はじめに
指導教授は にこやかな顔で 言いました。 自然科学のような ふりをしてる詩を 学んでみてはどうかね? そんなことが できるんですか!? 指導教授は 私の手を握って 言いました。 社会人類学もしくは 文化人類学の世界に きみを歓迎するよ。 カート・ヴォネガット 人類学者というのは、 作家、小説家、詩人に なりそこねた人たち なのです。 J・クリフォード その他のジャンル
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by mal2000
| 2005-03-08 19:20
▼「世界残酷物語」オリジナル予告編 「はい、みなさん、ご覧になられましたか。これを見たあと一週間はこれが、あなたの話題になってしまうにちがいありませんね。なにが残酷であるかが、いろいろとわかる皮肉。見た目のこわさ。心にチクリと突き刺す皮肉のこわさ。よくも集めたものですね。一本のドラマを見る以上の劇的なスリルでいっぱいですね。ハイ、もう時間になりました。それでは、またお逢いしましょうね。さよなら、さよなら、さようなら」 (淀川長治) *東宝東和配給「世界残酷物語」1963(昭和38)年版パンフレットに掲載の淀川長治の寸評より抜粋してテレビ番組風に再構成。 「文化の記録で、同時に野蛮の記録でないようなものは、 決して存在しない」(ヴァルター・ベンヤミン) ......................................................................................... この映画の監督で、脚本も書いたヤコペッティ自身は、製作から30年後の2002年に、ある映画雑誌のインタヴューに応えて、こんな風に云っています。 「私の映画のナレーションは、まさに私自身だといってよい。さいわい私にはユーモアのセンスというものがあって、それがあるからこそ、ふつうなら到底耐えられないようなシーン、最悪だといわれるような場面でも受け入れることができるのだと思う。世の中のことは、それがいかに最悪な出来事であれ、最悪なりの理由があり、それは受け入れなくてはならない。そもそも、我々の主観的な判断が、いつも正しいとは限らず、なにが最悪で、なにが最善だと、決めてかかるのは、真実の勝手な歪曲だといえる。私のナレーションはよくシニカルだといわれるが、私にいわせれば、あれは皮肉ではなく、アンチ・レトリックだ。決まり文句、紋切り型の文章は大嫌いだ。常識もまた然り。人からつっこまれるのを恐れて、とりあえず世間的に正しいとされていることを言っておくことに、いったい何の意味があるのか?」(グアンティエロ・ヤコペッティ) ここでヤコペッティが主張しているのはラジカルな相対主義です。つまり、自分たち西欧人が考える善悪や真偽、優劣や美醜の判断が、いつも正しいとは限らず、自分たちには「最低で、最悪だ」と思えるような行為や習慣(例:犬をたべること、女性を肥満体にすること、来るはずのない飛行機を待ち続けること、瀕死の人間を前にして宴会をひらくことなど)にも、自分たちの知らない文化的な理由や意味、またそれにこめられた情感があるのだから、それを自分が属する文化や社会の常識だけで独断的に決めつけてしまうのは、真実の「勝手な歪曲」になるというわけです。 つまり、自分たちの常識や価値観は決してユニバーサルに通用するものではなく、社会や文化によって、それが「正しい」ものとして通用しないこともあるのです。つまりこれが、自分たちの常識や価値観はそれが置かれた時代や場所、またその相手や状況に左右されるという、相対主義的なものの考え方です。 とはいえ、「エスノセントリズム(自民族中心主義)」的なものの見方や常識を相対化するのは決して簡単なことではありません。ヤコペッティは私たちのエスノセントリズムにゆさぶりをかけるために、わざと「カルチャーショック」を与えるようなショッキングな映像を選び、そのショックと驚きを使って、映画を見る人たちの固定観念や文化的偏見に気づかせようとします。(そのため、ヤコペッティの映画はしばしば「ショックメンタリー映画」と呼ばれます)。その「悪趣味」とも思えるセンスやテイストには、それなりの理由があるのです。そして、ヤコペッティが云うように、そこにはアイロニカルな独特のユーモアがあり、また同時にペーソスもあります。だからヤコペッティの映画をみると、「泣けばいのか、笑えばいいのかわからない」気持ちになり、それが私たちに「人間とはなんだろう」と考えさせるのです。 文化人類学の権威ある雑誌に掲載されたある評論で、ヤコペッティの映画は、このように評論されています。 「プレスの反応はしばしば敵対的なものでしたが、ヤコペッティたちの映画は、その観客たちに彼らが持ってる偏見や道徳観を問いなおさせることに見事に成功したのです。 