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はじめに


指導教授は
にこやかな顔で
言いました。
自然科学のような
ふりをしてる詩を
学んでみてはどうかね?
そんなことが
できるんですか!?
指導教授は
私の手を握って
言いました。
社会人類学もしくは
文化人類学の世界に
きみを歓迎するよ。
カート・ヴォネガット

人類学者というのは、
作家、小説家、詩人に
なりそこねた人たち
なのです。
J・クリフォード
その他のジャンル
▼アクティヴィスト人類学
▼アクティヴィスト人類学_d0016471_2247498.jpg
▼「アクティヴィスト人類学者たち」(*画像をクリックすると拡大します)

[世界のアクティヴィスト人類学者たち]
Marcel Mauss...Anthropologist, Socialist
Franz Boas...Anthropologist. Anti-Racism Activist
Franziska Boas... Activist, Ethnographic Dance Anthropologist
Katherine Dunham...Dancer, Anthropologist, Social Worker and Activist
Maya Deren...Dancer, Anthropologist, Filmmaker
Zora Neale Hurston...Author, Anthropologist, Folklorist
David Graeber...Anarchist Anthropologist
Myrna Mack...Anthropologist and Human Rights Activist
David H.Price... Activist Anthropologist
Jean-Pierre Gorin...Film Maker, Activist, Anthropologist
Claudio Villas Boas...Activist and Anthropologist
Gina Ulysse...Feminist Anthropologist, Poet, Anti-Colonial Activist
Daniel Rothenberg...Activist and Anthropologist
Robert K. Thomas...Cherokee Nationalist, Social Scientist, Anthropologist,
Brigham Golden...Activist and Anthropologist
Alfonso Ortiz....Activist Anthropologist
Bruce Reyburn... Anthropologist and Social Activist,
Daisy Bates...Civil Rights Activist and Anthropologist
Soon-Young Yoon...Activist/Anthropologist
Robert K. Hitchcock...Activist Anthropologist
Mary Des Chene...Anthropologist and Human Rights Activist
Orin Starn...Activist Anthropologist
Lawrence Hammar...Activist-Anthropologist
Ellen Andors...Anthropologist, Teacher and Activist
John St Clair Drake...Black Social Anthropologist and Activist
Bill Day...Landrights Activist and Anthropologist
Olive Muriel Pink...Artist, Aboriginal-Rights Activist, Anthropologist
Shannon Speed...Activist Anthropologist
Victor Montejo...Human Rights Activist and Anthropologist
Johnnetta B. Cole...Activist Anthropologist
Joan Halifax...Civil Rights Activist, Anthropologist
Annemarie Anrod Shimony...Anthropologist and Social Activist
David Attyah...Artist, Activist, and Anthropologist
Krishna Bhattachan...Anthropologist and Ethnic Activist
Victor Montejo...Anthropologist and Activist
Cholthira Satyawadhna...Anthropologist and Human Rights Activist
Niara Sudarkasa...Anthropologist and Social Activist
Kevin M. Kelly...Anthropologist, Human Biologist, Internet Activist
Linda Rabben...Anthropologist and Human-Rights Activist
David Webster...Anti-Apartheid Activist and Anthropologist
Richard Nelson...Writer, Activist, and Anthropologist
Luiz Mott...Gay Activist and Anthropologist
Victoria Sanford...Anthropologist, Human Rights Activist
Verrier Elwin...Anthropologist, Poet and Activist
Zieba Shorish Shamley...Anthropologist, Human Rights Activist
Tobias Schneebaum...Anthropologist and Gay Activist
Yoshiyuki Tsurumi...Anthropologist, Activist
Masanori Oda / illcommonz... Artist, Activist, Anthropologist
Maximilian C. Forte...Anthropologist, Internet Activist
Miguel A'ngel Gutie'rrez...Activist and Anthropologist



▼アクティヴィスト人類学_d0016471_18552096.jpg▼「アクティヴィスト人類学者たち」

▼アクティヴィスト人類学_d0016471_13173710.jpg
▼「アクティヴィスト人類学者のツールキット」(人類学者が見につけている役に立つ知識やスキル)

「人類学者のなかには、アナーキズムあるいはアナーキスト的な政治に加担した者たちがいた。そして、その何人かは同時に特定の学問体系の創始者であった」(デヴィッド・グレーバー)

