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はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
その他のジャンル
▼「文化人類学者になりそこねた人たち」
「文化人類学解放講座」より)
▼「文化人類学者になりそこねた人たち」_d0016471_31341.jpg
▼「文化人類学者になりそこねた人たち」_d0016471_15467.jpg「ある学問がどんな学問なのかを
知りたければ、その学問を
研究している人びとが実際に
どんなことをしてるかを
まず見るべきである。」
(クリフォード・ギアツ)


前回は、文化人類学者クリフォード・ギアツの、このことばをうけ、それを「文化人類学がどんな学問なのかを知りたければ、文化人類学を研究している人びとが実際にどんなひとたちなのかをまず見るべきである」とよみかえて、文化人類学者たちの肖像写真とその著作(の表紙と題名だけ)を見てみるということをしました。

今回は、このギアツのことばをさらによみかえ、文化人類学がどんな学問かを知るための別の実験をしてみましょう。前回、見た文化人類学者たちは、生まれたときから文化人類学者だったわけはなく「文化人類学者になった人たち」です。なった人がいるところには「なりそこねた人たち」が必ずいます。そこで今度は、「なりそこねた人たち」の姿や生き方、またその作品をみることで、文化人類学がどんな学問なのかを考えてみたいと思います。

▼[教材] 文化人類学者になりそこねた人びと(jpg/264KB)*クリックすると拡大します。
▼「文化人類学者になりそこねた人たち」_d0016471_22441918.jpg
ミシェル・レリス(詩人)
カート・ヴォネガット(SF作家)
グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者) 
ゾラ・ニール・ハーストン(小説家) 
マヤ・デーレン(映像作家、ダンサー)
ロバート・フラハティ (映画作家)
ジャン=リュック・ゴダール(映画作家) 
ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家) 
アスガー・ヨルン(画家、シチュアシオニスト) 
ソール・ベロー (小説家)
デイジー・ベイツ(福祉活動家) 
ジョン・ルイス (音楽家)
キャサリン・ダンハム(舞踏家) 
ジャン・ピエール・ゴラン(映画作家) 
ジョゼッペ・シノーポリ(指揮者) 
ハリー・スミス(映像作家、民族音楽研究家)
ゲーリー・スナイダー (環境活動家)
テオ・アンゲロプロス(映画作家) 
カルロス・カスタネダ(作家) 
ジョゼフ・コスース(現代美術家) 
ジェローム・ローゼンバーグ(詩人) 
ローター・バウムガルテン(現代美術家) 
トム・ハリソン(ジャーナリスト)
ディヴッド・トゥープ(現代音楽家) 
トリン・T・ミンハ(映画作家) 
ヴェルナー・ヘルツオーク(映画作家) 
サム・ライミ(映画作家) 
シャロン・ロックハート(現代美術家)
ブルース・ナウマン(現代美術家) 
クレメンティーヌ・デリス(現代美術家) 
ジョアン・ビンゲ(SF作家) 
スーザン・ヒラー(現代美術家) 
フレッド・ウィルソン(現代美術家) 
ルネ・グリーン(現代美術家) 
アミタフ・ゴーシュ(SF作家) 
ダン・グレアム(現代美術家) 
ミルナ・マック(人権活動家) 
メアリー・ケリー(現代美術家)
エド・ルッシュ(現代美術家) 
ジェイムズ・クリフォード(文芸批評家) 
土方久巧(彫刻家)
岡本太郎(芸術家) 
牛山純一(TVプロデューサー)
ザック・デ・ラ・ロッチャ (音楽家)
イルコモンズ(元・現代美術家)

「民族学とは、未開社会という特殊な対象によって定義される専門職ではなく、いわば、ひとつのものの考え方であり、自分の社会に対して距離をとるならば、私たちもまた自分の社会の民族学者になるのである」(モーリス・メルロ=ポンティ)