その最大の特徴は「ジャクスタポジション(配置・配列)」にあって、その「カルチャー・ショック療法」は、私たちがもっている「未開とモダン、聖なるものと俗なるもの、人間と動物、男と女、宗教と科学、空想と現実」などのあいだに横たわっている垣根についての考え方や知識をすっかりぶち壊してくれました。 「未開」の儀式」と「文明」の儀式などという区別は間違いであって、私たちは自分たちが暮らしている社会や、ビジネスマンたちのツアー旅行、モダンな芸術家、ダイエット教室などにこそ、本当に未開なるものがあるのだと、真剣にそう思いはじめるようになりはじめたのです。 モンド映画は、それを見る側の身にもふりかかってきて、誰ひとり安全な場所にいることなどできないのです。それは単なる「旅行の語り(トラベローグ)」ではなく、モンド映画は、あなたが異文化を観察するのと同じように、あなた自身の文化についても語らずにはおかないのです。」(チャールズ・キルゴア) 「モンド映画というのは「民族誌映画」に対するアンチテーゼですね。それは、ものごとの全体観や、その文脈、そして、信憑性というものに無頓着で、ものごとをズタズタに断片化し、シーンをすっとばし、文脈をメチャクチャにして、さらには、ごまかしやインチキで作品をでっちあげるものです」(A・ステープルス) 「つまり雑種の映画(hybrid film)ですね」(チャールズ・キルゴア) ▼「モンド博士との会見記」 『アメリカン・アンソロポロジスト』誌より ......................................................................................... ▼「イースター、フォアグラ、神戸牛」(「世界残酷物語」より) ヤコペッティの映画が高く評価されたのは、彼の独特のユーモアから生まれる、アイロニカルな映像のならべ方やつなぎ方にあったようです。ヤコペッティは、彼の「ちょっとばかり病的なユーモアのセンス」で、DJさながらに、世界中からコレクションしたフィルムを巧みにつないでゆきます。その皮肉っぽいフィルムの並べ方は「アイロニカル・ジャクスタポジション(配列・配置)」とでも呼べるものです。例えば、愛犬の墓参りをするアメリカの人びとの映像のすぐ後に、犬の肉を食べさせる台湾の食堂の映像にうつり、そこからフランスのフォグラづくりの工房にジャンプした後、今度は牛にビールを飲ませる日本の農家の映像に飛び移るというのがそれです。そこではもはや、未開と文明という垣根は消え、どの国も、どの社会も、それぞれ野蛮なことをしているので、誰も他人にむかって野蛮だとはいえなくなってしまう、「人類みな野蛮」「野蛮なのはおたがいさま」という、そういう展開になるように周到に編集されています。 かつてヴァルター・ベンヤミンは、「文化の記録で、同時に野蛮の記録でないようなものは、決して存在しない」と書きましたが、まさにそのとおりだという気になります。また、映画「食人族」のラストシーンでの、人類学者ハロルド・モンローのことばを思い出させます。 この映画について、モンド映画の専門家たちはこんな風に評論しています。 「モンド映画はそれを見る側の身にもふりかかってきて、誰も安全な場所にいることなどできないのです。それは単なる旅行の物語(トラベローグ)ではなく、モンド映画はあなたが異文化を観察するのと同じように、あなた自身の文化についても語らずにはおかないのです」 ▼「東京温泉」(「世界残酷物語」より) モンド映画には、「高貴な未開人」というロマン主義はありません。さらにそれは何かをリアルに描写するのでもなく、人の思考を刺激する映画だという点でモダンな映画だといえます。またそこにみられるグローバルな視点やハイブリッドな構成をみると、モンド映画はポストモダンな民族誌映画といえるかもしれませんし、 ところで、このヤコペッティの文化相対主義的な手法は、その後、民族誌映画ではなく、イタリアのグラフィック雑誌の編集にうけつがれました。次の講義では、ティボール・カルマンとオリビィエロ・トスカーニのコラボレーションによる「COLORS」を紹介したいと思います。 #
by mal2000
| 2005-03-08 18:57
