はじめに
指導教授は にこやかな顔で 言いました。 自然科学のような ふりをしてる詩を 学んでみてはどうかね? そんなことが できるんですか!? 指導教授は 私の手を握って 言いました。 社会人類学もしくは 文化人類学の世界に きみを歓迎するよ。 カート・ヴォネガット 人類学者というのは、 作家、小説家、詩人に なりそこねた人たち なのです。 J・クリフォード その他のジャンル
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■グローバリゼーションの「表と裏」(夢と悪夢)を一気にみる
[ラウンド0] WTOの誕生とグローバリズムの大号令(1995年) ▼マイクロソフト社 スタート・ミー・アップ(95年) ▼チャールズ・バトリックほか 「WTOの隠された真実」(06年) [ラウンド1] スウェットショップの年(1995-6年) ~新たな帝国と奴隷制の復活 ▽スウェットショップがもどってきた 「スウェットショップ」という言葉は、1800年代終わりごろに米国で生まれた。この言葉が示すのは、労働者を人間の限界まで働かせてできるだけ利益を搾り取ろうとする工場の厳しい労働環境と非人間的な処遇のことで、しばしば下請け会社の状況を指している。20 世紀初頭、100人以上の縫製工場労働者の悲惨な死が米国の大衆ゴシップ紙上をにぎわし、「スウェットショップ」はよく聞かれる言葉になった。1911年 3月25日、ニューヨークのアッシュビルの9階にあるTriangle Shirtwaist社から出火した。ミシンが所狭しと並んだ狭い通路やひとつしかない階段から脱出することができず、146人の労働者が焼死したり煙に巻かれたりして死亡した。中には、運を天に任せてビルから飛び降りる人もいた。飛び降りてくる若い女性や少女たちをネットで受け止めようと試みていた消防士と群衆の上に、人間が落ちていった。 ▽グローバル化と自由貿易 その後数十年間、特に第二次世界大戦後は、政府の規制と組合組織のおかげで工場の労働環境には著しい改善が見られた。この時期、すべてとは言えないまでも、北米の縫製工場の労働者たちの多くは安定した雇用を享受し、比較的まともな労働条件で働いていた。しかし、それも長くは続かなかった。今日、生産コストが高いと考えられているメキシコやタイなどの国々では、労働者が大量に解雇される事態が起きている。ほとんどの生産が中国とインドにシフトする一方で、バングラデシュなど他の貧困国は格安の人件費によって受注を引き付けている。 2005 年4月11日、午前1時、バングラデシュの首都ダッカのサバール地区にあるSpectrum Sweater社とShahriar Fabrics社の工場が入居している9階建てのビルが崩壊した。労働者64人が死亡、数十人が負傷し、数百人が仕事を失った。ビルががれきと化すたった 16時間前、ビルの柱に亀裂が入っていると労働者たちが訴えていたばかりだった。ビルの基礎部分は不十分な造りで、建築許可も明らかに下りていなかったにもかかわらず、もともとあったビルに5階分のフロアが増築されていた。さらに状況を悪化させたのが、4階と7階に設置されていた重量のある機械である。 ヨーロッパの多くの大手小売企業がSpectrumの工場に衣料品の製造を委託していたが、どの企業もこの構造と安全衛生の問題を見つけ出すことができなかった。「4月11日の悲劇の原因は怠慢である」。バングラデシュの女性労働者団体Karmojibi Nariの代表のShirin Akhterはこう語った。「それは事故ではなく殺人です」 私たちは高校や大学で講演を行ったが、その実態は彼らにショックを与えた。超低賃金、危険な労働環境下での強制的な1日18時間の労働。このような状況の中で学生たちのお気に入りのブランドを作っているのは、彼らと同じ年頃の労働者なのである。 ▽有名ブランドの汚名 ナイキのマークが入った製品を誇らしげに身に着けていた学生たちは、ナイキのCEO(最高経営責任者)であるPhil Knightに怒りの手紙を書き、ナイキのスウェットショップで作られたものを身に付けることは絶対にないだろうと宣言した。しかし、悪者はこの超有名ブランドだけではなかった。