▼「文化人類学者になりそこねた人たち」_d0016471_18533654.jpg▼「文化人類学者になりそこねた人たち」
グレゴリー・ベイトソン(精神生態学者)/カート・ヴォネガット(SF作家)/岡本太郎(芸術家)/ジャン=リュック・ゴダール(映画作家)/ウィリアム・バロウズ(小説家、芸術家)/ゲーリー・スナイダー (環境活動家)/アーシュラ・K・ルグイン(SF作家)/ジョゼフ・コスース(現代美術家)/イルコモンズ(元・現代美術家)/ザック・デ・ラ・ロッチャ (音楽家)/フレッド・ウィルソン(現代美術家)/シャロン・ロックハート(現代美術家)/デヴィッド・ラン(劇作家)

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【事例】人類学者になりそこねた作家たちのプロフィール

▼「文化人類学者になりそこねた人たち」_d0016471_275626.jpg▼ウィリアム・S・バロウズ (作家・芸術家)
1936年、ハーバード大学で英文学、言語学、人類学を学んだ後、1938年、ハーバード大学大学院で人類学を専攻。1939年にはコロンビア大学でも人類学を学ぶ。第二次大戦終了後、メキシコに移住し、1950年から1951年までメキシコ・シティ大学で人類学を学ぶ。マヤ文明の考古学、ナヴァホ・インディアンの言語学、クロウ族、クワキウトル族の文化などを研究し、その成果は、カットアップ作品「ア・プーク・イズ・ヒア」などに結実する。

▼カート・ヴォネガット Jr.(SF作家)
1944年、シカゴ大学人類学部で文化人類学を専攻。当時の学部長はロバート・レッドフィールド。1947年に大学院に修士論文を提出するが、審査で不合格となる。論文のテーマは、世界の神話や文学のグラフ分析。その成果は、「猫のゆりかご」のボコノン教の創作や、「チャンピオンたちの朝食」などでの相対主義的視点などに結実する。

 「ひと月ほど前に、私の息子が「これまでの人生でいちばん幸せだった日はいつ?」と私にきいてきました。そこで私は天井を見あげながら、こう答えました。「これまででいちばん幸せを感じた日は一九四五年の十月、アメリカ陸軍を除隊してからまもなくのことで、その日、私はシカゴ大学の人類学部に入学を許可されたのだ。その時、心の中で叫んだものさ。「やっと入れたぞ!これからは人間のことを学ぶんだ!」とね」。それはともかくも、ある文化が他の文化よりもすぐれていると考えることは、私たちには許されなかった。それに人種のことをとやかく言うと、こっぴどく批判されたものだ。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間は、ひとりもいないということである。」(カート・ヴォネガット)

▼アーシュラ・クローバー・ルグイン(SF・ファンタジー作家)
1929年カリフォルニア州バークレー生まれ。父親は文化人類学者のアルフレッド・L・クローバー。母親は、北米最後のインディアン、イシの伝記を執筆した作家のシオドーラ・クローバー。文化人類学者の、(異)文化の多様性に対する視点や、他者に「教える」のではなく、他者から「学ぶ」態度、自文化への批判的精神は、「ロカノンの世界」の主人公、民族学者ロカノンや、「言の葉の樹」の主人公、観察者サティなどにみられる。

 「この惑星に居住する高度の知的生命体は少なくとも3種族いるが、どれもテクノロジーの水準が低いので、無視するか、奴隷にするか、破壊するか、彼らはしかるべき処置をとるだろう。攻撃的な人種にとっては、テクノロジーが至上のものだからである。そしてそこに全世界連盟自体の弱さがあるのだと、ロカノンは考えていた。テクノロジーだけが重要なのだ。前世紀にこの惑星に派遣された二つの使節団は、他の大陸を探索しないうちに、すべての知的生命体と接触しないうちに、この惑星の一種族が、先原子力工業技術の段階に達するように後押しをしたが、ロカノンは、それに待ったをかけ、この惑星のことを学ぶために民族学調査団を自らひきいてここにやってくることになったのだった。このようにして全世界連盟は、最強の敵を迎え撃つ準備をしていた。数百の世界が訓練され武装され、数千の世界が鋼鉄や車輪やトラクターや原子炉を使うように教えこまれつつあった。だがヒフファー(高度な知的生命体の研究者)であるロカノンの仕事は、教えることではなく学ぶことであり、多くの後進世界で暮してきた彼は、武器や機械がすべてであるという考え方に疑問を持っていた。ケンタウロス、地球、セチアンなどの攻撃的な道具をつくるヒューマノイド種によって支配されている全世界連盟は、知的生命体の技能や力や潜在能力を軽視し、あなりに狭い基準にもとずいて判断をくだしてきたのである。」アーシュラ・K・ルグイン「ロカノンの世界」(1966年)より