▼アクティヴィスト人類学_d0016471_2361030.jpg「いまや社会主義はかつてないほどの活気を呈し、私たちのすべての組織の活動が熱を帯びてきている。労働階級の政党、社会改革と革命の政党は、日々、新たなアクティヴストを組織し、その政治的・経済的な目標にむかって確実な歩みと前進を続けている。我々の宣伝活動は、なにより経済的、社会主義的、革命的である。階級闘争はもっぱら資本主義に対して向けられなければならないが、資本主義とはかくかくしかじかの特定のブルジョワジーの政党ではなく、すべてのブルジョワジーのことである。社会主義の組織にとってなによりもまず絶対的に優先されなければならないいくつかの条件がある。すなわち教権主義や軍国主義、そしてナショナリズムが一掃されない地盤の上では、本当の社会主義的な宣伝活動を展開することはできないということ、それを心にとめておかなければならないのだ」(マルセル・モース)

「民族誌学者が、植民地支配者の側から、今まさに自分たちの民族解放のために闘っている人たちの力になろうとして、ときに素朴すぎるほどの態度で語り、また事態の収拾を急がせるために積極的に活動したとしても、おそらく、被植民地の側からすれば、余計な世話だ、ということになるだろうということは、ぜひ付け加えておかねばならない。なぜなら、実際の解放とは、学者たちが学者として自由に行使できる手段よりもはるかに暴力的で、より直接的な手段によってしか獲得できないものだからだ。それゆえ、彼自身の国のなかで行われている闘争に参加することによって、彼自身の解放のための働くという決断をしない限り、いま述べたような危惧をもっている民族誌学者は、たえず自分の矛盾の中でもがき続けることになるだろうということはほぼ確実である」(ミシェル・レリス)

................................................................................
[参考] 
▼「ミルナ・マック事件」
 「一九九〇年年九月十一日夜、文化人類学者ミルナマックは、大統領参謀本部に属する特殊部隊の一員、ノエル・デ・ヘスス・ペテタ軍曹率いる工作隊に襲われた。マックは二週間前から尾行されており、その日、勤務先の民間研究機関を出たところ、待ち伏せに遭ったのである。彼女は二十七ケ所を刺されて死亡した。一九九〇年代当時、ミルナマックは武力紛争が生み出した「国内避難民」を研究する専門家として唯一の独立した存在だった。国内避難民の問題は、軍事作戦上重要視されており、この問題を扱うことは軍部にのみ許されていた。(軍の作戦の目的は、和平交渉を目前にひかえ、ゲリラの社会的基盤をなしくずしにし、叛乱勢力を交戦団体として認めることによる政治的失点を極小化するために、国内避難民を軍の側に捕獲することだった。だが、九〇年九月七日と八日の両日、これら非難民のうち、八七年以降「抵抗の共同体」を名乗るグループが、新聞に意見広告を掲載するかたちでグアテマラにおける彼らの存在を公表し、非武装の市民として認めるよう要求した。この声明は軍に作戦の大幅な変更を強い、国家安全保障戦略にも大きな影響を与えた。軍情報部は、ミルナ・マックがこの声明文を起草したものとみなし、報復として、また「抵抗の共同体」住民の帰還を支援するカトリック教会やNGOなどへの警告として、彼女の殺害を決定した。ミルナの妹であるヘレン・マックは、犯人をつきとめ、裁判にかけるために立ち上がった。ペテタは米国で逮捕され、グアテマラへ送還され裁判を受けた。脅迫や妨害工作のため、十一人もの判事が入れ替わったが、結局、九三年二月十一日、懲役二五年、執行猶予なしの判決が下った。」
# by MAL2000 | 2005-03-08 21:54
▼オルタナティヴ人類学
▼オルタナティヴ人類学_d0016471_2215762.jpg
▼「オルタナティヴ人類学」 (*画像をクリックすると拡大します)