「文化、もしくは、文明とは、 民族誌的な広い見地からいえば、 知識や信仰、道徳、法、習慣、その他もろもろの、 人が社会の一員として獲得した能力や習慣まで含めた ひとつの複雑な全体のことである。」 (エドワード・タイラー) 「文化とは、社会集団を構成している個人が、 自然環境や集団のメンバー、さらに個人同士の 関係のなかで行う個人的な行動を性格づける 精神的・身体的反応や活動の総体のことである。」 (フランツ・ボアズ) 「古典的な見方では、文化というのは、 一貫性のあるパターンからできた 完結した統一体のように考えられているが、 それとは対照的に、おそらく文化とは、 さまざまの異なったプロセスが、その境界線の 内側と外側とから縦横無尽に行き交う、 透明性の高い交差点の連続として とらえることができる。」 (レナート・ロサルド) ▼「文化人類学」 (出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 「文化人類学(ぶんかじんるいがく)は、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野である。人類学は一般に、人類の進化や生物学的側面を研究する自然人類学と、人類の社会的・文化的側面を研究する文化人類学 (Cultural Anthropology) あるいは社会人類学 (Social Anthropology) に大別される。文化人類学の名称はアメリカにおいて用いられ、イギリスおよび多くのヨーロッパ諸国では「社会人類学」の名称が用いられてきた。他のヨーロッパ諸国や日本においては民族学(英語圏での Ethnology、ドイツ語圏での Ethnologie)の名称も用いられている(民族学を一分野とする場合も多い)。民俗学(Folklore)もまた隣接分野として共通の研究テーマを共有することが多い。より狭い意味で文化人類学は民族・社会間の文化や社会構造の比較研究としても理解されている。社会人類学や民族学という名称は文化人類学という用語とほぼ同義である。ブロニスロウ・マリノフスキーによる1914年のパプア調査以後[2]、この分野では数ヶ月から数年に渡って研究対象となる社会に滞在し、その集団の構成員の一員として生活する参与観察の手法を用いることが一般的となった。」 「文化人類学」が研究の対象とするのは「文化」、ですが、「文化」については、ここではとても紹介しきれないくらいたくさんの定義があって、そのなかで、これがスタンダードだと云い切れるものがありません。文化人類学が誕生してから、もうかれこれ100年以上たつのに、いまだに、そうなのですから、もう、いっそのこと、「文化を定義するのはムリである」というのを文化の定義にしてはどうかと思うほどです。 そんなふうに、研究の対象である「文化」を定義することからして、すでに難しいのですから、文化人類学自体も定義するのが難しい学問です。そこで、この講義では、「文化人類学とは~である」と、「である式」に定義するのをやめ、文化人類学は「何になろうとしたのか」あるいは「何になりたかったのか」という風に問いを立てなおして、文化人類学を、「文化人類学ではないもの」との「ちがい」から考えてみたいと思います。 はじめにまず、文化人類学の別名である「民族学」と、日本語で書くと、ひと文字ちがいの「民俗学」のちがいを、それぞれの手法でつくられたテレビ番組、「すばらしい世界旅行」と「新日本紀行」の「比較」をとおして、見てみたいと思います。 ▼「すばらしい世界旅行」オープニング ▼「すばらしい世界旅行」エンディング ▼「新日本紀行」オープニング つづいて、世界のさまざまな文化や習慣を紹介するテレビ番組の「オープニング音楽」をとりあげ、その曲調やトーンなどから、ひとが「世界のさまざまな文化」について持つ「イメージ」をさぐってみたいと思います。 [教材] ▼「兼高かおる世界の旅」(1959年12月13日~1990年9月30日) mp3/1.21MB ▼「新日本紀行」(1963年10月7日~1982年3月10日) mp3/1.12MB ▼「すばらしい世界旅行」(1966年10月9日~1990年9月16日) mp3/1.19MB ▼「なるほど・ザ・ワールド」(1981年10月6日~1996年3月26日) mp3/684KB ▽「世界ウルルン滞在記」(1995年4月9日~2008年9月) ▽「世界ふしぎ発見」(1986年4月19日~放映中) ▽「ディスカバリー・チャンネル」(1984年~放映中) 【実験1】 上記の番組は、いずれも世界の文化を紹介するテレビ番組です。それぞれの番組の構成(ドキュメンタリー、クイズ・バラエティなど)や演出、出演者、音楽などを比較してみると、その時代ごとの、世界の文化に対するとらえかたがみえてくると思います。講義では各番組の短いヴィデオを見る予定ですが、ここでは番組の「オープニング・テーマ」を比較してみましょう。オープニングテーマは番組の基調をなすものなので、その番組が提供する文化に対するイメージがつかみやすいと思います。文化を定義することはできませんが、ひとがそれに対していだくイメージは、こんなふうにして、とりだしてみることができるのです。 【実験2】 次にYouTube で、番組の一部をみてみましょう。 ▼「兼高かおる世界の旅」 ▼「世界ウルルン滞在記」 ▼「世界ふしぎ発見」 ▼「ディスカバリー・チャンネル」 #