▼岡本太郎 (芸術家)
1938年、パリ大学ソルボンヌ校の民族学科に入学。詩人のミシェル・レリスらと共にマルセル・モースから民族学を学ぶ。後にその成果が「縄文文化論」や絵画作品に結実する。

▼ジャン=リュック・ゴダール (映画作家)
1949年、パリ大学ソルボンヌ校で人類学を専攻。人類博物館にあったアンリ・ラングロワのシネマテークに通いつめ、ロバート・フラハティの民族誌映画「ナヌーク」などの作品にふれる。ジョルジュ・デュメジルの神話学に啓発されるが、映画の批評と制作に専念するため大学を中退。その影響は映画「ウィークエンド」でのエドワード・タイラー「古代社会」の朗読などにもみられる。

▼ザック・デ・ラ・ロッチャ(ロック・ミュージシャン)
レイジ・アゲインスト・ザ・マシンのヴォーカル。政治色の強いチカーノ壁画家である父と、文化人類学の博士号を持つ反戦活動家である母の間に生まれる。

▼ジョゼフ・コスース (現代美術家)
1975年、NYのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで人類学と哲学を学んだ後、論文「人類学者としての芸術家」を発表。意味やルールなどの見えない文化を見えるものにするという点で、現代美術家の仕事と人類学者の仕事には、たがいに共通するところがあると論じる。
# by mal2000 | 2005-04-14 14:03
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(前編)
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(前編)_d0016471_151256.gifYouTubeにある下記のムービーを参考に、人類学者になりそこねた作家たちに共通するものの見方や考え方、また、生き方や信念があるとすれば、それは何か考えてみましょう。


▼カート・ヴォネガット「カート・ヴォネガット」

「第二次世界大戦ののち、わたしはしばらくシカゴ大学に通った。人類学科の学生であった。当時そこでは、人間個々人のあいだに(優劣の)差異というものは存在しないと教えていた。いまでもそう教えているかもしれない。もうひとつ人類学科で学んだのは、この世に、奇矯とか、性悪とか、低劣といわれる人間はひとりもいないということである。わたしの父が亡くなる少し前に私にこういった。「お前は小説のなかで一度も悪人を書いたことがなかったな」それも戦後、大学教わったことのひとつだ」(カート・ヴォネガット)


▼「そういうものだ/カート・ヴォネガット1922-2007」

[教材] 「文化人類学者になりそこねた作家、カートヴォネガット、人類学を語る」
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(前編)_d0016471_2394168.jpg
(*画像をクリックすると拡大します)