ナイキほど知られていない企業もナイキと同じ工場を使っていたり、またはもっとひどい状況の工場で生産していたりすることもある。 ナイキやそのほかの有名ブランドには大きな汚点が残り、「スウェットショップ」の意味を若者たちに説明する必要もなくなった。ナイキやギャップなどの企業は、CSR(企業の社会的責任)報告書を発行し、労働者の権利に対するいくつものひどい侵害が、グローバルなサプライチェーン全体に引き続きはびこる問題であることを認めた。現在大手ブランド企業の中には、「行動基準順守担当者」を置いているところもあり、苦情に対してほぼ即答し、状況を調査して企業側が進んで取り組む「改善」点について報告すると約束するようになっている。 しかしそのような進展にもかかわらず、実際には労働の現場はほとんど変わっていない。だが、大手ブランドの下請け工場では、児童労働はわずかながら減少し、強制的な妊娠検査と安全衛生面での違反の減少も見られる。しかしまた一方で、超低賃金、強制的に残業をさせての長時間労働、待遇改善を要求して団結を試みた労働者たちの大量解雇などが、業界全体でいまだにあたりまえのように行われている。(ボブ・ジェフコット「汗と火事そして倫理」(「ニュー・インターナショナリスト」2007年4月号より) ----------------------------------------------------------------------- 上のレポートは、米国では「スウェットショップの意味を若者たちに説明する必要もなくなった」とそう書いていますが、日本ではまだその必要が大いにあるので、今年もまた映像を使って「スウェットショップ」の実態について学びます。ハイチやジャマイカのスウエットショップをとりあげたドキュメント映画のほか、YouTubeに投稿されたスウェットショップに反対するキャンペーンヴィデオを時間が許す限り紹介してゆきます。 [教材映画1] ▽マイケル・ムーア「ザ・ビッグワン」 ▽チャールズ・カーナハン「ミッキーマウス、ハイチへゆく」 ▽マイケル・ムーア「ジャスト・ビッグワン」 ▽チャールズ・カーナハン「ディズニーの搾取の科学」 ▽ステファニー・ブラック「ジャマイカのフリーゾーン」 ▽ナオミ・クライン「ノー・ロゴ」 [教材映画2] ▽ディズニー「ディズニーチャンネル(PV)」 ▽NIKE「フリースタイル(CM)」 ▽NIKE「エアフォース25(CM)」 ▽GAP「ヘップバーン(CM)」 ▽GAP「ダフトパンク(CM)」 [教材映画3] ▽H&Cフィルム「スウェットショップとは?」 ▽JTH「消費されるもの」 ▽スウェットショップ・ユニオン「THE THING ABOUT IT」 ▽ND「スウェットショップ・レイバー」 ▽ND「スウェットショップ」 ▽ユース・ヒューマンライツ「奴隷制」 [最新資料] ▽ヒロ&フランク「GAPのスウェットショップ」 ▽リズワン&アリボーイ「トライ・ノット・トゥ・クライ」 ▽ND「NIKEのスウェットショップ」 ▽ND「スウェットショップス」 ▽ヘンリー・フリック「フェアトレード」 ▽ディズニー「魔法にかけられて(予告編)」 ▽マーク&ユリ&ジェス「ディズニーのスウェットショップ」★ [ラウンド3] コーポレーションという名のサイコパス ▼マーク・アクバー&ジェニファー・アボット 「ザ・コーポレーション」(04年) [ラウンド4] 世界の一大変動を映像体験する 新たなテクノロジーの発明は新たな事故と災難の発明である。 ▼ゴドフリー・レジオ 「コヤニスカッティ~バランスの壊れた世界」(83年) 「ポワカッテイ~シフトする南半球の世界」(88年) 「ナコイカッティ~戦場としての生命」(03年) ▼ヴェルナー・ヘルツォーク 「緑のアリが夢見るところ」(84年) 「失われた一万年」(02年) [ラウンド5] 我・買うゆえに我あり~ショッピングの時代に生まれ、消費文化のなかで生きる ▼「フランスの社会学者アンリ・ルフェーブルは「消費活動が中央集権的に調整される社会」という概念を提唱した。ぼくらの時代はまさにそんな世界になってしまっている。「文化」は「消費文化」となり、ぼくら自身も市民というより、消費者となってしまった。なにかがおかしいと言わざるを得ない」(カレ・ラースン) ▼「今まさに我々は、未開社会のなかで生きている。