by mal2000
| 2005-03-08 18:25
今回は民族誌ドキュメンタリー映画の 傑作短編フィルムをノーカットで 一挙に四本上映します。 テレビ番組とのちがいに気をつけて、 みてみましょう。 プログラムは次のとおりです。 ▼ジョン・マーシャル 「冗談関係」 (1962年 13分 モノクロ) ▼ナポレオン・A・シャノン 「デデヘーワ父さん、家事をする」 (1974年 13分 カラー) ▼ナポレオン・A・シャノン 「デデヘーワ父さん、庭掃除をする」. (1974年 13分 カラー) ▼デヴィッド・マクドゥガル 「人々の木の下で」.. (1973年 13分 モノクロ) #タイトルをクリックすると 大きな画像と解説を みることができます。 アフリカのカラハリ砂漠に暮らす サン族( ブラジルのアマゾンに暮らす ヤノマモ(ヤノマミ)族、 それに、ウガンダの カラモジョ族の普段の 生活や暮らしを 「リアル」に描いた 文化人類学的にみて 「ただしい」ドキュメント 映画である、と同時に、 映像作品としても、 すぐれた作品です。 ................................................. [参考] ▼「イン・メモリー」 「冗談関係」を撮ったジョン・マーシャルの カラハリでの葬儀などを記録したドキュメント ▼ジョン・マーシャル「カラハリ・ファミリー」(予告編) ▼ナポレオン・A・シャノン「饗宴」 時間がゆるせば、傑作実験映画として次の作品も見たいと思います。 ▼ゾラ・ニール・ハーストン 「フィールドワーク」 (4分30秒 モノクロ 1928年) ▼マヤ・デーレン 「神の馬なる者たち」(52分 モノクロ 1941年) ▼ペーター・クーベルカ 「われらがアフリカ旅行」(12分 カラー 1966年) ▼トリン・T・ミンハ 「ルアッサンブラージュ」(40分 カラー 1982年) #サウンド・トラックによるレジュメを聴く→Re/reassemblagez ▼マヤ・デーレン 「神の馬なる者たち」 ▼ペーター・クーベルカ 「われらがアフリカ旅行」 ▼トリン・T・ミンハ 「ルアッサンブラージュ」 さらに、もし時間がゆるせば、次の作品も見たいと思います。 ▼ジェリー・リーチ 「トロブリアンド・クリケット」(53分 カラー 1979年) ▼クリス・マルケル 「サン・ソレイユ」(100分 カラー 1989年) ▼シャロン・ロックハート 「テアトロ・アマゾナス」(35分 カラー 1999年) ▼ヴェルナー・ヘルツオーク 「緑のアリが夢見るところ」 (100分 カラー 1984年) ▼ジェリー・リーチ 「トロブリアンド・クリケット」 ▼クリス・マルケル 「サン・ソレイユ」 ▼ヴェルナー・ヘルツオーク 「緑のアリが夢見るところ」 #
by mal2000
| 2005-03-05 12:03
誤解が「理解のしそこない」であるとすれば、 理解とは「誤解のしそこない」である。 異文化の「理解」について考えるためには、 異文化の「誤解」の方からまずみてゆくのがよい。 異文化「誤解」の実例と歴史を知ることなしに、 異文化「理解」の理解はありえない。 文化人類学解放講座「異文化誤解の映画史」 ------------------------------------------------------------ 今回の講義では日本や日本人が登場する海外の映画をまとめてみます。 映画にみられる「異文化としての日本と日本人」に対する誤解の豊富な実例を通して、 異文化理解のむずかしさや、異文化を描くこと(表象すること)のあやうさについて考えます。 [上映作品リスト] [1A] セシル・B・デミル「チート」(1915年) ノーマン・フォスター「ミスター・モト」(1937年) マーヴィン・リロイ「東京上空30秒」(1944年) フランク・ロイド「東京スパイ大作戦」(1945 年) ジョン・フォード「真珠湾攻撃」 (1944年) アーノルド・ファンク「新しき土」(1945年) スチュワート・ヘイズラー「東京ジョー」(1949年) ダニエル・マン「八月十五夜の茶屋」 (1956年)ヨシュア・ローガン「サヨナラ」(1957年) サミュエル・フラー「クリムゾン・キモノ」(1959年) アラン・レネ「二十四時間の情事」(1959年) ブレイク・エドワーズ「ティファニーで朝食を」(1961年) ジャック・カーディフ「青い目の蝶々さん」(1961年) グァンティエロ・ヤコペッティ「世界残酷物語」(1962年) ルイス・ギルバート「007は二度死ぬ」(1965年) ロマン・ポランスキー「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年) ロバート・アルトマン「M★A★S★H」(1970年) アンドレイ・タルコフスキー「惑星ソラリス」(1972年) ジョン・ベリー「がんばれ!