▼アーシュラ・クローバー・ルグイン「ラヴィニア」

「いったいなぜなのだろう。人間の社会は不可避的にピラミッド構造を呈し、権力は頂点に集中するのだろうか?権力の階層性は、人間の社会が実現せずにいられない、生物学的規範なのだろうか?こうした問いはほとんど確実に表現が不適切で、それゆえ解答不可能なのだが、相変わらず持ち出されては、答えられつづけており、この問いかけをする人間の出す答えはたいていの場合、イエスなのである。このように想定された普遍性に対し、人類学はいくつかの例外を提供する。民族学者たちは固定的な命令系統をもたないさまざまな社会を記述してきた。こうした社会において、権力は、不平等にもとづく厳格な体制のなかに封じこめられている代わりに、流動的に、それぞれ違った状況下では、異なった仕方で共有され、常にコンセンサスへと向かう抑制と均衡の原則によって機能する。人類学者たちはジェンダーに優劣をつけない社会を記述してきた。ここであげた社会はみな、わたしたちが「原始的な」と形容する社会であるが、ここでわたしたちはすでに価値の階層化を行っている。原始的=低い=弱い、文明化された=高い=強いというように。もし人間が不公平と不平等を、口で言っているほど、頭で考えているほど憎んでいるとしたら、偉大な帝国の数々、大文明の数々のうちひとつとして15分以上存続し得ただろうか?もしわたしたちアメリカ人が不公平と不平等を、口で言っているほど熱烈に憎んでいるとしたら、この国の人間がひとりでも食べものに困ることがありうるだろうか?わたしたちの努力によっては、不完全な公平さしか、限られた自由しか獲得できないのだ。しかし公平さがまったくないよりはましである。あの原則、つまり解放奴隷だった詩人の語った自由への愛にしがみつき、手放さないようにしよう」。(アーシュラ・クローバー・ルグイン)

[教材] 「文化人類学者を父に持つ作家、アーシュラ・クローバー・ル・グイン、人類学を語る」
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(前編)_d0016471_241351.jpg
(*画像をクリックすると拡大します)



▼岡本太郎「岡本太郎は爆発する」

「私は民族学科に移った。この学問はまったく実証的に、研究者の主観や思惑、感情を排除して、対象そのものをとらえ、帰納的に結論を得ようとする。およそ芸術活動とは正反対なこのあり方に私は逆に情熱を燃やし、打ち込んでいった。自分の運命自体に挑むようなつもりで。マルセル・モース教授の弟子になって一時は絵を描くことをやめてしまった。マルセル・モースの講義はとりわけ幅がひろく、深い手ごたえがあった。教授はフランス民族学の大きな柱であり、父のような存在だ。フィールドに出たことがない民族学者として有名だが、その目配りは人間社会のあらゆる事象にゆきわたり、言いようもなく鋭い。この人の偉大なイメージを何とかあらためて生き返らせたいと、パリ大学の民族学教授で、映像記録の専門家であるジャン・ルーシュが企画をたてた。ミシェル・レリス、構造主義で有名なレヴィ=ストロース、それに私の三人を映すという。この映画はまず、こんな質問からはじまる。「なぜ芸術家であるあなたが、マルセルモースの弟子になったのですか?」「芸術は全人間的に生きることです。私はただ絵だけを描く職人になりたくない。だから民族学をやったんです。私は社会分化に対して反対なんだ」。事実、私はそれを貫き通している。絵描きは絵を描いてりゃいい、学者はせまい自分の専門分野だけ。商売人は金さえもうけりゃいいというこの時代。そんなコマ切れに分化された存在でなく、宇宙的な全体として生きなければ、生きがいがない。それはこの社会の現状では至難だ。悲劇でしかあり得ない。しかし、私は決意していた」(岡本太郎)

[教材] 岡本太郎「芸術と人生」


▼ジャン=リュック・ゴダール&フランソワ・トリュフォー「アンリ・ラングロワを擁護する」

「今まさに我々は、未開社会のなかで生きている。コカコーラやGMといったトーテム、呪術的な言葉、儀式、タブーといったものにかこまれて生きている。形態はなにひとつ変わってはいないのだ 」(ジャン=リュック・ゴダール)

[教材] J-L・ゴダール「カメラアイ」「こことよそ」「ウィークエンド」「リア王」ほか
     イルコモンズ編「切り裂きジャンとつなぎ屋リュック」


▼ジャン-リュック・ゴダール「たたえよ、サラエヴォ」


▼ウィリアム・S・バロウズ「感謝祭 一九八六年十一月二十八日」

「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)