▼オルタナティヴ人類学_d0016471_12113966.jpg
▼オルタナティヴ人類学_d0016471_237777.jpg「私のやっている文化人類学の方からみても、単純で小規模な社会や文化の中に生きる人間ほど、個人が制度的なものの支配を受ける度合いが少ない。それが農耕や牧畜をはじめ、多くの基本的な技術の発明によって、社会的な結合の範囲が拡大していくにしたがって、個人はますます大きな超個人的な力の支配を受けることになった。国家の支配、権威の支配、慣習の支配、神の支配、一言でいえば、最も広い意味での文化の支配である。人間は自分の作りだした文化という怪物のために、朝から晩までキリキリ舞いさせられるばかりで、自分の力ではこの怪物をどうにもコントロールできないという、大変なことになってしまった。私のやっている学問も、人間をこのように金縛りにできる文化というものの全体を対象とした科学だと考えているのだが、最近、あちこちでとりあげられるようになったその応用論は、いずれも人間が人間を少しでもより巧妙に支配するための技術を考案しようという意図に出たものとしか思われないようなものばかりである。ところが、不幸にして私は、どんな意味においても、支配されるということに我慢ができない。また人を支配することもいやである。帝国主義の支配、階級の支配、組織の支配、伝統の支配、コマーシャリズムの支配、流行の支配、およそいかなる支配でも、支配という事実が意識されると、もう堪えがたい自己嫌悪に陥ってしまう。そういうアマノジャクな頭のなかで、ひとりひそかに私の考えている新しい科学といえば、支配の学に抵抗する科学、いわば反支配の学ともいうべきものである。現代の社会科学や心理学や人類学にだっいて、文化の呪縛から少しでも人間を自由にするための方法が求められないわけはあるまい。だが、本当のことをいうと、やはり信じて支配されるというのが、いちばん幸福なのでなかろうか。ことに、天皇陛下でも、星条旗でも、ハーケンクロイツでも、スターリンでも、その万歳を叫んで死んでいけるような偶像のもてる人たち、もっと正確にいえば、偶像をもたされた人たちの方がはるかに生きがいのあるの人生を送っているのかもしれない。ことごとに権威を疑い、異端をとなえて、反支配の学の樹立など企てているのは、さてさてシンドイことではある。」(石田英一郎)

▼オルタナティヴ人類学_d0016471_7522141.jpg


▼オルタナティヴ人類学_d0016471_2371973.jpg「民族学は西欧文明と未開文明とのあいだに設けられた唯一の橋であるようにみえる。つまりもしこの両極のあいだにまだ対話が可能であるとすれば、西欧にそうした対話をはじめさせられるのは、民族学なのである。もちろん古典的な民族学ではだめだ。しかし、いまひとつの別の民族学にとっては、それのもつ学識が、限りなくゆたかで新しい言葉を鍛えあげることを可能にするだろう。したがって、ある意味で。民族学が科学であるとするならば、民族学は同時に科学とは別のものでもある。」(ピエール・クラストル)

▼オルタナティヴ人類学_d0016471_2373341.jpg「国家とか国境で区切ってこないような、そういう学問をたてられないだろうか。さらにいえば、これまでの学の体系というのは多かれ少なかれ、強者の考え方、強い人たちの考え方を反映しています。先ほどから、女、子どもとかいう言葉、何回もでてまいりましたけれども、そういう風なことから言うとですね、オモテ学に対して、ウラ学というものを立てることができるのじゃないか。最近会った優れた日本史学者によると、この学問では、ケース付きのA版の書物を書かないと、学者として一人前ではないのだそうだ。これはずいぶんと固苦しい自己規定だなと思う。それに学者たちが紀要、研究誌に発表している文章になんと悪文が多いことか。これはほとんど完全に、民衆、読者を無視した態度だ。アカデミズムのありようがこのようなものであるのなら、私はますます反対の方向へ進みたくなる。私の思考の根底には、アカデミズムへの違和感がある。私は、民間学固有の方法など無いと思う。民間学とは、学問を中心とした、おそらく日本特有の、集団行動への批判である。それは思想や知的運動の態度であって、方法の問題ではない。方法の問題として立てると、またまた洗練や抽象の方向へ向かってしまって、せっかくの生きいきした生命力が失われてしまう。民間学は、いくらか野暮ったくあいまいさを残したレベルにとどまった方がよい。それがアカデミズムを批判する、かそけき方法である」(鶴見良行)

▼オルタナティヴ人類学_d0016471_2382872.jpg「世界を変えようと決意を固め、思慮深い市民たちからなる小さなグループの力を決して否定してはいけません。 実際、その力だけがこれまで世界を変えてきたのです。」(マーガレット・ミード)