ベアーズ大旋風」(1978年) シドニー・ポラック「ザ・ヤクザ」(1975年) ブレイク・エドワーズ「ピンク・パンサー2」(1975年) クリス・マルケル「サン・ソレイユ」(1982年) ジョン・G・アヴィルドセン「ベスト・キッド」(1984 年) ヴィム・ヴェンダース「東京画」(1985年) ポール・シュレーダー「MISHIMA」(1985年) ハンス・クリストフ・ブルーメンベルグ「ベルリン忠臣蔵」(1985年) ロン・ハワード「ガンホー突撃!ニッポン株式会社」(1986年) フラン・ルーベル・クズイ「トーキョー・ポップ」(1987年) ベルナルド・ベルトリッチ「ラストエンペラー」(1987年) ロイド・カウフマン「悪魔の毒々モンスター東京へゆく」(1988年) ジョン・マクティアナン「ダイハード」(1988年) ヴィターリー・カネフスキー「動くな、死ね、蘇れ」(1989年) ジム・ジャームッシュ「ミステリー・トレイン」(1989年) リドリー・スコット「ブラック・レイン」(1989年) ヴィム・ヴェンダース「夢の涯てまでも」(1991年) フレッド・スケピシ「ミスター・ベースボール」(1992 年) ジョナサン・F・ロートン「ハンテッド」(1995年) ゴードン・チャン「デッド・ヒート」(1996年) ピーター・グリーナウェイ「枕草子」 (1996年) チャンチャル・クマール「ボンベイTOナゴヤ」(1997年) チアン・ウェン「鬼が来た」(2000年) クエンティン・タランティーノ「キルビル」(2003年) ソフィア・コッポラ「ロスト・イン・トランスレーション」(2003年) ロブ・マーシャル「メモリーオブゲイシャ・SAYURI」(2005 年) アレクサンドル・ソクーロフ「太陽」(2005年) ジャスティン・リン「ワイルドスピード×3・トーキョードリフト」(2006年) ▼「異文化誤解の映画史・予告篇」 B/W&カラー 4分49秒 25.8MB wmv 上の予告篇は、今回、上映する3作品「悪魔の毒々モンスター東京へゆく」「ボンベイ TOナゴヤ」 「007は二度死ぬ」のハイライトシーンを抜粋してまとめたものです。 映画における「異文化としての日本文化の表象」という視点から、そこでどのような 「記号」(例:ネオンサイン、浴場、パチンコ、黒髪、テクノロジー、和服、ヤクザ、名刺等) が恣意的に選択されているかを中心にみてください。 -------------------------------------------------------------- ▼参考テキスト 「この世にあるとも思えぬ一民族をわたしの想像力でつくりだそうとすれば、その民族の国にわたしは勝手な名前をつけて、ものひとつのガラパーニュの国をうちたて、はっきりとその国を空想上のしろものとして扱い、実在のどんな国だろうと、わたしの夢物語にまきこまずにすむようにする。ただしそうなると、その夢物語そのものに、文学のしるし=記号をつけてしまうことになるのだが。わたしはまた、実在する国のどんな些細な現実だろうと、なにごとにおいても再現したり分析したりしようとはせずに、その逆こそが西欧的な陳述の企図するところなのだが。この世のなかのどこかしらかなたの、いくつかの特徴線をぬきとって、その特徴線でひとつの世界をはっきりと形成することができる。日本、とわたしが勝手に名づけるのは、そういう世界である。したがって、世間の人びとが歴史的に哲学的に文化的に政治的に比較対照するふたつの現実として東洋と西洋とが扱われることは、ここでは起こりえない。わたしは東洋の本質などに、憧れのまなざしを注がない。わたしには東洋など、どうでもいい。ただ、こちらが対処のしかたを考えて狙いをつけるならば、東洋は西洋と完全に断絶した、思いもよらぬ象徴世界の存在をかいま見せてくれる特徴線の貯蔵庫となりうる。東洋を見つめるときにわたしが捉えうるもの、それは西洋のとは別の象徴、別の形而上学、別の知恵ではない。この知恵はひどくのぞましいものではあるのだが。それは、複数の象徴世界のそれぞれの固有性相互間の断絶、変動、転換の可能性なのである。将来いつの日か、わたしたち西洋人は、西洋固有の暗黒の歴史を編んで、西洋のナルシズムの濃密を明らかにし、わたしたちが時おり耳にすることもあった区別への訴えかけを各世紀にわたって検討しなければならぬ。未知のアジアを既知の言語にたよって西洋化することばかり企てて、ヴォルテールの東洋、そして「アジア雑誌」の、ピエール・ロチの、エール・フランスの東洋、幾世紀にもわたって欠けることなく行ってきたイデオロギー的失地回復、これを私たちは検討しなければならぬ。