヴィ=ストロース、それに私の三人を映すという。この映画はまず、こんな質問からはじまる。「なぜ芸術家であるあなたが、マルセルモースの弟子になったのですか?」「芸術は全人間的に生きることです。私はただ絵だけを描く職人になりたくない。だから民族学をやったんです。私は社会分化に対して反対なんだ」。事実、私はそれを貫き通している。絵描きは絵を描いてりゃいい、学者はせまい自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいというこの時代。そんなコマ切れに分化された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない。それはこの社会の現状では至難だ。悲劇でしかあり得ない。しかし、私は決意していた」(岡本太郎)
by mal2000 | 2007-02-26 15:15
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