▼オルタナティヴ人類学_d0016471_11574781.gif「わたしは学習指導教授のところへゆき、自然科学にはどうしても興味が持てず、詩の世界にあこがれていますと告白しました。指導教官はにこやかな顔で言いました。「自然科学のようなふりをしている詩を学んだらどうかね」 「そんなことが可能なんですか」 指導教授はわたしの手をにぎって言いました。「社会人類学ないし文化人類学の領域にきみを歓迎するよ。」 (カート・ヴォネガット)

▼オルタナティヴ人類学_d0016471_12254821.jpg「もし、それで満足できなければ、文化人類学のようなふりをしてる、もうひとつの人類学、ないしは、オルタナティヴ人類学を学んでみてはどうですか。「文化人類学解放講座」にみなさんを歓迎しますよ。」(イルコモンズ)
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(おまけ)
「バファリン成分分析」による文化人類学の成分分析結果
▼オルタナティヴ人類学_d0016471_12381466.jpg
# by MAL2000 | 2005-03-08 21:51
▼人類学賛歌


▼人類学賛歌_d0016471_18563224.jpg▼「アンソロポロジーズ」
# by MAL2000 | 2005-03-08 21:45
▼文化相対主義の文学と映画をよんで/みる
▼文化相対主義の文学と映画をよんで/みる_d0017381_22285217.jpg
今回の講義では「文化相対主義(Cultural Relativism)」について学びます。文化相対主義の意味とその定義については、たいていの文化人類学の教科書や参考書に書いてありますので、ここではとりあげません。文化相対主義というのは、ごくおおざっぱにいえば、「文化に、それぞれおかしなところや、変なところがあるのは、「おたがいさま」で、「どっちもどっち」というモノの見方や考え方が文化相対主義です。あるいは、「ボケ」としての普遍主義に対して「ツッコミ」の役を担うのが相対主義だ、といえるかもしれません。そんないいかげんな定義ではこまるという人は、下記に文化相対主義についての資料がありますので、そちらをみてください。

▼文化相対主義の文学と映画をよんで/みる_d0016471_142764.jpg
▼自民族中心主義から文化相対主義への歩み~書斎からフィールドワークへ

▼文化相対主義の文学と映画をよんで/みる_d0016471_0583772.jpg
▼「文化相対主義」

「文化人類学解放講義」では、こうした定義を補足するものとして、アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編小説を映像化した「ブロディーの報告書~文化相対主義の発見」という短編映画と、イタリアの映画作家グアンティエロ・ヤコペッティが監督した「モンド映画」の傑作「世界残酷物語(原題 Mondo Cane)」(1962年)をみて、「文化相対主義」とはどういうようなものか(what it looks like)を紹介することにします。
# by mal2000 | 2005-03-08 19:56
▼「ブロディーの報告書」をよむ/みる


▼「ブロディーの報告書」をよむ/みる_d0016471_18504873.jpg▼「文化人類学解放講座」改メ「文芸人類学解放講座」用 教材映画
「ブロディーの報告書~文化相対主義の発見」
(Brodie's Report / An Invention of Cultural Relativism)

[原作] ホルヘ・ルイス・ボルヘス 
[脚色] イルコモンズ
[編集] 小田マサノリ 
[音楽] ポポル・ヴゥ
[朗読] プロ・トーカー 
[監修] 小田昌教
日本語字幕つき B&W+パートカラー 9分21秒

[引用映像]
▼A・ユトロー「ユトロー遠征隊」(1911年 *著作権消滅)
▼H・フレイザー「密林の人」(1941年 *パブリック・ドメイン資料)

▼「ブロディーの報告書」をよむ/みる_d0017381_3495361.jpg[コンセプト] 「文化相対主義」を無味乾燥な定義やことばではなく、感性に訴えかける音声や映像を使って「文芸人類学」的に提示し、文化相対主義的態度の重要性と汎用性を想像させる実験的教材。

[特色] 「マジカル・リアリズム(虚構+史実)」の手法による教示

[該当講義] 文化相対主義の文学と映画をよんで/みる

[参考文献]
J・L・ボルヘス「ブロディの報告書」
B・デ・ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」
▼W・ヘルツォーク「フィツカラルド」
▼T・トドロフ「他者の記号学」

▼「ブロディーの報告書」をよむ/みる_d0016471_22214715.jpg
▼「ブロディの報告書」(*画像をクリックすると拡大します)