今日、東洋から学ぶべきことがらは千とあるだろう。膨大の認識の作業が、現在必要であるし、将来もなお必要となるであろう。それが遅れているのは、イデオロギーによる隠蔽作用の結果にほかならない。だが同時に、際限もない暗黒の地帯、資本主義国日本、アメリカ文化化作用、技術革新へと掘り進むことをあえて見送っても、なお一筋の細い光によって探り求めなければならないのは、別種の象徴ではなく、象徴の裂け目そのものである」 「L'INSIGNE DES PIRES」(文:ロラン・バルト 音楽:ビル・ラズウェル) 上の文は、講義のなかで教材として紹介したポエトリー・リーディングのテキストです。このテキストはフランスの哲学者のロラン・バルトが、1966年から1968年にかけて何度か日本を訪れた後に書いたものです。バルトはオリエンタリズム的で、かつエキゾチックな「異文化の記号」にあふれた国・日本を「記号の帝国」と呼び、そうしたステレオタイプ化された様々な記号の誘惑にさからって、どのように日本を「表象」すればよいかをめぐって一冊の本を書きました。「記号の帝国」という本がそれで、この文章はその本のいちばん最初におかれたテキストです。講義で流したのは、このテキストにダブ・ミュージシャンのビル・ラズウェルが音楽をつけて、ダブ・ポエトリーとして発表したものです。決してわかりやすい文章ではありませんが、音楽と一緒に何度も聞いているうちに、すこしづつ分かってくると思います。ピンときたフレーズやパラグラフがあれば、自由に引用して、テストの答案づくりなどに活用してください。 -------------------------------------------------------------- 「異文化誤解の映画史1&2」では、「異文化としての日本」や「他者としての日本人」が、 二〇世紀の映画のなかで、どのような記号(音楽・色彩・文様・アクセントを含む)によって、 「表象」されてきたかをみてきました。こうした大衆映画を対象にした文化研究のことを、 最近は「メディア・スタディーズ」などとよびますが、文化人類学では1950年代にすでに こうした研究が行われていて、たとえば、マーサ・ウルフェンシュタインは1955年に 「同時代映画における子供のイメージ」という研究を行っています。そしてなにより、 文化人類学にとって、こうしたメディア分析は予備的な研究であって、文化人類学が その本領は発揮するのはこの後です。文化人類学はこうした分析を出発点とし、 よりリアルな異文化の理解(ここでは誤解)を求めて、その理解(ここでは誤解)の 動かぬ現場をつきとめ、そこで綿密な現場検証、すなわちフィールドワークを行います。 好くも悪くも文化人類学には現場主義という伝統があり、文化人類学者になるには、 フィールドワークが欠かせません。たとえば、「異文化誤解の映画史1&2」でみたような サムライ、ゲイシャ、キモノ、フジヤマ、ヤクザ、風呂、ネオン、カブキ、ニンジャなどの 記号やイメージを流通させている現場のひとつに、海外のジャパニーズレストランや スシバー、また国内のギフトショップなどがあげられます。 こういった現場をフィールドワークしてみると、大衆映画の中で日本を表象する記号が あまり変化しないことの理由がみえてくるかもしれません。講義のなかで紹介したように それには映画というメディア特有の事情もありますが、それだけではなく、映画の外の 現実世界には、このように日本文化をデモンストレーションしディスプレイする記号の 劇場のような場が存在し、そこで記号の再生産が行われていることも関係しているの です。この講義は、みなさんを文化人類学者にすることを目的としていませんが、もし、 こうした問題に興味がある人は、自分でフィールドワークをやってみるのもいいでしょう。 この講義では、ここからさらにもっと先にすすみます。二〇世紀は映像の世紀と呼ばれ、 日本文化を表象するのはなにも映画だけではありません。また記号を再生産する現場 はレストランやギフトショップだけではありません。一般にマルチメディア社会と呼ばれる 現代にはテレビ、ゲームソフト、ビデオクリップ、インターネットなどさまざまなメディアが 存在し、それぞれのメディアがさまざまなかたちで日本の文化を表象しています。特に AV機器の普及によって、これまでは、もっぱらテレビや映画のような大きなメディアの 一部の制作者や専門家たちによってのみ行われてきた文化の表象が、アマチュアの 人びとの手によって行われるようになり、さらにインターネットなどの普及によって、 それが広く配信されるようになりました。