▼ハリー・スミス


▼ゾラ・ニール・ハーストン「ジャンプ・アット・ザ・サン」


▼キャサリン・ダンハム


▼グレゴリー・ベイトソン


▼レイジ・アゲインスト・ザ・マシン

これらの作家たちは、みなそれぞれに非常に個性の強い作家たちなので、まず彼ら以外の、SF作家や詩人、芸術家、映画監督、音楽家たちと彼らを「比較」してみると(「比較」と「収集」は文化人類学の基本的手法です)、その特徴がよくみえてきます。そのうえで、彼/女らに共通するものを考えてみてください。ヒントは、近代、文明、社会、西欧、常識、良識、価値観、前衛、実験、政治、収集、引用、記録、編集、批評、多才、などです。

この「文化人類学者になりそこねた作家たち」のものの考え方や作品には文化人類学者(になった人たち)が、専門的で個別的な研究に没頭するあまり、しばしば忘れてしまいがちな文化人類学の原点や原像のようなものをみることができます。もっともそこではそれが、いくぶんラディカルで、アヴァンギャルドで、クリティカルなかたちで現れていますが、このラディカル(根本的・過激)であること、アヴァンギャルド(前衛的・実験的)であること、そして、クリティカル(批判的・批評的)であることもまた文化人類学という学問の隠れた面なのです。
# by MAL2000 | 2005-04-14 12:07
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)
▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_7111441.jpg
▼[空想の美術/博物館] イルコモンズ監修「文化人類学者になりそこねた表現者たち」展
フレッド・ウィルソン「防衛の景観」/スーザン・ヒラー「ラスト・サイレントムービー」「フロイト・ミュージアムから」/ルネ・グリーン「サ・マイン・シャルマンテ」/イルコモンズ「大阪市立近代美術のアナーキスト・インフォショップ」「イルコモンズミュージアムから」/ジョセフ・コスース「ひとつと3つのイス」「来訪者と異邦人・ルールと意味」/ローター・バウムガルテン「未整理の事物」/クレメンティーヌ・デリス「メトロノーム第10号」/ヲダ・マサノリ「イマジン・アナザー・ピープル」「ギヴ・ピース/ピース・ア・チャンス」

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_7273211.jpg▼「人類学者としてのアーティスト、アーティストとしての人類学者」
「人類学者は共同体の一部ではない。彼はみずからが研究する文化の外側にいる。研究対象である人びとに対して彼が何か影響をあたえるとしても、それは自然現象が人びとにあたえる影響と同じ程度のものである。人類学者は社会的枠組みの一部でもない。かたや、「人類学者としてのアーティスト」は、みずからが身を置く社会・文化的な文脈の内部でものごとを操作し、展開させようとする。社会の中にしっかり浸かっているゆえにそれは社会的なインパクトを与える。そしてアーティストのさまざまな活動が文化を具現するのである」(ジョセフ・コスース)

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_8322730.jpg

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_7474876.jpg▼「全世界を異郷と思う者」
「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。」(サン・ヴィクトルのフーゴー)

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_820202.jpg▼「アドルノのアイロニー」
「わたしたちは、自分の故郷や言語を「当然」のものとみなすので、それらは「自然」なものになるが、それらを支える諸前提は気づかれることなく、ドグマや正統思想になる。したがって、自分の家でくつろがないことは、道徳の一部であるのだ。」(エドワード・サイード)

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_8314914.jpg



▼ブルース・ナウマン「人類屋/社会屋(anthro/socio)」
[ナレーション] 
FEED ME!! EAT ME!! ANTHROPOLOGY!!
HELP ME!! HURT ME!! SOCIOLOGY!!
FEED ME!! HELP ME!! EAT ME!! HURT ME!!

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_8155662.jpg▼「言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ」
「あらゆる時代のもの書きたちをまとめて折りたたみ、ラジオ放送や、映画のボイストラック、テレビ、ジュークボックスの曲を録音し、世界のあらゆることばをセメントミキサーでかき混ぜて、レジスタンスのメッセージを注ぎこもう。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」たち、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ。写真がおちる、ことばがおちる、万国のパルチザン利用、目標オルガズム放射線装備、スウェーデン、イエーテボリ、座標は8・2・7・6、スタジオを撮れ、台本を撮れ、死んだ子供を撮れ、全ミサイル発射。被害を見きわめるのは簡単だった。台本は破壊され、敵の兵隊は壊滅状態。完全レジスタンスのメッセージが世界中の短波放送で流れる。万国のパルチザンに告ぐ、言語線を切れ、ことばをずらせ、ドアを解放せよ、震える「旅行者」、写真がおちる、灰になった室内を突破せよ」(ウィリアム・バロウズ)