[シナリオ全文採録] ホルヘ・ルイス・ボルヘス作「ブロディの報告書」より(抜粋)

このディヴィッド・ブロディーなる人物は、スコットランド人の宣教師で、はじめにアフリカの奥地で、次にブラジルのジャングルで、伝導に従事した、という事実をのぞけば、何ひとつ分かっていない。死亡の日時や場所さえも不明なのだが、彼の報告書を忠実に訳してみたいと思う。ただし最初のページは欠けている。

ここには猿人がうようよしているが、ムルク族も暮らしている。ここでは彼らのことを、ヤフー族と呼ぶことにしよう。それは彼らの本性が、動物的であることを読者に忘れてもらいたくないからだ。彼らは、木の実や爬虫類が主食で、猫や蝙蝠の乳を飲み、手づかみで魚を捕る。呪術師や国王たちの死体を生でほおばるのは、その力を自分のものにするためである。種族は王によって統治され、その権力は絶対的である。王妃は王に会うことすら許されていない。四人の呪術師たちがいるが、実はこの数は、彼らの計算における最大数である。彼らは指で「1、2、3、4、そして、たくさん」と数え、親指から無限がはじまる。しかし、交易の相手であるアラブ人でさえも、彼らをだますことはできない。交換の時、品物は四つの山に分けられ、各人がそのそばにぴったりついているからである。ヤフー族は、呪術師には人をアリやカメに変える力がある、と信じている。呪術師は、地獄と天国の観念を持っている。それはいずれも地下にある。明るく乾いた地獄には、病人、老人、猿人、アラブ人、そして、豹が棲むという。一方、暗い沼地である天国には、地上で幸せに暮らした者と、冷酷無残にふるまった者、つまり王と王妃と呪術師が棲むという。以上のことから、私が、ひとりのヤフー族も改宗させることができなかった、と知っても誰も驚かないだろう。彼らの言語は複雑である。文というものが存在せず、ことばのひとつひとつが、包括的な観念に対応し、前後の関係や表情でそれが決まるからである。この種族には詩人がいる。詩人の言葉が人びとの心をとらえると、ひとは畏怖の念に駆られ、静かに詩人のそばを離れる。詩人に精霊がのりうつった、と感じるからだ。彼はもはや人ではなく神であるから、彼を殺すことができる。もし運がよければ、詩人は、北の砂漠に逃げることができる。

ところで、これはある春の朝のことだが、我々は突然、猿人に襲われた。私は武器を手に、そのうちの二匹をしとめた。その時、私は生まれてはじめて、自分に賞賛の声があがるのを聞いた。私はその午後、そこを去った。やがて、黒人の部落にたどりつき、そこで、ある神父の世話になった。最初のうち、神父が大きな口をあけて、食べものを食べるのを見て、気分が悪くなったが、じきに慣れてしまった。神父と神学上の議論を戦わせたことが懐かしく思い出されるが、ついに私は、父なる神イエス・キリストへの純粋な信仰を、とりもどすことはできなかった。

そして、いま私は、グラスゴーでこれを書いている。ヤフー族のなかでの生活について、書いてはみたものの、今でも私の心から、完全に消えることはなく、夢のなかで、襲われる、というその恐ろしさまでは、とうてい伝えきれなかった。通りを歩いていても、いまだに彼らに取り囲まれているような気がする。

わたしの考えでは、ヤフー族は野蛮な種族である。おそらく地球上で、もっとも野蛮な種族である。

とはいえ、彼らの救いとなる、いくつかの点を見落とすようなことがあれば、それは不公平というものである。彼らも、様々な制度をもち、王を戴いている。抽象的な概念がその基礎にある言語をあやつり、ヘブライ人やギリシャ人のように、ものごとは詩の神から、はじまる、と信じている。また肉体が滅んだ後もなお、霊魂は生き続ける、とそう考えている。そして、因果応報の理を信じて、疑わない。要するに、

我々に、文化があるように、彼らにも、文化が、あるのだ。

それゆえに、多くの罪を犯しているとはいえ、彼らとともに猿人と戦ったことを、私は後悔していない。彼らを、救済することこそが、我々の義務なのである。国王につかえる政府の当局者によって、この報告書の言わんとするところが、無視されることのないよう、強く希望しながら、ここでペンを置くことにする。(終)
# by MAL2000 | 2005-03-08 19:55