そして、それらは文化人類学者たちが好んで フィールドワークを行う現場のように決して固定されたものではなく、次から次に、 現われては消えてゆく非常に変動性の高いものです。さらに日本文化の表象は、 劇映画だけでなく、戦時中のプロパガンダ映画、音楽ビデオやアートフィルム、コメディ、 アニメなど多種多様なジャンルにまたがって存在します。もちろん、それらをすべて カヴァーすることは困難ですが、逆にそこが、文化人類学の「雑種の学問(雑学)」 としての力が発揮できるところでもあるので、今回の講義ではあえてそれらを フィールドとして選びとり、文化人類学の可能性をひらく(解放)ための実験として、 さまざまなメディアのなかに現われ、浮遊し、移動してゆく日本文化の表象を キャッチ・アップしてみたいと思います。 [上映作品リスト] [1B] トーマス・エジソン「ジャパニーズ・ビレッジ」(1901年) ERPI教育映画社「日本の子どもたち」(1941年) フランク・キャプラ「戦争への序曲」 (1943年) 米国財務省「わたしのにっぽん」 (1945年) 米国戦事局「ふたつの都市の物語」(1946年) ザ・トーキングヘッズ「ワンス・イン・ア・ライフ・タイム」(1981年) カルチャークラブ「ミス・ミー・ブラインド」 (1983年) シャロン・ロックハート「ゴショガオカ」(1997年) マドンナ「ナッシング・リアリー・マターズ」(1999年) マドンナ「イフ・ユー・フォゲット・ミー」(1999年) ライナー・オルデンドルフ「マルコ第7番:京都」(2001年) フィオナ・タン「サン・セバスティアン」(2001年) ウィーザー「ハッシュ・パイプ」(2001年) DJ KRUSH「SUSHI」(2004年) 国土交通省「ようこそジャパン」(2004年) マシュー・バーニー&ビョーク「拘束のドローイング第9番」(2005 年) ナミキバシ(小林賢太郎+小島淳二)「日本の形~鮨」(2005年) ナミキバシ(小林賢太郎+小島淳二)「日本の形~土下座」(2005年) ゾーン4499「ニッポン」(2006年) ロブ215「スーパー8の日本の旅」(2006年) オレンジ・グローブズ「ジャパン・トリップ」(2006 年) ニコール・ブラックマン&ガブリエル・ペナバス「ヴァンパイア・ゲイシャ・TO・ゴー」(2006年) UFJ TSUBASA Securities「CM」(200X年) ローラーガール「ゲイシャ・ドリーム」(200X年) MAD TV「メモリーズ・オブ・ゲイシャ」(200X年) ASK A NINJA 「ニンジャに聞いてみよう」(2006年) SEGA 「PS2 ザ・ヤクザ 英語版予告篇」(2006年) ------------------------------------------------------------------ 【課題】 劇場未公開のモンド映画にみる異文化理解と誤解 「見よ、あれが東京の灯だ」予告篇 (The Light of Tokyo) 作者不詳 制作年不明 海外向け東京観光案内映画・成人指定* カラー 5分8秒 18.7MB wmv 【ナレーション】 ある女の語り:このネオンライトは全部、キャバレー、ソープランド、映画館、中華料理店、劇場、パブの看板だ。この繁華街の中心には3つ以上の映画館があって、その反対側には2,600席の大劇場がある。つまりここが歓楽街の中心だ。でも、ここで私がありつくことができた仕事は、公衆浴場の仕事だけで、これは長くつづかなかった。結局、私は「お江戸キャバレー」に行ってみることにした。ここには有名はハットリ・ダンシング・チームがある。私はホステルの仕事がやりたかったが、西洋風のダンスが踊れないので、仕事をもらえなかった。マネージャーは「芸者ハウスに行けばなんとかなるよ」といってくれたけど、実はそこもダメだったのだ。でも、そのことは彼には云わないでおいた。そして私はまた、さまよいつづけた... 男の語り:夜も更けるにしたがい、ここには神社仏閣の慎みを忘れた、酒と笑いと愛と背徳がうずまきます。あとはすべて、あなたが支払うお金次第です。この繁華街には40の映画館があり、有名な「国際劇場」もここにあります。ここではあらゆるものがキラキラと輝く姿で登場します。日本のヌードショーは、ただ裸を見せるものではありません。またむやみに人を刺激するものでもありません。ヌードは人びとの生活様式の一部であり、ゲイシャがまさにそうです、ゲイシャは日本におけるセックス・シンボルなのです。 日本でサービス産業に携わる人たちは独自の組合と組織を持っています。ミュージャン、歌手、役者、ダンサーたちもそうです。だから仕事にあぶれることはありません。東京には400軒もの酒場があり、そこでは毎晩6つのステージが開かれます。つまり2,400のショーがあるのです。