コカコーラやGMといったトーテム、呪術的な言葉、儀式、タブーといったものにかこまれて生きている。形態はなにひとつ変わってはいないのだ 」(ジャン=リュック・ゴダール) ▼ 「一九八九年の秋に僕の海外生活は終わりを告げた。日本を離れたのが一九八六年の秋だったから、ちょうど三年間ヨーロッパをうろうろしていたことになる。 (...)たしかにこの三年間でずいぶんいろんなことが変わってしまったように思う。でもそれについてあれこれ結論じみたものを書くのはまだ時期尚早であるだろうと思う。ただひとつ僕にはっきり言えることは、この三年のあいだに日本の社会における消費のスピードが信じられないくらいドラスティックに加速されたということだ。久し振りに日本に戻ってきてまず最初に感じたのがそれだった。僕はその凄まじい加速度を目にして本当に、何の誇張もなくただ唖然としてしまったのだ。思わず立ちすくんでしまったのだ。それは僕に巨大な収奪機械を想起させた。生命あるもの・ないもの、名前を持つもの・持たぬもの、かたちのあるもの・ないもの、そういうすべての物事や事象をかたはしから飲み込み、無差別に咀嚼し、排泄物として吐き出してゆく巨大な吸収装置だ。それを支えているのは、ビッグブラザーとしてのマスメディアだ。まわりを見回して目につくものは、咀嚼され終えたものの悲惨な残骸であり、今まさに咀嚼されようとするものの嬌声であった。そう、それが僕の国なのだ。好むと好まざるとにかかわらず」(村上春樹) [YouTube 動画] ▼Barbara Kruger (バーバラ・クルーガー作品集) http://www.youtube.com/watch?v=HpjGISvBSpM ▼John Carpenter "THEY LIVE"(J・カーペンター監督「ゼイリヴ」) http://www.youtube.com/watch?v=ogywo6qjeBo ▼You are what you buy.(丸井EPOSカードCM) http://www.youtube.com/watch?v=-lBKDyHmigs http://www.youtube.com/watch?v=DpJ0p_AWp8Q ▼Adbusters - "Logorrhea"(アドバスターズPV) http://www.youtube.com/watch?v=DT5NzckR0tM ▼Super Size Me(映画「スーパーサイズ・ミー」予告編) http://www.youtube.com/watch?v=V168xofxgu0 ▼McLibel (映画「マック・ライベル」予告編) http://www.youtube.com/watch?v=LyGK5j_EcmE ▼Fast Food Nation (映画「ファーストフード・ネーション」予告編) http://www.youtube.com/watch?v=zc_z623Wsro ▼ゼネラル・モータース社 「夢をデザインする」(56年) ▼ウゴ・グレゴレッティ 「にわとり」(63年) ▼アドバスターズ 「不買日」(02年) ▼ホイールマート 「ホイールマート~儀礼的抵抗」(03年) [ラウンド6] 映画は予告し、告発する ▼リチャード・リンクレーター 「ファーストフード・ネーション・予告編」(06年) ▼ロバート・グリーンウォルド 「ウォールマート・予告篇」(05年) ▼ブルックリン・ビッグマン 「スターバックスに告ぐ」 ▼フーベルト・ザウパー 「ダーウィンの悪夢・予告編」(05年) ▼ステファニー・ブラック 「ジャマイカ 楽園の真実・予告編」 ▼アレックス・ギブニー 「エンロン・予告篇」(05年) ▼デイビス・グッゲンハイム 「不都合な真実・予告篇」(06年) [ラウンド7] 抵抗の風は南から吹いてくる ▼セヴァン・カリス=スズキ 「1992年リオの地球環境サミットでのスピーチ」(92年) ▼ビッグノイズ・フィルム 「キロメートル・ゼロ」(03年) ▼ジル・フライドバーグ 「花崗岩の大地」(05年) [ラウンド8] 世界は目をさました ▼アタリ・ティーンエイジ・ライオット 「レイジ・アゲインスト・WTO」(99年) ▼インディメディアほか 「N30シアトル1999」 ▼トム・ヘイデン 