はじめに
指導教授は にこやかな顔で 言いました。 自然科学のような ふりをしてる詩を 学んでみてはどうかね? そんなことが できるんですか!? 指導教授は 私の手を握って 言いました。 社会人類学もしくは 文化人類学の世界に きみを歓迎するよ。 カート・ヴォネガット 人類学者というのは、 作家、小説家、詩人に なりそこねた人たち なのです。 J・クリフォード その他のジャンル
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▼[空想の美術/博物館] イルコモンズ監修「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展 フレッド・ウィルソン「防衛の景観」/スーザン・ヒラー「ラスト・サイレントムービー」「フロイト・ミュージアムから」/ルネ・グリーン「サ・マイン・シャルマンテ」/イルコモンズ「大阪市立近代美術のアナーキスト・インフォショップ」「イルコモンズミュージアムから」/ジョセフ・コスース「ひとつと3つのイス」「来訪者と異邦人・ルールと意味」/ローター・バウムガルテン「未整理の事物」/クレメンティーヌ・デリス「メトロノーム第10号」/ヲダ・マサノリ「イマジン・アナザー・ピープル」「ギヴ・ピース/ピース・ア・チャンス」 ▼「人類学者としてのアーティスト、アーティストとしての人類学者」 「人類学者は共同体の一部ではない。彼はみずからが研究する文化の外側にいる。研究対象である人びとに対して彼が何か影響をあたえるとしても、それは自然現象が人びとにあたえる影響と同じ程度のものである。人類学者は社会的枠組みの一部でもない。かたや、「人類学者としてのアーティスト」は、みずからが身を置く社会・文化的な文脈の内部でものごとを操作し、展開させようとする。社会の中にしっかり浸かっているゆえにそれは社会的なインパクトを与える。そしてアーティストのさまざまな活動が文化を具現するのである」(ジョセフ・コスース) ▼「全世界を異郷と思う者」 「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。」(サン・ヴィクトルのフーゴー) ▼「アドルノのアイロニー」 「わたしたちは、自分の故郷や言語を「当然」のものとみなすので、それらは「自然」なものになるが、それらを支える諸前提は気づかれることなく、ドグマや正統思想になる。したがって、自分の家でくつろがないことは、道徳の一部であるのだ。」(エドワード・サイード) ▼ブルース・ナウマン「人類屋/社会屋(anthro/socio)」 [ナレーション] FEED ME!! EAT ME!! ANTHROPOLOGY!! HELP ME!! HURT ME!! SOCIOLOGY!! FEED ME!! HELP ME!! EAT ME!! HURT ME!! ▼「言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ」 「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)
by MAL2000
| 2005-04-01 07:08
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