そこには、西洋風のレヴューから西洋化された日本のショー、そして純粋な日本の舞台芝居など、さまざまなものがあります。月がのぼるころからそれははじまり、東京を愉しませてくれます。東京は世界のエンターテイメントへの大いなる入口です。だが、それも男たちがそれに気前よくお金を払わなければ、存在できないのです。さぁ、ごらんください、クピ・ハヌーラさんです。いちばん新しいクイーンです。 こうしてショーははじまり、そして、それは朝まで続くのです... ある女の語り:(つづく) ★そして、この後、意外な展開が…(後篇は講義で) ------------------------------------------------------------------ 「異文化誤解の映画史」の最後は、第二次世界大戦中にアメリカで制作された 戦意高揚のプロパガンダ映画やポスターに描かれた日本(人)の表象をまとめて マルチ・スクリーニングしてみることします。 ・米国戦事局映画部 「我らが敵、ニッポン人」(1943年) ・フランク・キャプラ監督 「なぜ我々は戦うのか:戦争への序曲」(1943年) ・ジョン・フォード監督 「12月7日」(1943年) ・米国財務省 「わたしのにっぽん」(1945年) これらの映画は、アメリカ政府が、その当時、敵国であった日本とはいったいどういう 国であり、日本人はどういうものの考え方をし、どういう暮しをし、どういう社会組織と 価値観と美意識と倫理と道徳と政治と信仰をもっているかを、ちょうど文化人類学者 がある文化の民族誌を書くときのように、日本の「文化」全体を網羅的に描いてみせ、 それをアメリカ国民たちに教え、そして、なぜ戦争をする必要があるのかを説くために 制作した戦意高揚の国策映画、すなわち国家がつくった(あるいは高名な映画監督 に制作を依頼した)プロパガンダ映画であります。このドキュメント仕立ての表象には、 正しいところもあれば間違っているところもあり、正直、見ていてあまり気分のよいもの ではありませんが、私たちがあまり目をむけようとしない日本の文化のある側面や 歴史をみせてくれるものですので、いずれも部分的ですが、この機会にぜひ見てみて 下さい。そしてもし、ここに描かれている日本人や日本社会の姿に違和感や嫌悪感を 感じた人は、自分たちがそういう醜い日本人に二度とならないように、また他国の人々 から憎まれたりすることがないように、それぞれ気をつけてください。 最後に、これまで講義で見てきた様々な「異文化(としての日本の)誤解の映画史」の サンプルをもとに、記号学者のA・グレマスが考案した「意味の(正)四角形」を変形した 「意味と権力の変則四角形」(試作)を使って、 「異文化理解」「異文化無理解」「異文化 曲解」そして「異文化の創造的誤解」に 分類し、そこから分かること(例:文化を 表象するということの難しさとおもしろさ、 文化それ自体が持つあやうさと紛らわしさ 誤解が持つ批評性や創造性、言語化 できない文化のニュアンスやてざわり、 そして戦争が異文化の理解にもたらす 不幸など)を考えてみたいと思います。 さらにもし時間があれば、記号学者ダン・ スペルベルの「表象は感染する」という本と、 文芸批評家ホミ・バーバの「文化の場所」 という本を紹介し、文化の表象というものは、 ウィルスのように「感染」し、疫病のように 「流行」するということ (ただし表象には、 感染力の強いものと弱いものがあります)、 同じく文化の表象は、幽霊や妖怪のように そのすがたや居場所を変え、思わぬ時代 や場所に「不気味なもの」としてまいもどってきて突然、息を吹き返したり、リバイバル することがあるということなどをお話しします。スペルベルの研究は、文化人類学を 文化表象の自然科学/実証科学にすることを企てた野心的な試みで、ざっくばらんに 云ってしまえば、生成言語学や認知心理学、コンピュータ・サイエンスなんかが好きな 理数系の人向きの本です。かたやバーバの本は、文化表象の文学的批評として 書かれたもので、文学・芸術・歴史・現代思想なんかが好きな人文系の人向きです。 そして、どちらの本もその分野では先鋭的なものなので、読んでもすぐにはピンと こないかもしれませんが、おおざっぱに云ってしまえば、どちらも、文化というものを いつも同じ場所にあって、ずっと同じ姿で、じっとしているものとは考えておらず、 文化というのは常に居場所を変え、姿を変えてゆくもの、たとえて云うならば、 「旅するもの」として捉えているようで、ひとまずその点だけでも、おさえておいて もらえたらそれで十分です。 #
by mal2000
| 2005-03-01 01:07
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