「ニュージェネレーション・オブ・アクティヴィスト」(99年) [ラウンド9] もうひとつの世界はすでに/いつも可能だ ~ギフトエコノミーとスローライフ ▼J・T・S・ムーア 「レボリューションOS」(01年) ▼ジャミー・ユイス 「神様たちは頭が変になったにちがいない」(81年) ▼ディヴッド・マクドゥガル 「男たちの木の下で」(73年) ▼市岡康子 「クラ・西太平洋の遠洋航海者」(71年) ▼マイケル・ベルソン 「クラ・島々をめぐる神秘の輪」(91年) ▼ナポレオン・シャノン 「デデヘーワの庭そうじ」(74年) ................................................................. [推薦図書] ▽ナオミ・クライン「ブランドなんかいらない」はまの出版 ▽ジョエル・ベイカン 「ザ・コーポレーション」ハヤカワ書房 ▽ジョゼ・ボヴェ「地球は売り物じゃない」紀伊国屋書店 ▽カレ・ラースン「さよなら、消費社会」大月書店 ▽マイケル・ムーア「アホの壁 in USA」柏書房 ▽デヴィッド・グレーバー「アナーキスト人類学のための断章」以文社 ▽エリック・シュローサー「ファーストフードが世界を食いつくす」草思社 ▽ポール・キングスノース「ひとつのNO!たくさんのYES」河出書房新社 ............................................................................................................ [関連サイト] ▽アドバスターズ ▽NLC ▽クリーンクロス・キャンペーン ▽レイバー・ビハインド・ザ・レーベル [参照資料] ▽スウェットショップ(Wikipedia) ▽東京都最低賃金(06年度) ▽ハイチのディズニー地獄 [キーワード] グローバリゼーション、ネオリベラリズム、資本主義、スウェットショップ、 搾取の科学、民営化の罠、新たな帝国、新たな奴隷制、自由貿易ゾーン、WTO、IMF、 世界銀行、シアトルの反乱、第四世界の労働、サパティスタ、ユニオンバスター、 最低賃金、フェアトレード、ギフトエコノミー、カルチャージャミング、コモンズ、 冷たい社会/熱すぎる社会、もうひとつの世界は可能だ、予見的知性、 ...................................................................................................... 今回は、民族誌映画の傑作中篇「クラ~西太平洋の遠洋航海者」(1971年)を見て、 「ギフトエコノミー(=贈与経済)」と、「もうひとつの可能な世界」について考えます。 ▼「クラ~西太平洋の遠洋航海者」(67分 カラー1971年) 監督=市岡康子 制作=牛山純一 ナレーション=久米明 音楽=佐藤勝 [映画解説] いま・ここにあるグローバリズムの世界と、そこでの生き方に疑問や問題を感じ、 グローバル・ジャスティス・ムーブメントを進めている人たちの合言葉のひとつに、 「もうひとつの世界は可能だ(another world is possible)」という言葉が あります。これは2001年にブラジルのポルトアレグロで開かれた「世界社会 フォーラム(World Social Forum)」で提唱されたもので、もともとはブラジルの ポピュラーソングから引用されたフレーズだといわれています。このフレーズは、 「金がすべて」「儲けるためなら何でもする」血も涙もない非情なグローバリズムの 世界に失望した人びとに夢と希望と、そして想像力を与えてくれるロマンティックな フレーズですが、現時点ではまだ、その「もうひとつの世界」の具体的なヴィジョンが はっきりと見えていないのが実情です。「考えられたプラン」はたくさんありますが、 その「考えられたプラン」が本当に実現可能であるという「実感」や「リアリティ」を 与えてくれる「生きられたサンプル」が不足しているのです。そうした「考えられた プラン」のひとつに、「ギフトエコノミー(=贈与経済)」というのがあります。これは グローバリズムのベースにある「商品市場経済」や「市場原理主義」にとって、 それに代わる「もうひとつの可能なエコノミー」です。