▼人類学者になりそこねた作家たちの生き方と作品をみる(後編)_d0016471_844175.jpg
# by MAL2000 | 2005-04-01 07:08
▼「文化人類学者になりすました人たち」
▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_15467.jpg▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_31341.jpg「文化人類学が
どんな学問なのかを知りたければ、
文化人類学を研究している
人びとになりすましている人たちを
まず見るべきである」
(「文化人類学解放講座」)



「なりそこねた人たち」がいる一方には、「なりすました人たち」もいるもので、右の写真は、アフリカのイグボ族の仮面の祭に登場する「文化人類学者」(になりすました人)です。この祭りでは、「文化人類学者」は、いつもノートとペンを決してはなさず、あらゆることをすべて書きとろうと身がまえている「変わり者」のキャラクターとして演出され、登場します。こんなふうに文化人類学者に「なりすました人たち」は、映画のなかに数多くみることができます。

今回は「文化人類学者」(になりすました人たち)が登場する劇作映画を観ます。ジャンルは、ホラー、オカルト、フェイク・ドキュメント、コメディと、さまざまですが、それぞれの映画のなかで「配役=キャスト」として「演じられた文化人類学者」たちの発言や行動、ものの考え方や職業上の立場に注意しながら観てみましょう。

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_117168.jpg
[教材]
たたり」1963年 アメリカ [ホラー]
マニトゥ」 1978年 アメリカ [オカルト]
人喰族」 1981年 イタリア [秘境もの]
食人族」 1979年 イタリア [秘境もの]
Dr.ジャガバンドー」1998年 [コメディ]
これらの映画に登場する人類学者たちのキャラクターは、いずれも「フィクション」であり、脚本家が書いたシナリオにしたがって演技されたものですが、「文化人類学者になりすました」プロの役者たちによって演じられた、そのふるまいからは、ホンモノの文化人類学があまり語らない、あるいは、語るまでもないと考えている、文化人類学の最もベーシックでコアな部分が見えてきます。

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_1457190.jpg
▼「文化人類学者になりすました人びと」 (jpg/141KB)
(「たたり」、「マニトゥ」、「人喰族」、「食人族」、「Dr.ジャガバンドー」、「緑のアリの夢見るところ」、「デモンズ2000」、「カバルリ」など)

これらはすべて脚色され演出された「ニセモノの文化人類学者」で、文字どおり「文化人類学者になりすました人たち」でしかないのですが、そうしたニセモノには「ホンモノの文化人類学者たち」以上に、また「文化人類学者になりそこねた人たち」以上に、文化人類学の原点や原像がきわめてはっきりと目に見えるかたちで示されています。「文明」「西欧中心主義」「自文化中心主義」「人種差別」といった言葉とともに、それに対する批判的な立場が、ややショッキングで、かつドラマチックなかたちで示されていたと思います。これについては今後の講義でくり返しとりあげてゆく予定ですので、それはひとまずさておき、今回は「文化人類学」という学問を、抽象的なことばで定義するのではなく、具体的な目に見える事例を通して考えてみる、ということをしましたが、これは文化人類学の基本的な方法でもあります。また、文化人類学という学問を、文化人類学者たちの姿かたちからだけでなく、文化人類学者になりそこねた人たちやなりすました人たちの姿から考えてみるということをしましたが、実はこんなふうに、一見すると「いかがわしい」ものや「例外的なもの」あるいは「副次的なもの」や「周縁的なもの」を積極的にとりあげ、そこから、ものごとの見えない側面や、当たり前すぎてもはや話題にもされないような前提にもう一度照明をあて、それについて考えなおしてみるという、このやり方もまた文化人類学の手法なのです。