これは利益の追求を目的と しない贈与(ギフト)を通じたもののやりとり/やりくりで、グローバリズムの世界で みられるような、ひとにぎりの人間だけに利益が集中し、ものが独占されてしまう アンフェアなシステムではなく、完全に公平な分配ではないにしろ、多くの人間が ものを共有し分有することのできるフェアなシステムです。こうしたシステムは、 全域的ではないにしろ、パーシャル(部分的)なシステムとして、いま・ここにある 世界の中でも実現されつつあります。特にコンピュータやインターネットの世界で その動きがみられます。具体例をあげれば、wikipedia やリナックスのオープン・ リソースソフト、青空文庫や無数のフリーウェアソフト、クリエィティヴ・コモンズ などがそうで、他にも著作権が消滅してパブリックドメインにはいった映画作品や 文学作品をインターネットを通じて共有するしくみがつくられつつあります。 これからさらに著作権者が権利を気前よく手放し、企業が囲いこみをやめれば、 このギフトのサークルは拡大してゆくのですが、なかなかそうならないのには、 いくつか理由があります。まず、そのひとつは、権利をみずから喜んで手放し、 囲いこみを進んでこわすインセンティヴ(動機づけ)が十分にないからです。 では、そのインセンティヴをつくるにはどうしたらよいか。そのヒントは、クラに あります。クラはニューギニアのトロブリアンド諸島で、幾世代にもわたって 持続的に行われてきた、非常に洗練され成熟したギフトエコノミーのイベントで、 これをみれば、ネット上のギフトエコノミーに欠けているのが何か分かると思います。 もったいぶらずに先に答えをいえば、それはギフトをめぐるロマンとドラマであり、 ギフトをめぐる物語や偉人伝や伝承や説話が欠けていて、それでいまひとつ ギフトに対するインセンティヴがあがらないのだと思います。さらにいえば、 そうしたロマンや物語をオーガニック(有機的)にまとめあげる想像力と コスモロジー(世界観)も欠けているのですが、それはもっと先の話で、 ともかくまずは、ギフトエコノミーの「生きられたサンプル」としてのクラの ロマンにふれてみるのがよいと思います。そうすれば「もうひとつの世界は 可能である」というロマンからさらに一歩進んで、「もうひとつの世界はとっくに/ いつでも可能だ」という「もうひとつのロマン」を持てるようになるかもしれません。 もともと文化人類学は、科学のふりをした詩のような学問で、きわめてロマン 主義的な学問だったのですが、科学としての体裁をととのえるためにロマン 主義をすてた頃から、ちょっとづつ退屈になり、ロマン主義と批判されるのを おそれるあまり、ロマン的なものをより一層避けるようになって、ますます つまらなくなりました。もちろんロマン的でないものをロマンチックに語るのは ただしくないことだと思いますが(とはいえ、それは決して「悪」ではない)、 クラのようなそれ自体がロマンチックなものは遠慮なくロマンチックに語って よいと思いますので、今回ばかりはそういう目でこの映画をみてみてください。 見終わったら、きっと「わたしもクラをしたい」という気になると思いますから。 [自由研究] 文化人類学の基本は、異なる文化の比較と、それによる自文化の相対化です。 グローバル市場経済のなかで生まれた米国の巨大企業エンロンの崩壊を描いた ドキュメント映画「エンロン」に登場するトレーダーとクラのトレーダーを比較して、 市場経済と贈与経済のちがい、交換の速度のちがい、幸福の尺度のちがい、 価値観のちがい、想像性のちがい、持続可能性のちがいなど、エンロン文化と クラ文化のちがいを考えてみましょう。 [参考] ▼「エンロン~巨大企業はいかにして崩壊したのか?」(2005年)予告篇 (監督=アレックス・ギブニー ナレーション=ピーター・コヨーテ) [参考文献] 市岡康子「KULA・貝の首飾りを探して南海をゆく」 2005年 コモンズ 講義に出席して映像をみれない方は、上記の本で、 この映画のシナリオ全文と監督自身によるメイキング 解説が読めますので、どうぞそちらをご覧下さい。
by mal2000
| 2003-10-10 08:47
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