▼「たたり」
「私の家はイギリスの名門で、ビクトリア時代の思想でこり固まっており、実利一点ばりだった。その反動で私は非実利的になった。オックスフォードで法律を専攻せず、父とケンカになり、アメリカへ来て勉強することにしたが、人類学を選んだ理由は、霊魂や死後の世界を研究したいからだ。だが、その後、気づいた。人類学と心霊現象を統合できれば役に立つと。心霊は純粋に精神的なものだ。これを解明できれば、おそらく人間の精神を高めるのに利用できる」 (ジョン・マークウェイ「たたり」より)


▼「マニトゥ」

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_2204525.jpg【警告】
「ただいまから上映する作品は、これまでに制作された映画の中でも特に暴力的のものです。野蛮な拷問や
残酷な虐待のシーンが数多く登場します。そのような忌まわしい嫌悪すべきものを見ると気が動転してしまう
という方は、どうかこの映画をご覧にならないで下さい。」映画「Cannibal Ferox」(1981年)より



▼「人喰族」


▼「食人族」

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_2223390.jpg俗に「緑の地獄」映画と呼ばれる、南米のアマゾンを舞台にしたイタリアのカニバリズム映画を2本続けて見ましたが、いかがでしたでしょうか。まともな文化人類学者が見たら、眉をひそめるような映画ですが、監督のウンベルト・レンツィが語るように、これらの「映画にはあるメッセージが隠されて」いて、そのメッセージを伝えるのにふさわしい役として、文化人類学者が選ばれ、そのメッセージをこんな風に表現しています。


文化人類学者(役)
グロリア・ディヴィスの見解
「白人優秀主義がいけないのよ」
キー・シークエンスを見る



文化人類学者(役)
ハロルド・モンローの見解
「本当に野蛮人なのは?」
キー・シークエンスを見る
ここで文化人類学者役の2人の俳優がそれぞれ表明しているのは、「自文化中心主義(エスノセントリズム)批判」と「西欧文明批判」、「植民地主義批判」、そして、「文化相対主義」というものの考え方で、この2本の映画は、文化人類学のコアともいえる、こうした考え方を、カニバリズム映画という、人の感情に強く訴えかけるショッキングなメディアを使って、レッスンしてくれているといえなくもありません。

文化人類学者のレナート・ロサルドは、「文化についての記述は、ただ濃密なだけでなく、インパクトを与えるやりかたを探るべきだ」といってますが、こうしたカニバリズム映画はその裏ワザのひとつといえるかもしれません。「自文化中心主義批判」「西欧文明批判」「植民地主義批判」、「文化相対主義」と、ただ用語をならべるよりもずっと効果的で、それらについて、もっと知るきっかけになるのではないでしょうか。とはいえ、この映画に登場する「ヤノマモ(ミ)族」は、ブラジルに実在する人びとで、この映画でのその「文化の記述」は、決して正しいものではないので、なるべく近いうちに、この講義で、ヤノマモ族の日常生活を記録したドキュメント映画を見るつもりです。


▼「Dr.ジャガバンドー」

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_2245530.jpg文化人類学者のレナート・ロサルドは『文化と真実』という本のなかで、こんなことを書いています。

「民族誌が文化の研究にとって役に立つ視点であることがようやく認められた、そのちょうど同じ頃、民族誌のホームグラウンドである文化人類学はあるピンチに陥っていた。古典的な民族誌の読者たちが次第に「裸の王様シンドローム」に感染してきたのである。かつては、文化の研究の王様にふさわしい堂々とした衣装を身にまとっていたはずの文化人類学がいまや、まぬけな裸の王様のように見えてきてしまったのである。
かつては「これこそ本当の真実」のように読めた言葉が、いまではパロディのように、あるいは、多くの見解のうちのひとつにしかすぎないように思えてきたのである。そのせいで、かつてはあれほど尊敬されていた民族誌の書き方の退屈さが驚くほどあからさまになってしまった。」レナート・ロサルド『文化と真実』

そうなると、文化人類学者が書く退屈な民族誌よりもむしろ、「裸の王様」のキャラクターがそうであるように、文化人類学者というキャクラターの方がかえって面白い対象になってきます。

「クリッペンドルフ族」という文化人類学者を主人公にしたコメディ小説とその映画は、文化人類学をめぐるこの大きな「変化」を物語るものです。かつて、スーザン・ソンタグは、「英雄としての人類学者」というエッセイを書きましたが、これから先、そのようなエッセイが書かれることは、まずないでしょう。特にこの映画を見てしまった後では...

「Dr.ジャガバンドー」(1998年 98分 アメリカ映画 
日本劇場未公開 原題=Krippendorf's Tribe)
[あらすじ] 妻を亡くし、三人の子供の世話に追われている人類学者のクリッペンドーフ教授(ドレイファス)。この二年間ニューギニアで調査を続けたが成果はゼロ。大学で講演をしなければならなくなって、つい口からでまかせに未知の部族を発見したと言ってしまう。彼を尊敬する新任のミッチェリ教授(エルフマン)は大張り切りで、この驚くべき発見をマスコミに売り込んだ。さあ困った、どうしよう。やけっぱちの教授は息子たちに仮装させ、幻のシェルミッケドム族の記録映画をでっち上げたところ、これが大受け。ライバルのアレン博士(トムリン)は証拠を求めてニューギニアに飛んだ。いかさまがばれるのは時間の問題だ。

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_227166.jpg[参考資料]
フランク・パーキン
「クリッペンドルフ族」1986年
*映画の原作

ロバート・ラザルスキー
「クリッペンドルフを脱構築する:映画による人類学の教育」
(Deconstructing Krippendorf: Anthropological
Pedagogy with a Feature Film) 
*アメリカ人類学会(1998年)での講演


▼「映画館の人類学者」

▼「文化人類学者になりすました人たち」_d0016471_8424610.jpgこのように、ものごとには、
戯画化されることによってはじめて見えてくるものもあり、たしかにそれは決して、客観的でもなければ、また、全般的事実ではないにしても、それは、ある角度や視点から見た相対的で「断片的な真実」を伝えてくれるものです。

▼「人類学者来襲!!」「IQテスト」
 「マッドメン」ほか


# by mal2000 | 2005-03-09 01:16
▼文化相対主義の発見
▼文化相対主義の発見_d0016471_22182333.jpg
▼「文化相対主義」(*画像をクリックすると拡大します)

[補足資料] 自民族中心主義から文化相対主義への歩み

「民族学的資料の収集の主な目的は、「文明は至高のものではない。その至高性は相対的なものにすぎず、私たちの様々な考えや概念は、私たちの文明のなかでのみ真実である」という事実の普及にこそあるべきだというのが私の意見である」 (フランツ・ボアス 1887年)

「いまや人類学者たちは文化の多様性に気づきはじめ、文化のヴァリエーションのその途方もない幅の広さを認識しはじめている。人類学者たちは、文化を宇宙のごときもの、もしくは、今日の我々とその文明が他の多くのものののうちのたったひとつを占めるにすぎないような広大なる地平のごときものとして文化を理解しはじめている。無意識の自民族中心主義から相対主義への離脱という、この根本的なものの見方の広まりが、なによりのその成果である。自分たちが生きているある特定の時点についての自己中心的で素朴なものの見方から、より広いものの見方への移行は、客観的な比較にもとづくものである。それは天文学における地球中心説からコペルニクス的見方への移行のようなもので、それにつづく太陽系から銀河系へのものの見方の広がりのようなものである」(アルフレッド・クローバー 1923年)

「科学としての人類学の構築は、民族学者の出身文化が、中国であれ、ヒンドゥであれ、フランスであれ、自文化中心主義から脱けだして、まったく新しい意識のモードを打ち立てることを求めることであって、こうした意識のモードは、自文化と戦ってはじめて実を結ぶもので、しかも、それは決して完成することのないものなのです」 (モーリス・ゴドリエ 2001年)
# by MAL2000 | 2005-03-08 21:56